探索2
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アルヴァはホームセンターを飛び出すと、そのまま逃げるようにして無心に道を駆ける。
しばらくして周りを取り戻した頃に、一旦後ろを振り返る。別に誰が追いかけて来るというわけでもなく、アルヴァは胸をなでおろす。
同時に、ここに来て金を持っていない事に気付いた。
彼の長らくの生活の中では一切の金銭は必要とされず、硬貨や紙幣といった物には触れた事も、現物を見た事すらなかった。そんな彼にとってはむしろ持たない事こそが自然だった。
この世界のルールに則って得るものを得る為には金銭が必要になって来るが、果たしてそれをどうやって調達するか。
値段にかかわらず小陽にねだるのは避けたい。事実上完全居候の上、彼女を遠ざけるための物を彼女自身に払わせるという行為に少なからずの後ろめたさを感じる。
さりとて通貨を偽造するというのは法に触れると聞いていたし、もしそれがばれてしまうと、それは非常に厄介で、最悪の場合現世界の存在が一気に知れ渡る事も考えられる。
そういうわけで、金で買わないのならば自分で作るしかない。
所で、彼の元居た世界では、例えば工具や園芸用品や掃除道具などのうちに、本来の目的に用いられているものは恐らく存在しない。そんなものを必要としなくても最初から完成した家具を、成長した植物を自ら作り出せばいい。出すも消すもただ念じるだけなので、掃除道具など用いるとかえって効率が下がる。
そういった背景に依る所が大きく、何か使えそうなものを物色するという本来の目的が、まるで博物館に居るような高揚感により忘我の地へと追いやられてしまっていた。
だから、まだ本格的に目的をどこかへ喪失させる前に、半屋外にそれを見出したのは運がいいとと言えただろう。
木片売り場に木でできた長さ百五十センチメートル程度の杭を確認していた。
――これを二階に上がってすぐ、小陽が自身の部屋に入れるスペースだけは確保して設置しよう。そうすればそこから先へは入って来ねえだろう。
――まさか直接廊下に打ち込むわけにもいかねえけど、だからって尖った方を上に向けたら、もし小陽が柵を乗り越えて来たらかなり危険だ。
――入って来られたくはないが、同じぐらい嫌な事だってある。
――尖った部分を切り落としておかなければならないな。だったら最初から丸太を出せばいいのではないか?
――しかしそれでは簡単に倒れてしまう。
――少し工夫しなきゃならねえな。
などと思案しながら歩いていると、橋が見えてきた。その橋の上からは、遠くまで河川敷を見渡す事が出来た。
強くはないが少し湿り気を含んだ風を無為に浴びていただけではなかった。
アルヴァは今いる所からどれだけか離れた場所にうってつけのものを見つけると、橋の脇にあった緩やかな坂道から河川敷に降りた。
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その河川敷はあまり広くはなく、グラウンドが二面あって、すれ違いが出来る程の幅はないにせよ一応の車道はあるといった程度で、対岸側に関しても概ね同じような規模だ。
橋の上よりも強く、また、湿り気を多く含んだ風が吹く。
河川敷に降りて、自分が先程立っていた橋と反対の方に数分も歩かない内に、だんだんと足場が狭くなってきた。それでも構わずもうしばらく進むと、十数条程度の畝が見えた。どういった植物なのかまではわからないが、よく見ると小さな芽が出ているのが確認できた。
しかし、幅数十センチメートルに渡り、障壁が横たわっているため、こちらからそこへは行く事が出来ない。ただ、別に畑泥棒に来たわけではないのだからそれは一向に構わない。
アルヴァと畑を隔てる障壁。これこそが彼の目を引いたうってつけのものである。
ホームセンターで見たような木の杭が数本打ち付けられ、それらを鉄線で繋いでいる。その鉄線をよく見ると、両端を鋭くとがらせた短い鉄線が巻きつけられ、等間隔に並んでいる。
