第182話 ヒロインは一天万乗の君と会話する
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
…うめぇ!この晩餐会の料理、冷めててもうめぇ!!
わたしは、去年の12月にここで行われたパーティーで碌に料理を食べられなかった怨みを晴らすかの如く、片っ端から料理を取ってきては食べまくっていた。
この世界のパーティーや晩餐会では、バイキング形式の立食パーティーになるのが通例である。まぁそっちの方が作る側も手間かからんでいいからね。一つ一つの皿に盛らんでも、大皿に料理をどん!と置いて賓客に取って貰えばいいんだし。
…ちなみにそんなことやってると、こんな事態も生じたりする。
「エイミー嬢、予はそのテリーヌを取りたいのだ。済まぬが少し避けてくれ」
…そう、事もあろうに新興男爵家の娘が国王陛下の邪魔をしちまうという事態である。わたしは慌てて避け、場所を陛下に譲った。
「へ、陛下!も、申し訳ありません!」
慌てて場所を譲ったわたしに対し、陛下は鷹揚に笑いかけてくれた。
「構わぬ構わぬ。予こそ、驚かせたようで済まなかった。時に…」
国王陛下はダンスホールの中央部に目を遣った。そこでは、貴顕の皆様や紳士淑女の卵たちが音楽に合わせてダンスを踊っている。アレンさんはアナと、マーガレットやイザベラはどっかの年長の若様と。でもって、オスカーはどっかの奥方様と。
流石にアレンさんもダンスまでは修得できなかったようで、その所作はぎこちない。アナの秀逸なリードなくんば、途中で足を縺れさせてすっ転んでいただろう。
「エイミー嬢は、ダンスは踊らぬのかね?」
「国王陛下にお答え申し上げます。わたくしは、ダンスの心得は全くございませぬ。お誘い下さる方はいらっしゃるのですが…」
咄嗟に下手な淑女の礼を執って答えた返事は、国王陛下に笑いを齎した。この、笑いのネ申のウケを取れたのは、正直誇らしい。
「その方の足を踏んでしまってはコトなので、全てお断り申し上げております」
「ふっ…あっはははっ…!そうか。王妃が申しておった通りだな。エイミー嬢は、治癒魔法の他は全く貴族令嬢の嗜みに疎いと」
執っていたカーテシーが、危うくずっこけそうになった。そのわたしのザマを見る陛下の目には、暖かく優しいものが宿っている。
「その代わり、そなたには素晴らしい才が宿っておるではないか。かの “治癒の賢者” ことレオンハルト・フォン・バインツ侯爵の最後の、そして最優秀の弟子と専らの評判、予の如き治癒魔法の門外漢も存じておるぞ」
「国王陛下にお答え申し上げます。誠にありがたきお言葉、心よりお礼申し上げます。卑賎の身の噂にてお耳をお汚し申し上げたる非礼、お赦し下さいませ」
陛下はその返答に対し、ふ、と微笑みを漏らした。
「どうだな、エイミー嬢。座って話でもせぬか?」
国王陛下のお誘いは、新興男爵家の娘にとっては実質命令である。断ることなど思いもよらないし、立ってばかりでちとくたびれた。渡りに船だ。
「ありがとうございます。謹んで、お相手させて頂きます」
◇◆◇
国王陛下とわたしは、ダンスホールを内側から囲むように設置された椅子の一角に向かって歩いていた。やがて適当なところで陛下が椅子に座する。
それにしても、言っておかなくてはならないことが一つある。バイ…バインツ侯爵閣下の息子を僭称する『あの野郎』に対しても、ジュークス子爵様ご夫妻に対しても言ったことだ。…覚悟を決めて、わたしは口を開いた。
「…陛下、卑賎の身の発言をお許し頂けましょうか?」
「…?さし許す、何なりと申すが良い」
わたしは深呼吸し、椅子に座する国王陛下の前に跪いて罪人の礼を執った。
「…!?」
「わたくしは、昨年の王立高等学園の卒業進級祝賀パーティーにあって、カールハインツ廃太子殿下に対し、非礼この上ない挙を為してしまいました。今更ではございますが、そのことを謝罪させて頂きたく存じます」
