実装
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「たっだ~いまぁ~!」
小さな体には余りある豪快さで玄関のドアを弾くと、制服を着た溌剌小中小陽は開口一番溌剌だった。
いつものように部屋を覗いてみようと猛進。勢いも殺さず階段を駆け上がる。
一つ屋根の下で暮らすようになって間もなくから、追い払われるのも構わず、毎日アルヴァの部屋を訪れるようになった。この頃にはついにドアを開ける動作すらサイレントにこなすようになり、アルヴァは完全にお手上げ状態だった。
距離を詰められるというのはアルヴァにとっては非常に具合が悪いのだが、小陽にとっては追い払われることすらもある種のコミュニケーションとなっている。
そんな関係が醸成される程度にはこの生活が続いた。
「か~えったよオオォッッ!? とっ、とと? あ……きゃああああああああああ!!!!」
間の抜けた頓狂な語尾。たたらを踏む。階段から足を滑らせる。落下。
相当に気が逸っていたのに加え、古い家で階段が急なので昇り切るまで気付かなかった。
もっとも、古かろうと何だろうと家の中にこんなものが鎮座しているなどと誰が考えるだろうか。
実家の急な階段を駆けると、そこには鉄条網があった。
滑りながら落ちて階段の真ん中辺りで止まった。
痩身のせいか絶叫に比して滑り落ちる音はサイレントで、それ相応とういうべきか小陽にさしたるダメージはなかったようだ。彼女の境遇の結果、無意識の内に抑えられたダメージもあったのかもしれない。
「フハハハハ! これで俺の部屋には近づ……ん? ……! おい! 大丈夫か誰にやられ痛だだだだだだ何だこれ痛ェ!」
悲鳴を聞いて成功を確信。小陽の様子を伺おうと意気揚々(よう)と廊下に出たが彼女の姿がない。不審に思い少し歩くと階段に横たわっているのを見つける。駆け付けようとしてそのまま鉄条網に突っ込む。何だこれと言った所で自身が設置した鉄条網以外の何物でもない。
「ッダァー痛ええ!! グガガガガ……」
出血は免れないだろうが刺針部の鋭利さをかなり抑えて作ったので大した程度ではない。どちらかといえば少し大袈裟だ。
「大丈夫!? 今行くから!」
「来るなッ!!」
小陽はアルヴァを助けるべく慌てて体を起こそうとしている所。余りの大声に中途半端な体勢で硬直する。
彼の言葉の後。そこに在る一切が静止したかのような間。現実を一時停止してしまったように何ものも動かない。
小陽の言葉の意味を理解した途端の、自分の痛みよりも遥かに切実な静止の声。
「……大丈夫」
夜に向かうにつれ影が伸びるような速度で、アルヴァは静止を解き静かに声を上げる。
果たしてどんな表情だったのだろうか。そんな言動で彼女が安心するだろうか。
「俺は大丈夫だ」
強張る顔を緩くするよう努めながら復唱する。特に意識はしていなかったがなぜか小さく身震いした。
「……誰だこんな所にこんなもん置いた奴は」
自分以外の何者でもない。
非常に空間が悪くしかし何も思いつかず、どうにか言葉を絞り出した。咄嗟ながら冗談のつもりだったのだが、多少なりともの出血を伴っていたため小陽はそれ所ではなく、恐らく冗談にはなっていなかった。
「あぁ、その、……おかえり」
反応が来そうにないので先手に出た。ばつが悪そうに顔を気持ち斜に向け、その目は小陽ではないどこかを見ている。
「あ。ただいま……」
階段の途中から、鉄条網のすぐ向こうで佇むアルヴァを見上げる。余りの出来事に周りを忘れていたが、気が付くと小陽は正座していた。段をはみ出した足首から先が宙に浮いている。
「だ、大丈夫……?」
「大丈夫。お前は大丈夫か?」
「う、うん……。僕は、大丈夫だよ?」
彼女はゆっくりと立ちあがったがどうしたものかと逡巡した挙句、何だかよくわからない表情を顔に貼り付け胸の前で掌を見せた。何のジェスチャーなのかも又よくわからない。
「そうか。大丈夫なら良かった。……悪かった」
鉄条網を介した問答はしばし続く。
作る。放置したそれの様子を見に行く。それらを収納・携行するための入れ物を作る。鉄条網同様に放置・様子見。家まで運ぶ。鉄条網を作るのに必要な情報を得る最中に血眼の老人に追いかけられそうになったという恐怖もある。
そういった努力や苦労の末、何度威嚇しても部屋に入ってくる厄介者を遠ざける事に成功したらしく、少しハイになっていた所。小陽が階段から落ちてアルヴァは冷や水、具体的には有刺鉄線を浴びせられる形となった。その悲しみたるや。
「ううん! 大丈夫だよ!」
少しでも歩み寄りを見せようものならここぞとばかりに増長する小陽でも、この時ばかりは流石に鉄条網の向こうで流血する彼を慮った。
斜に構えたアルヴァの表情は小陽にはよくわからなかった。
有刺鉄線の先端に控えめに付着する赤く錆びた鉄。
アルヴァは暫く放心していたが、何かに思い至ると、ローブの袖で有刺鉄線に付着した血を拭き取り、踵を返してとぼとぼと自室に帰って行った。
「晩飯、作ってくれ」
背中で告げる。
「う、うん! い、いつもよりいっぱい、作るね!」
せめてもの慰めの言葉を受け取ったアルヴァは、腰程の高さで力なく左手を揺らした。
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自室のドアを力なく閉め、ゆっくりと長い息を吐く。やる方なくその場に佇む。
彼女を遠ざけられるというメリットがあれば当然デメリットもある。自分が出入りする場合だ。小陽が入って来られないという事はアルヴァが出て行けないという事に他ならない。
彼女を近付けない事ばかりに注意を払っていたため、ほんの今の今、身を以てようやくその問題に気付いた。
項垂れる。どうしてそんなわかり切った事に事前に気付かなかったのか。
"魔法"を使えば事が足りるが、それでは本末転倒。何の為に人気のない山に足繁く通ったのかという事になる。
ドアノブに触れた。水色の生地に白の水玉ドットが散ったカバーで覆われている。よくすべるので、はっきり言って実用的ではない。
本格的に別の経路を考える前に一応体の怪我を確認する。どこにも出血箇所は見られない。ドアノブに手を掛けた頃には既に治癒しきっていた。傷が治っていく瞬間を何となく小陽には見せたくなかった。
憑素が損傷を修復する。現世界の人間が毒を飲んだとてそれに冒される事がないのと同類の反応――あるいは憑素の意志――と考えられている。
所詮体表を多少抉る程度の痛みなど、すぐに消えてなくなる。すぐに忘れる。