有刺鉄線の鉄条網である。
アルヴァはこれを観察する。
木と有刺鉄線それぞれの形状、材質、手で触れた時の感触、軽く叩いてみた時の音、漂う匂い。杭のてっぺんから覗く年輪の密さ。己の主観を限りなく排除してすら未だ残る雰囲気やオーラとも形容可能な何か。対象から得られる限り全ての情報を脳に送り込むように、全身で観察する。
有刺鉄線に指で触れ、その鋭利さを知る。
見た目よりも刺さり易い。わずかに触れたつもりだったが、親指の腹からは球状の血が姿を見せた。
「おいお前!! そこで何をしている!!」
突如、アルヴァに向かって大声が投げかけられた。鉄条網に意識を集中していたため、完全な不意打ちで、心臓が破裂したかのような心地を得た。
その一瞬遅れで声の方を見ると、鉄条網の向こう、畑の更に向こうから、小柄でしわくちゃの老人が物凄い血相でこちらに向かって駆けてきている。
人目もはばからず、年相応とは思えない大音声をまき散らしながら突進してくる様は壮絶で、アルヴァは恐怖を覚えた。
この日二度目の逃走は、一度目とは比べ物にならない必死さがあった。
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店の開店時間を考え、少し遅めに家を出た。時刻はそろそろ正午を刻む頃だろうか。
あの老人の顔は当分思い出したくない。
この町の中心部を南に行けば、決して高くはないが市を代表する山がある。
アルヴァは今、その山の麓、そこから中腹へと続いている細い一本道を脇に逸れてしばらく進んだ所にある鬱蒼とした繁みの中に居る。そうそう人が寄ってくるような場所ではないだろう。
件の老人の形相は確かに恐怖ではあったが、それが理由でこんな所まで逃げてきたわけではない。
どうやって彼女を遠ざけるか、その方法は見つかった。次はそのために必要なものを作らなければならない。
だから彼はここに居る。何の工具もなく、あるのは本当の意味での自然ばかりだが、彼からしてみれば作業場と表現して差し支えないだろう。
邪魔は入ったが、あの河川敷にあった杭と有刺鉄線は”覚えた”。
アルヴァは瞳を閉じる。瞼の裏に、覚えたばかりのそれを思い描く。
まず、河川敷で見たそのままの鉄条網を、五感全てで得た情報をその全てあるいはそのいずれでもない感覚で捉える。
ゆっくりと呼吸する。
日常的に出したり消したりしているものではないので少しばかり時間が必要。しかしそれも二、三呼吸の間の事。次に、同じようにしてそれを自分が意図した用途に適した形に頭の中で調整する。
あの廊下を塞ぐにはどれぐらいの幅があればよいか、高さはどうか。有刺鉄線の鋭利さをどこまで落とすか。杭の先端を平らにするのを忘れてはいけない。他にもあそこの廊下に構える為に幾らか形を変える必要がある。
頭の中で一度構築したものを作りかえるのにはさらに時間を要したが、彼の意識の中でそれは着実に完成形に近づいてきている。
――いける。
遅くもなく早くもない速度で目蓋を開ける。瞳はある一点を静かな、それでいて確かに熱を含んだ眼差しで捉える。
すると、そこには何の前触れもなく鉄条網が顕現した。能力を使う前には無かった物が、まるで以前からあったかのようにしてそこにある。
アルヴァがこの場所を選んだのには色々な理由がある。衆人環視の中で今のような能力を使用したらただ事で住む筈がない。そのせいで自分達が居る世界が広く認知されるようになるかもしれない。それは非常に厄介だ。また、ただ単純に自分が目立つのが嫌という事もある。
そして、もっと直接的な理由がアルヴァにはある。
人間から放出され物体として形を変えた憑素。例えばある物体を発現させるのに幾らかの憑素を放出させたとすると、そのうちごくわずかな部分は物体に変化する事無く憑素のままでその物体に居留まる。そしてそれは決してゼロにはならないが時間が経つにつれ減少していくと考えられている。