御前に跪いて両手をつき、頭を下げるわたしの目には陛下がどのような表情をしているからは判らない。だが、わたしに向けられた声には、険しさはなかった。
「エイミー嬢、謝罪は不要だ。あの際のそなたの糾弾に対し、彼奴は反省し、アナスタシア嬢に対し為した暴挙について謝罪せねばならなかったのだ。それに、そなたに斯様なことをされては、予も彼奴がそなたを穢さんとおぞましい謀略を企てていたことについて謝罪せねばならぬ。さし許す、その罪人の礼を解くがよい」
「国王陛下にお答え申し上げます。ありがたきお言葉、幾重にも感謝致します」
わたしはそう言って立ち上がり、不敬とは思ったものの国王陛下と並んで座った。そのことに頓着せずワイングラスを軽く傾け、口中に漂う芳香を暫く堪能した後で嚥下し、陛下は口を開いた。その目に宿った穏やかな光は、変わることはない。
「そなたには、予てより興味を持っておった。あの愚か者をはじめとして、ウェスタデールのクロード王子、ウィムレット公子、ジュークス公子、あと…バインツ侯爵の血の繋がった他人、であったか?それらを悉く籠絡し、手玉にとって堕落させた、蠱惑の才に優れた色恋沙汰の剛の者であると」
正直安堵した。『あいつ』のことを、バインツ侯爵閣下と同じ姓で呼ばれることは耐え難い。しかしながら、まさか国王陛下にキツい態度を取るわけにもいかない。『バインツ公子』などと呼ばれたら、反応に困るところだった。
…せやけど、人をサキュバスみたく言うのはやめて下さいお願いします。
「ラムズレット公から聞いておったでな。かの “賢者” の加護に値しない愚物を姓で呼ぶは、エイミー嬢にとって絶対禁忌であると。そう予に教えてくれた時の彼の顔は見物であったぞ。あの剛毅者が、エイミー嬢の剣幕に怖気を振るっておった」
ふふっ、と陛下が低い笑い声を上げた。
「公は、そなたがアナスタシア嬢のためにそうしてくれた、と言っていた。アナスタシア嬢はあの愚物のために誠心誠意尽くしていたにも拘らず、彼奴はアナスタシア嬢を疎んじ、他の者どもとつるんで彼女に手酷い仕打ちをしておった、それをそなたは見るに見兼ねて彼奴から彼女を解放したくてそのような挙に及んだ、とな」
「国王陛下にお答え申し上げます。廃太子殿下とその取り巻きのアナスタシア様に対する態度は、仰せの通り見るに耐えぬものでございました」
わたしのその返答に、陛下はワイングラスを傍の机に置いて両目の間を抓るようにつまみ、僅かに熟柿の臭いが漂う嘆息を漏らした。
「斯様なことだけはないように、彼奴には何本も釘を刺しておいたのだがな…アナスタシア嬢はお前より遥かに優秀だ、それにお前の強力な後ろ盾となってくれるラムズレット公の愛娘だ、故にお前は彼女を尊重して決して蔑ろにすることなかれと、口を酸ゆくして言っておったのに、どうしてこうなったことか…」
それがダメだったんじゃないですか?事あるごとにそう言われ続けていたら、そりゃ反発もしたくなるってものですよ。
「予は決して斯様なことはなかったのだがな…王立初等学園に通っておった頃から、ゲルハルトが予よりも遥かに優秀なことはイヤというほど判っておったから、彼に予が股肱として共に国を支えて貰えればと、斯様なことのみ考えておった。予如きができたことだ、 “英雄” と “炎魔法” の二つの加護を授かっておった彼奴なら造作もないことだ、そう思っておったのだが…」
…父親がこれだけの器量人だのに、何で息子はあんなにケツの穴が狭いんだよ?
「ゲルハルト、クラリス、リヒテンハイム伯…予は、周囲の人間に恵まれた。彼奴は、そういうことがなかったのだろうな」
…えっと、一番目がラムズレット公爵閣下で二番目が王妃陛下ですよね。三番目の人は…一体誰ですか?
