1. 休暇始めは妹からの頼み事
辺りの輪郭がぼやけ、音がわずかにくぐもって聞こえる。
視線の先には小柄な人影が揺らめいていた。
人影は前方に手をかざし、空中で線を引くように指を振っていく。
『記憶』
その言葉とともに人影の前に一つの剣が現れた。人影は剣をなぞり、立て続けに唱える。
『複製』
たちどころに、次々と周りに同じ剣が現れた。
その光景に少年は歯を食いしばる。これを全ては撃ち落とせない。
人影が指を鳴らすと、数多の剣が降り注いでくる。せめてもの抵抗として、銃口を剣へと合わせ、引き金を引く。しかし、物量が多すぎるせいか、徐々に体をかすめ始める。
「ぐっ……!」
まるで剣になぶられるように切り刻まれ、ついには膝を折った。
人影はゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。
『もう諦めたらどうだ? おとなしくキサマの魂を差し出せ』
諦める? 冗談だろ。
武器を軸にふらつきながらも立ち上がる。
立ち上がったこちらを見て、人影は再び手をかざす。剣がさらに増えていく。
『……仕方がない。殺して回収しよう』
――やめ、て!――。
まるで、人影の声にかぶさるように頭の中で声が響いてきた。これは――。
人影の腕がわずかに震える。
『ほう、支配の力に抗えるとは』
――お願、い。にげ……て!――。
少年は思わず笑みをこぼした。ごめん、その頼みは……聞けない。
口の中で小さく呟く。
「約束した、だろ。――」
最後の音はかすれるように消えていく。
少年は手にある武器の感触を確かめ、長銃を構えた。
ここで折れるわけにはいかない。お前がいてくれたから人になれた。
『無駄だ』
人影の声により、自在に剣が舞う。
体内の魔力を練り上げると、自身の周辺で黄金の風が吹きすさぶ。
その傍ら、師の言葉が脳裏をよぎった。
――キミの力はまだ不完全だ。もし、使ってしまえば……。
そうだとしても。たとえ、この命を犠牲にするとしても。もう選択肢はない!
人影の声が響き渡る。
『キサマの魂、もらい受ける――!』
人影が手を振り下ろし、数多の剣が視界を埋め尽くす。
その絶望的な光景の前でただ祈る。成功してくれ、と。
銃口に黄金の魔力が収束。狙うは一点。剣が眼前へと迫る。届くその寸前、引き金を引いた。
真空を切り裂く音とともに視界が白に染まる。その収束点で、人影がゆっくりと倒れこむ。
滲む視界の端に淡い金色が瞬いていた――。
「っ!」
声にならない叫びとともにニクスはベッドから飛び起きた。
「はぁ……はぁ……」
息を整えようとしても、胸の動悸が止まらず、先ほど見た夢の余韻が残っている。
胸に手を当て、ニクスは小さく呟いた。
「今の、は……」
夢の内容を思い出そうとしても霞のように消えていく。
窓の外に目をやるとかすかに夜明けの日差しが差し込んでいた。
いつもより起きる時間が早いが、このまま寝られそうにもない。
「顔、洗うか」
ニクスはベッドから這い出ると、よろめく足取りで洗面所へと向かった。
冷たい水で顔を洗うと、余韻が引いていく。タオルで水気を拭き取り、鏡に映る自分の姿を見つめた。青黒い髪に、青灰色の瞳。悪夢のせいか、ずいぶん顔色が悪い。
一旦、落ち着くために息を吐く。
「ふぅ……」
すると、洗面所の入り口から柔らかい声が聞こえてきた。
「あれ、おにぃ、おはょ……?」
入り口のほうへ振り向くと、妹のラピスが立っていた。
紺色の髪が肩口で流れ、長めの前髪が両目の間で揺れている。寝起きのせいか、ところどころ寝癖がついていた。
瑠璃色の目をこすりながらぼんやりとこちらを見ていた。
「あぁ……おはよう」
少しだけかすれたような声になったが、気づかれた様子はない。まだ眠気が抜けきらないのか、うとうとした様子を見せていた。その姿に小さな笑みがこぼれる。
ニクスはラピスに近づくと、すれ違いざまに肩を軽く叩く。
「顔洗うんだろ? 寝ぼけたまま突っ込むなよ」
「ん~……」
ラピスはそのままのそのそと洗面台のほうに向かった。その背中を見送り、気合を入れるように頬を両手で軽く叩いた。
「……よし」
あまり暗い顔をしていると心配させてしまうかもしれない。ニクスはそう思い、一階へと降りていった。
ニクスはいつもの習慣で、朝食の準備に取り掛かった。パンを焼き、ベーコンと炒り卵を作りテーブルへ並べていく。
テーブルに朝食を並べ終えると、入り口のほうから足音が聞こえてくる。目を向けると、ラピスが入ってきたところだった。寝癖のついていた髪はすでに整えられており、紺のコルセットに白いブラウス、ロングスカートといつもの服装に着替えていた。
ラピスはこちらに歩み寄ると、テーブルの上に並べられた朝食を見ながら口を開いた。
「朝ごはん作ったんだ。わたしがやるって言ったはずだけど」
ラピスがやや不服そうな顔をしている。その様子に少し申し訳なくなった。
「まあ、もう習慣になってるからな。休みだからといって、当番をずらすのもな」
ラピスは一つため息をこぼした後、食卓へ着く。同じくテーブルに着き、二人で朝食を食べ始めた。
朝食を食べている最中、思い出したかのようにラピスが言った。
