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みちのく転び切支丹  作者: 美祢林太郎
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19 高野家の晩餐

19 高野家の晩餐

 

 我々が帰宅すると、高野家の人々が全員玄関に出てきて、「おかえりさい」と出迎えてくれた。我々の帰りを今か今かと楽しみに待っていたのだ。

 「お風呂の準備ができていますので、先にお風呂に入っていただいて、それから夕食にしましょう」とお母さんがぼくにお風呂を勧めてくれた。昨晩は風呂に入っていなかったので、風呂は気持ちよかった。

 風呂からあがると新しいパジャマが用意されていたが、いくらなんでもまだパジャマを着るのは早いし、食事の時に失礼だと思って、自分の持って来たトレーナーに着替えて、居間に入って行った。食卓には、豪華な料理がバン・バン・バンと並んでいた。胃袋よ、今晩も頑張れ。

 「昨日今日とお仕事、お疲れでしょう」とお母さんがにこやかに話した。お父さんが「まあ、一杯」と言って、ぼくにビールを注いでくれた。100インチくらいある大きなテレビから、地元の園児の運動会の模様が流れていた。誰もテレビを見ている様子ではなかった。おそらく一日中テレビは付けられているのだろう。

 お父さんが「スズはどうしたんだ?」と言うと、お母さんが階下から大きな声で二階にいるスズちゃんを呼んだ。「もう少ししたら行くから、先に始めておいて」とスズちゃんの大きな声が返ってきた。お父さんはぼくにビールを注ぎ、「申し訳ありませんね。躾が悪くて。それじゃあ、先に進めておくことにしましょう。よく黒鷹町にいらっしゃいました。乾杯」とお父さんの音頭で、みんなが乾杯した。

 「田舎ですから、たいしたものはありませんが、なんでもつまんでください」とお父さんがぼくに料理を勧め、お母さんが器に里芋と牛肉を煮たものを盛ってくれた。「ご存知でしょうが、これが山形の郷土料理のいも煮です。お祖父ちゃんが畑で作った芋と葱なんですよ。お口に合うといいのですが」とお母さんが言った。最初に真っ白い芋を口に頬張ると、ねっとりとした甘さが口の中に広がった。次に、牛肉を食べたが、脂が程よくのって、とろけるような美味しさだった。「これは絶品ですね。こんなねっとりとして甘い里芋は食べたことがありません」とぼくが言った。お祖父さんは顔をほころばせて「この里芋は、ここらに昔から伝わる伝統野菜の一つで、最近の伝統野菜ブームに乗って、再び栽培されるようになったんです。収量は少ないのですが、味はいいでしょう」と自慢げに言った。「こんな美味しい里芋は東京では絶対に食べられませんよ」とぼくが言うと、お祖母さんが「東京の人に褒めてもらってよかったね」とお祖父さんに言った。

 調子に乗ったぼくが「この牛肉は米沢牛ですか?」と訊くと、お母さんが申し訳なさそうに「山形牛です」と声のトーンを落として言った。ぼくは恐縮した。

 お父さんが「山形の日本一大きな鍋で作る芋煮会のことはご存知ですか?」とぼくに訊いてきた。「いえ、知りません」と応えた。「まだ、東京じゃあ有名じゃないのかな。毎年、9月の日曜日に山形市の馬見ヶ崎川の河原で、巨大な鍋で作った芋煮を何万人もの人が食べるイベントが行われているんです」とお母さんが言った。ぼくは話を聞きながら、芋煮のお代わりをしていた。「山形は昔から秋になったら河原で、家族や職場の仲間や友達と、いも煮会をする風習があるんです」とお祖母ちゃんが教えてくれた。ぼくはニコニコしながら芋煮会の話を聞いた。

 (なんて平和なんだろう。もしかしたら、ジュリアーノや天草四郎、いや黒鷹五郎も最上川の河原で信者たちとのどかに芋煮会をしたのだろうか? 少し工夫すれば、芋煮会も切支丹関連の町おこしに使えるな。明日、佐和山さんに教えてあげよう)

「稲村さんは、お酒はいける口ですか?」とお父さんが訊いてきた。「いえ、それほどでもありません」と応えたのだが、お父さんはぼくの返事など関心がないかのように、背後の食器棚から木箱を取り出してきた。

 「稲村さんがいらっしゃるというので、知り合いに頼んで幻の古酒『黒鷹』を手に入れておきました。地元の醸造所が50年前に造った酒です。地元の人でもめったに手に入らない代物です。醸造所の専務と私が中学の同級生だったので、無理にお願いしたんです。実は、我々もこの酒の噂を耳にしたことがあるだけで、実際に目にしたことはなかったんですよ」とお父さんは大事そうに木箱を抱えながら解説してくれた。

「そんなに勿体付けなくても、さっさと開けて飲んだらいいんじゃないか」とお祖父さんが言って、全員が小さなグラスを手に持った。よっぽど貴重なもののようだ。「我々もまだ口にしたことがないんですよ。今日初めて飲めるので、私たちも少しだけご相伴にあずからせていただきたいと思います」とグラスを持ったお祖母さんが言った。