「あぁ、リヒテンハイム伯か。今の宰相でな、幼少の頃から予の家庭教師をしてくれておった。予はこの通りの凡主庸君なのでな、彼のお蔭でこのセントラーレン王国が回っておるようなものだ。しかし…」
国王陛下はふっ、ふっ、と笑いを漏らした。そこに続くは、わたしに対する軽い揶揄の声。だがそこには、悪意はなかった。
「聞きしに勝る、とはこのことだな。エイミー嬢は、治癒魔法以外には全く興味はないと見える。この国の宰相の姓を知らぬ貴族令嬢など、他にはおらぬぞ」
「うぎッ…!…か、返す言葉もございません…」
穏やかな笑みを絶やさず、陛下は「構わぬよ」と手を振った。
「皆一様に同じ貴族令嬢ばかりでは、面白みがないというものだ。そなたのような貴族令嬢がおっても、一向に構わぬではないか。…それはそうと、そのドレスはなかなかそなたの雰囲気に似合っていてよいな。愛らしいぞ」
「ありがとうございます。このドレスは、アルトムント伯爵令嬢のマーガレット様とリュインベルグ子爵令嬢のイザベラ様が見立てて下さったんです」
国王陛下は、優しい声をわたしに向けてくれた。
「そうか。よい友だちを持ったな。大切にするのだぞ」
◇◆◇
「…陛下、ご自身の娘ほどの貴族令嬢に言い寄るとは、何をお考えですかな?」
公爵閣下の厳つい声が聞こえた。言葉とは裏腹に、口調に険悪さは微塵もない。
「誰かと思えばラムズレット公か。無粋をするでない、もう少しでエイミー嬢を落とせたというに。エイミー嬢は、予の手練手管の前にメロメロであったのだぞ」
おいちょっと待ったれ。陛下、わたしとの会話でちっとも口説くような様子見せてなかったやないですかい。公爵閣下の後ろの、王妃陛下の視線が怖いんですけど。
「陛下―当時の王太子殿下はクラリス様と婚約なされてからも、他のご令嬢様に言い寄っては袖にされておられましたな。そのご令嬢様方が、王太子殿下を何とかして欲しいとクラリス様に泣きついて、そしてクラリス様が先王陛下に言上申し上げられて、で当時王太子であられた陛下が先王陛下に打擲混じりに叱責を受ける、までが一セットであったと、臣は記憶致しおります」
公爵閣下がニヤリ笑いを浮かべながら陛下の黒歴史を暴くも、陛下は平然たるものだ。メイドさんから新たなワイングラスを受け取ると、それで喉を湿す。それを見る王妃陛下は、扇で口元を隠しながらわたしに労いの声をかけてくれた。
「エイミー嬢、斯様な狒々親父に言い寄られ、さぞ怖かったことでしょう。もう心配は要りませぬ、ドラゴラント伯やアナスタシア嬢と会話を楽しんで参りゃれ」
奥方様に狒々親父呼ばわりされても、陛下は飄々たるものだ。
「ゲルハルトもクラリスも、生憎であったな。先王陛下が、予を打擲しておられた杖と共に天国に旅立たれた今、予に怖いものなどない。市井の酒場にて酒を楽しむも、賭場にて博打を楽しむも、娼館に入り浸るも、はたまた己の娘のような歳ころの貴族令嬢を口説くも予の思いのままだ」
王妃陛下が扇で口元を隠したまま、陛下に言葉を向けた。
「斯様なこと、睫毛の先ほども思し召しになっていらっしゃらぬのでしょう?陛下は、お若い頃から『そのようなこと、無駄金遣いでしかないからやりたくない』と仰せではございませんでしたか?」
「その通りだ。だから、予は斯様なことはせなんだし、向後もするつもりはない」
「ならばわざわざ、口の端にお上せになるのはおやめなさいませ」
そこにストッパーが現れた。エリザヴェータ様である。
「バルティーユ様も、ゲルハルト様も、クラリス様もほどほどになさいまし。エイミー嬢が、困っておられるではありませんか」
はい、確かに困ってました。笑いを堪えるのに苦しくて。
…と、エリザヴェータ様はわたしの耳元に小声を置いた。…そう表現するのが適切と思われるような、ささやかな声と吐息が耳にかかり、くすぐったさに身悶える。
「エイミーさん、私たちは昔話に花を咲かせたいのでご遠慮下さいな」
あ、そうですね。それじゃ、わたしがここにいては無粋ですね。すぐ退散します。わたしは改めて拙い淑女の礼を執り、その場をご無礼することを告げ、すぐ近くでジュースと料理を摂りながら談笑していたわたしの親友たちのところに向かった。
…ふと振り返ると、王立高等学園の制服を身に着けた四人の男女が気の置けぬ会話に花を咲かせていた、そのような光景を見たような錯覚を覚えた。
ヒロインを、『最低最悪』のパパンに謝らせる必要があるかな、と
思ったので、このエピを執筆致しました。
ブックマークといいね評価、また星の評価を下さった皆様には、
本当にありがたく、心よりお礼申し上げます。
厚かましいお願いではありますが、感想やレビューも
頂きたく、心よりお願い申し上げます。