現世界の最先端の科学で以てしても、憑素は視覚的に、そして、数値として捉える事すらできていない現状である。だから、どれぐらい置いておけば旧世界人にとって安全なレベルまで減少するかというのは、これまでの経験から判断せざるを得ない。
本当は減少し切ったとしてもできればなるべく長く置いておきたいが、その間にも小陽は自分に近付いて来るだろうし、誰かに見つかって鉄条網が撤去されてしまえばやり直しで更に時間が必要になる。
今自分が作り出したものを、繁みの更に深く、どこか人目に付かないような所に隠した。
鉄条網を運ぶ最中、束ねた有刺鉄線がそれらを抱えた腕を刺す事は無かった。それどころか長袖のローブにも穴一つ付いていなかった。
これならば大丈夫だろう。無意識にそう思いはしたが、考え直してみると一体何が大丈夫なのかよくわからなかった。
しかしその事は別段あまり深くは考えず、この日は麓を後にした。
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「…………」
やはりこの格好は目立つようだ。
フードを下した所でそれが一体どれだけ彼がこの街に混ざり合うのに寄与しうるだろうか。
時刻は正午を過ぎた所で人通りはあまりないが、人の行き来が少ないが故に一つ一つの視線を殊更強く感じる。なるべく人通りの少ないだろう裏通りを選んでいるのだが、完全に誰とも遭遇しないというのはどうやら不可能のようだ。
そんな中、帰路を歩みながらも我が意識を、突き刺さる視線の中からある一定の方向に集中させる。足音すら逃さぬと、意識を集める。
それに気づいたのはいつからか。
投げかけられてはすぐに褪せていく好奇の視線の数々。その中にたった一つ、決して引き剥がされる事のない異質な視線を感じる。
後をつけられている。
近付くでもなくかといって遠ざかる気配もなく、一定の距離を保ったまま。自分がそれに気付いてから既に数百メートルは進んでいるだろうにもかかわらず、ずっとこの状態が続いている。単なる好奇心でこんな事をしているとは考えにくい。
他に選択肢がなかったとはいえ、こんな格好で外出したことを後悔した。やはり自分のような人間を標的にするものなのだろうか。いつかのテレビのニュースで見た通り魔事件を思い出す。
さり気無さを装って後ろを振り向く。人相や体格までを把握する事は叶わなかったが、彼の動きに呼応するようにして、何者かが物陰に身を隠す様を一瞬だけ捉えた。
間違いない。
果たして襲ってくるのだろうか。
慎重な行動とは対照的に、思考はどことなく他人事のようでどこか緊張感に欠いている。
それもそのはず。襲われたとしてもこの距離ならば注意していれば不意を突かれる事はないだろう。不意を突かれない以上は現世界人が旧世界人に後れを取るなどという事は恐らくない。
しかし、彼がその力を使うのは、本当に命の危険に晒された時に最小限と決めている。だから、捕まえるという選択肢は最初から存在しない。
後をつけて来る誰かを意識したまましばらく道を行き、交差点に差し掛かった。そこでアルヴァは再び振り返る。今度は緩慢に。
――通り魔の顔を確認する事はできなかったか。まあ別に確認できた所でどうなるなんて事でもねえがな。
アルヴァは俄に前に向き直ると、振り返った時とはうってかわっての俊敏な動作で駆け出し、そのままの勢いで交差点を右に曲がった。
つけられている事に気付いた時点でする事は決まっていた。撒く。それだけ。
交差点を曲がるとそこは大通り、午前中アルヴァが歩いた道だ。交差点から急にブロンドヘアーにローブの男が飛び出して来れば、否応なしに観衆の目を引くだろうが仕方ない。裏通りに比べれば人通りは多く、通り魔も事を為し難いだろう。
速度を落とししばらく歩いた所で振り返る。それらしい人影はなかった。うまく撒けたようだ。アルヴァは鼻から呼気を逃がし、そのまま帰路に着く。
その道すがら、アルヴァはこれからの生活を憂う。通り魔はどうにでもなるとして、外に出るたび今日のようにたくさん視線を浴びる。
ましてやあの鉄条網を持って帰るとなればますますだ。何か対策を練る必要がある。
どうしたものか。




