第40話 ゲロイン…もといヒロインは開き直る
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
“泣いているだけでいいのか?”
アナスタシアを、キチクナンジャーどもの悪意から護る盾になれなかったことへの無力感と自己嫌悪、そしてアナスタシアに対する罪悪感から『お花畑』の汚い床に突っ伏して泣き続けていたわたしの耳に、その声なき声が響いた。
“お前がこの世界に転生した時に心に定めた目的は、こんな腐った悪意に負けるほど脆弱なものだったのか?”
その声がどこから響いたかは判らない。だが、その声はわたしの鼓膜に音なき、しかして轟々たる声を響かせていた。
“その程度でくじけるのであれば是非もない。あの者たちを堕とし、彼女を破滅に追いやればいい。そうすればお前は当世屈指の美男どもに傅かれて幸せになれる。何を躊躇うことがある?”
「ふっ…ふざっけるんじゃないわよ!!」
そう叫ぶと同時にわたしは眼鏡を普段なら決してそうはしないほど乱暴に外し、泣き濡れた目と涙に濡れた頬、ついでに鼻水と涎でベトベトになった口元と鼻先をブレザーの袖で拭い、かけ直した眼鏡越しに険悪な視線を何者かに向けた。
「こんな程度で引き下がっちゃいられない…吐き気なんかに負けて、この世界に転生してきた目的を諦めてたまるものですか!」
◇◆◇
そのまま『お花畑』を飛び出すように出て、脱兎の如く教室に戻って勢いよく教室の扉を音が立つ勢いで開けると…既に授業は始まっていた。派手な音を立てて扉が開いたため、キチクナンジャーどもやアナスタシア、あと彼女の取り巻き令嬢やアレンさんに至るまで、生徒たち全員の目線がわたしに集まっている。
もちろん、この時限、歴史の担当教師の目も例外ではない。
「エイミー・フォン・ブレイエス嬢、今まで何をしていたのですか?」
口元だけはにこやかに、しかし全身から怒りの冷気を発しながら彼はわたしに問うた。彼も、氷魔法のスキル持ちだったのである。もっとも、加護自体は授かっていないため、その冷気はさほど強くなく、全速力で教室に戻って火照った体にはむしろ心地いいくらいだ。が、その怒りは恐怖に値した。彼は、並いる教師陣の中でも厳しいと評判だったのである。
「はっ…はいッ…!悪心がありましたので、小間物屋を開いておりました。授業を騒がしてしまい、申し訳ありません」
この表現は、つまりそういう意味なのである。卑しくも貴族令嬢たる身、『気持ち悪かったんで、ゲロ吐いてました。さーせん』などと言ってはいけないのだ。
「そうですか…ならば、無理に授業など受けず、休んでいても良いのですよ」
担当教師が発する冷気はやむことはない。授業を騒がしたわたしは、彼にとっては許すべからざる罪人だ。上の教師の発言を翻訳すれば、『お前に授業を受ける資格はない、出て失せろ』というところだろう。
わたしは教師に頭を下げ、懸命に、懇願するように言葉を繋いだ。
「もう大丈夫です。授業を騒がしてしまいましたこと、幾重にもお詫び申し上げます。何卒、先生の授業を受けることをお許し下さい。無論、この不始末に対する罰として、進んで晒し者とならせて頂きたく存じます」
わたしがそういうと、彼が発する冷気が和らいだ気がした。彼の心情を勝手に斟酌するなれば、『罪人なれど、その神妙なる心がけや良し』といったところか。
「そうですか…ならば、そのまま授業を受けていなさい」
要は、立ったままで授業を受けろ、ということだ。わたしは最敬礼をして、「寛大なるご処置、ありがとうございます」と答えた。
…やれやれ、何とか事態は収まった。かくてわたしは、ご令嬢様方の噛み殺したような嘲笑を拝聴しながら立ったまま授業を受けるハメになったのだが、まぁいいや。さして苦にならんし、放っとこう。
◇◆◇
「エイミー嬢、体調が優れなかったのか?」
歴史の授業が終わり、漸く席に着くことを許されたわたしが椅子に座り込むと、早速キチクナンジャーどもがわたしの側に集まってきた。奴らの瘴気にまた嘔気を催しかけるが、強引に飲み込むと口を開く。口の周囲に両手をやっているのは、吐瀉物の臭いを極力させないためである。…さっきうっかり口を濯ぎ損ねたのだ。
「お、王太子殿下にお答え申し上げます。か、斯くも貴顕の皆様方にご注目を頂き…っぷ、頂きましたるは初めてのことゆえ、うぷっ…き、緊張のあまり嘔気をも、催してしまいました。み、うぇっ…皆様方にご不快な、おぅぇっ…お気持ちを…お与え申し上げるは…うげっ…も、申し訳なき事ゆえ、う、げっ…な、何卒…わたくしのことはご放念下されたく…うぇっぷ…こ、この通り、お、お願い申し上げる、し…うぇっ…次第にございます」
途中で嘔気に伴うえずきが入っているため、わたしの真意が理解しにくい諸賢もおられることと思う。以下に翻訳文を披瀝させて頂きたい。
お前らが放出する瘴気のせいでわたしはゲロついてるんだよ!!頼むからほっといてくれ!頼むから!お願いだから!!