「お兄って、今日からいつまで休み?」
「2週間ほどだな」
「結構長めなんだ。どうせ、働きすぎだから、休めとか言われたんじゃない? お兄は働きすぎだし、倒れないか心配」
ニクスは少し視線を逸らしながら答える。
「まあ、今のところ問題ないから大丈夫だろ」
「そういう自分のことになると軽く見るの、お兄の悪い癖」
じとっとした視線がこちらに向けられている。その視線に苦笑いで返すしかなかった。
やがて、ラピスは根負けしたかのようにため息をついた。
「……はぁ。わかった。お兄が大丈夫っていうなら、これ以上は言わない。もし、平気そうならお願いしたいことがあるんだけど」
頼み事か。特に用事もなかったから問題はない。
「ああ、いいぞ。内容はなんだ?」
「ありがと。二つあるんだけど、一つ目が午前中、孤児院での授業。お兄の手が空いているなら、講師をお願いできないかって言われた」
「孤児院で授業……? 俺にか?」
急な話に少し戸惑う。
ラピスはうなずく。
「魔導士について説明してほしいって」
「あー、なるほどな」
今や魔導士はどこでも重宝される。子供たちの未来を考えて、話しておきたいといったところか。ただ――。
「魔導士といっても魔装士のことしか話せないけど、それでもいいのか?」
「大丈夫だと思う。お兄に頼むってことはそういうことだと思うし」
確かに院長なら織り込み済みか。
「……分かった。ひとまず、受けよう。せっかく頼ってもらったしな」
ラピスはうなずくと、続けて口を開いた。
「それで、もう一つなんだけど、午後は荷物持ちとして買い物に付き合ってほしい」
「買い物か。孤児院は午前までなのか?」
「うん、午前まで。だから、昼以降は空いてる」
「なるほど……」
ここ最近は家に帰っても寝るだけだったため、ラピスとすれ違うことも多かった。
こういう機会は大切にしたほうがいいだろう。
「ま、そういうことなら付き合おう。久々の休みだしな」
ラピスの頬がわずかに緩み、「ありがと」と短く言うと、朝食へと戻っていった。
期せずしてではあったが、休日初日の予定は埋まった。そういえば、午後は街に出るのか。それなら――。
「ラピス、買い物に行くなら、ついでに魔装器のメンテも済ませていいか?」
ラピスは顔を上げ、こちらの問いに軽く首をかしげた。
「それはいいけど、授業終わった後、一度家に戻る?」
「いや、もしかしたら、授業で使えるかもしれないから、できれば孤児院へ持っていきたいな。その辺り、院長は何か言ってたか?」
「特に何も。多分、大丈夫だと思うけど、ちょっと、聞いてみる。お兄が受けてくれたことも連絡しないとだし」
「ごめん、頼めるか?」
ラピスはうなずくとそのまま食事を再開した。
ほどなくして、先に朝食を終えたラピスが席を立つ。
食器を持っていく後ろ姿を横目で眺めていると、ふと思うことがあった。
「なぁ、ラピス」
ラピスが振り返ると肩甲骨あたりで毛先が揺れた。
「ん?」
「今日休んでほしいみたいなことを言ってたけど、何かあるのか?」
ラピスの口の端がわずかに上がった。
「あー……、ごめん、まだ内緒」
ニクスは首をかしげる。
ラピスはそれ以上言うつもりはないのか、背を向け、片づけに取り掛かった。
これ以上突っ込むのも野暮な気がしたため、ニクスは食事に視線を移した。
ニクスも食べ終え、自室へ戻って私服に袖を通す。
着替え終えたタイミングで、扉からひょっこりとラピスが顔を出した。
「院長に連絡したけど、魔装器の持ち込み大丈夫だって」
「了解。あ、そういえば、授業で他に何か持っていく必要はあるか?」
「んー、特に聞いてないから大丈夫だと思う。院長からも会った時に詳しく説明するって言ってたし」
「そっか。なら、魔装器だけだな。先に玄関へ行っててくれるか。すぐ向かう」
「うん、わかった」
ラピスはそう言うと、扉の向こうに消えていく。
ニクスは机のほうに移動し、引き出しを開けた。中には壮麗な装飾が施されたこじんまりした箱が収められていた。
箱を机の上に出し、蓋を開ける。中に入っていたのは、二丁の銃。それぞれの銃身は銀色に鈍く輝いており、一方には赤、もう一方には青の幾何学的な文様が走っている。どちらも黒いグリップが備えられていた。
双魔銃――ニクリムス。
もし、授業で使うなら、念のためマガジンは抜いておいたほうがいいだろう。そのほうが安全だろうしな。
それぞれの銃を手に取り、マガジンを引き抜いていく。その後、引き出しの中からホルスターも手に取ると、二丁の銃を収め、両腰に取り付けた。
その他、特に忘れ物がないか確認する。
「よし、大丈夫そうだな」
軽く机のほうを見ると写真立てが目に留まる。そこには四人の姿が収められていた。がっしりとした男性と柔和な笑顔を浮かべた女性。その前に並ぶ二人の面影を感じさせる少年と少女。自然と口角がわずかに上がる。
写真立てに触れようとした瞬間――瞳の奥で黄金の光が過ぎ去った。
「え」
思わず手が止まる。その違和感は瞬き一つで消えてしまう。ただ、何かに呼ばれたような気がした。
ニクスは軽く頭を振り、写真に向かって、静かに「行ってきます」と呟く。
そして、玄関へと向かっていった。