 (これはよっぽどの酒なんだな)

 お父さんがおもむろに桐の箱を開けると、瓶の口が和紙に包まれた真っ黒いボトルが出て来た。誰も値段のことは言わないが、目玉が飛び出るくらい高い酒だということが、ボトルが醸し出すオーラからもわかる。ぼくも緊張し始めた。まずはお父さんがぼくに注いでくれた。驚いたことに、日本酒なのに漆黒の液体だ。これまでこんな色の日本酒は見たことがない。日本酒は50年も置いておくと、黒く変色するのだろうか?

 全員に注ぎ終わると、「スズの分も入れておいて」とお祖母ちゃんが言うので、お父さんは棚からグラスを出して注いだ。ぼくたちはグラスを持って乾杯した。グラスに鼻を近づけると、独特の芳醇な香がした。頭の中に弦楽四重奏曲が流れた。舌の上に乗せると上質な粘りと甘さが口の中全体に広がった。もはやこれは交響曲だ。

 ごくっと飲んだお父さんが、「これは美味しいな」と口先だけで言った。

「薬膳酒のような味がするんですけど・・・」とお母さんが首を傾げて言った。

「健康に良さそうだな」とお祖父さんが顔をしかめて言った。

お祖母さんは呑み終わるとすぐに、口直しのつもりか、お茶を飲んだ。

「この酒は、どうですか?」とお父さんがぼくに恐る恐る訊いてきた。お父さんも本当は口に合わないようだ。

「こんなに美味しい酒はこれまで飲んだことがありません。凄いお酒ですよ」と絶賛すると、「本当ですか?」とお父さんはぼくの言葉を疑っているようだった。「美味しくなかったら、残してもいいですから」とお母さんが言うので、ぼくは慌ててグラスに残った古酒を飲み干した。そこにスズちゃんが二階から降りてきた。

「おまえの分、入れて置いたから、まずこのバカ高い幻の古酒を呑め」とお父さんがスズちゃんに勧めた。スズちゃんは一気にグラスを飲み干すと「まず。これ養命酒?」と言って顔を顰めた。この一家はみんな酒の味がわからないのだろう、とぼくは思った。お父さんは古酒のボトルを桐の箱に仕舞って、食器棚に戻した。もう、この名酒は日の目を見ることは二度とないのかもしれない。食器棚の中で忘れ去られていくのだろう。ぼくはもらって帰りたかったが、そんなことを言い出す度胸はなかった。

「口直しに、純米吟醸酒を呑みましょう。吟醸酒の方がさらっとして美味しいですよ」と言って、新しく出してきたぐい吞みに吟醸酒を注いでくれた。目の前には大きな鍋が出てきた。

「どんがら汁と言って、これも山形の名物料理なんですよ。寒鱈の頭から尻尾まで、内臓もすべて入れた鍋なんです。これは鱈の白子で、美味しいですよ」とお母さんが説明して、ぼくのどんぶり鉢によそってくれた。さっぱりとした鱈の肉と濃厚な白子の味が調和して、これは何杯でもいける。ぼくは酒をちょびちょび呑みながら、どんがら汁を一生懸命に食べた。

 スズちゃんは、芋煮とどんがら汁を食べると、「明日早いから、風呂に入って寝るね。ジンさん、明日5時半出発ですから」と言って部屋を出て行った。「行儀が悪くてすみません」とお母さんはぼくに謝ったが、スズちゃんがいなくなったので、ぼくもこの部屋から早く退散できるだろうと思い、ほっとした。

 「お酒が進んでいないようですけど、変なお酒を呑ませてすみませんでしたね」と父親が謝った。

「いえ、とても美味しい古酒でした。土産話になります」

「そうですか・・・。そう言っていただくと助かります」

いつの間にか、お祖父さんとお祖母さんはテレビを観ていた。

「スズは、みなさまにご迷惑をかけずに働いているでしょうか?」とお母さんが心配そうに言った。

「迷惑だなんて、決してそんなことはありません。元気溌剌としたお嬢さんで、みんなと仲良く働いていらっしゃいます」

「元気溌剌ですか、それはよかったです。そちらの会社で働かせてもらって本当によかった、と家族一同喜んでいるんですよ」と、ぼくの方を見て、4人が深々と頭を下げた。ぼくもつられて頭を下げた。

「あの子は、小学校4年生の時に不登校になって、小学校を卒業するまで部屋に引きこもっていたんですよ」とお母さんがスズちゃんの秘密を話し出した。

 (あの明るいスズちゃんが引きこもりの経験者? それは意外だ。世界中の人が引きこもりになっても、スズちゃんだけは引きこもらないだろう、と思っていた。まあ、これは言い過ぎだけど・・・)