このわたしの懇願を、バカ太子は全くもってあり得ない解釈をしたようだ。
「…エイミー嬢、君は相当に体調が悪いようだね。医務室で休むといい。俺が連れて行ってあげよう」
…いらねぇ!死んでもいらねぇ!!わたしが体調が悪いとしたら、それはお前らのせいだ!お前らの瘴気のせいで、わたしはゲロついてるんだよ!!
がたん!!と派手に音を立てて立ち上がり、両手を口に遣ったまま、もう一度わたしは『お花畑』まで走った。当然、キチクナンジャーどもは置いてきぼりである。そのまま『お花畑』の一個室に籠り、「げええぇえぇぇっ…!!」と貰いそうな大声を立ててはみたものの、胃ノ腑の中は空っぽで何も出てこなかった。
結局、わたしはその日体調不良ということで学園を早退し、ギルドのアルバイトも休ませてもらった。ヨハネスさん、ごめんなさい。
◇◆◇
「お腹すいた…」
貴族用女子寮の自室のベッドに横たわりながら、わたしは力なく呟いた。学園でひどく嘔吐したと聞いて食中りを心配したお付きのメイドさんが、頑として昼食・夕食を摂らせてくれなかったのだ。流石はロ〇テン〇イヤ〇さんである。ここ一番での頑固ぶりは半端ではない。
ついでに言うと、『お花畑』で涙と鼻水と涎まみれになっていた顔を乱暴に拭ったためブレザーの袖がカピカピになってしまったことについて、すごく叱られてしまった。ロッ○ンマ○ヤーさんの迫力で叱られたのである。…怖かった…
そのため、わたしはぐるぐると執拗に鳴り続ける空きっ腹を抱えてベッドに横たわっているのである。空腹が過ぎて、眠気も訪れない。それにしても…
キチクナンジャーどもが発する、瘴気とアナスタシアに対する悪意にいちいち中てられてゲロっているようでは話にならない。ガラスのように繊細なわたしの心は、全く好意に値しない。生理的不快感、嫌悪感というものはどうしようもないとはいえ、”ちょっと胸がむかつく” 程度で済む程度には耐性をつけておく必要がある。
なぜわたしはこんなに奴らの瘴気と悪意に耐性がないのか?多分、前世のわたし、『俺』がブラック企業で糞上司から受けていたパワハラと無関係ではないだろう。
「グロ耐性とスカ耐性の一部を人の悪意に対する耐性に分けて欲しいわね…」
正直途方に暮れた。魔力の増強とか、S級治癒魔法の発動機序の確立とかいう話とは、全く次元が違うのである。おそらく、この手の話についてはバインツ侯爵閣下が遺された文献を当たっても対処法は見つけられないだろう。
結局、奴らの瘴気や悪意に対して嫌悪感や不快感を覚えてしまうところに問題の源泉がある。全くそれらを覚えなくなってしまうか、あるいは覚えても無視できる程度に慣れてしまえばいいのだ。
前者は問題外。人として失ってはならない大切な何かを失ってしまう気がする。
であったらば後者しか選択肢がないが、さてどうしたものか…
◇◆◇
空きっ腹とは恐ろしい。碌に胃ノ腑に物を入れていなかったわたしに下った天啓は、到底正気の沙汰とは言いがたいものであった。
…せや!奴らの、瘴気や悪意よりも強烈な不快感、嫌悪感に慣れてしまえばええんや!そして、わたしはその強烈な不快感、嫌悪感を、自分に対しても他人に対しても惹起する手段を知っているやで!あの激烈極まりない不快感、嫌悪感に比べれば、あのクズどもの発する瘴気や悪意如き屁ガスでしかないんやで!!
この見事な結論に至った自分の智略が怖いで!今のわたしやったら、全盛期の森ライ〇ンズはおろか、V9時代のジャ〇ア〇ツですら敵やないやで!ククククッ…!!
テンションの過剰亢進によって、関西弁の出来損ないのような思考形態に陥ってしまったわたしは、ヒロインにあるまじきことに目をギラつかせ、不気味な含み笑いすら上げながらベッドの上で丸くなっていた。
しかしそれにしても…「お腹すいた…」
空腹が極限に達したら、ヒロインと言えども
なんJ民になってもおかしくないですよね。
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