「小学校を卒業すると、地元を離れて、山形市の中学校に入学し、高校も山形市の県立高校に行きました。山形に私の妹の家があるので、そこに6年間下宿させてもらったのです」

「どうしてスズさんは引きこもりになったのですか? 差し障りなかったら、お聞かせ願いますか」

「ある時、「神様を見た」と言い出したんです。それでみんなから嘘つき、といじめられるようになって、学校に行かなくなりました」とお父さんが静かに言った。

「小学校4年生の時にですか」

「はい、最上川の橋の上に神様がいたというんです。最初のうちは、友だちと一緒に仲良く神様を探しに橋の上に行っていましたけど、当然、神様はいませんでした。それでもスズは「本当に神様を見た」と言い張ったんです。わしらにも毎日「神様を見た」と言って、あまりにしつこいので、わしらも一緒に橋までついて行ったことがあります。でも、いるわけがありませんよね。クラスのみんなが、スズを嘘つき呼ばわりするようになっても、スズは「神様を見た」と言い張りました。頑固ですよね。誰に似たんでしょうね。そして結局、学校に行かなくなりました。それからというものは、部屋の中に閉じこもって、「神様、神様」とブツブツ言うようになりました。あの頃は、わしらもどうしたらいいかわからなかったのです。スズの頭がおかしくなったのかと思って、仙台の心療内科のある病院に連れて行ったこともあります。何の効果もありませんでした。それが、山形の中学校に通うようになって、ぴたっと神様のことを言わなくなって、徐々にですけれど、元の明るいスズに戻って行きました。わたしたちも、スズが中学生になってからは、決して神様のことには触れなくなりました。どうして小学生の頃、神様を見たと言ったのかわかりません」

「そうですか。スズさんは神様を見たのですか? もしかしたら、そうした体験が元で、うちの会社に入社されたのかもしれませんね」

「立派な会社なんでしょ?」

「立派と言われると困るのですが・・・。うちの会社は、宇宙人や幽霊やネッシーなどの荒唐無稽な話を載せた雑誌を発行している出版社です」

「そのことはスズから聞いています。夢のある雑誌だな、と家族一同喜んでいるのです」

「そうですか。夢はあるかもしれませんね」

「立派ですよ。宇宙人や幽霊やネッシーを扱っておられるんでしょ。スズから雑誌が送られてきて、みんなで読んだんですが、面白い雑誌ですね。大人の童話の本ですよ。政治家やタレントのスキャンダルを載せるような雑誌よりずっとまともです」

 (たしかに世の中の雑誌と言えば、その類いのものが多いな。それに比べればうちの雑誌の方が健全かもしれないな。誰も中傷することはしないものな。大人の童話の本か、良いこと言ってくれるね)

「それで、今回はどのような取材ですか。スズは何も話してくれないのですよ」

「黒鷹の隠れキリシタンについてです」

「黒鷹に隠れキリシタンはいたんですか?」とお父さんが怪訝な顔で訊いてきた。

「今日、博物館の人たちと一緒に、「切支丹屋敷跡」と「切支丹生き埋めの地」の看板が立っているところに行って来ました」

「祖父ちゃんと祖母ちゃん、そんなところ知っているか?」とお父さんがテレビを観ている二人に訊いた。

「知らんな。聞いたこともないな。その看板は、どこに立っているの?」と訊かれたので、ぼくはおおかたの場所を話した。

「あゆ番所の近くか? やっぱり知らんな」

「明日は朝早いそうですが、どこに行かれるんですか?」

「明日は町民のみなさんと一緒にキリシタンの「埋蔵金ツアー」に参加します」

「かあさん、そんな話聞いてるか?」

「そう言えば、明日は「町民健康増進ウォーキング」があるって話を聞いていますが、そのことじゃあないですか。多分、宝探しにかこつけて人を集めているんですよ」

「そのように、町の人たちには伝わっているんですか?」

「本当に、キリシタンが昔ここにいたんですか?」

「教育委員会の看板が立っていますから」

「ほう、それは面白いな。是非とも、財宝を見つけてください」とお祖母ちゃんが言った。

「お酒が進んでいないようですから、そろそろご飯にしますか?」とお母さんが言ったので、ぼくは朝のつや姫を思い出して、「はい」と快く返事をした。ぼくは出された漬物と一緒につや姫を食べた。

 食後のデザートに甘い香りのするフルーツが出て来た。食べると、とろけるように美味しい。「このフルーツは何ですか?」とぼくが訊くと「ラ・フランスです」とお母さんが教えてくれた。そう言えば、これまで食べたことがなかったが、ラ・フランスは洋梨の一種で、サクランボと並んで山形の名産であることを聞いたことがある。

 ぼくたちがお茶を飲みながら、黙ってテレビを観ていると、お祖母ちゃんがぽつりと、

「スズは子供の頃に見た神様を探しているんじゃろうか?」と言った。

 それを聞いたお母さんが、

「神様に会えるといいですね」と呟いた。


   つづく

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