第180話 ヒロインは取り巻き令嬢たちにドレスを見立てて貰う
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
文化祭の出し物は、路線変更を余儀なくされることとなった。
最初はアナが提唱した『この国の平民、それも貧民と呼ばれる層の生活を紹介し、彼らの生活形態から見えてくるこの国の民政の課題点を浮き彫りにする』という内容で纏める予定であった。
しかし、アレンさんの大功績によってこれまで外患対策に向けていたリソースの90%超を国内の懸案事項に回すことができるようになり、また実際に貧民街の開発という形でそうしたことにより爆発的に労働需要が生まれたため、所謂貧民と言われる層の生活水準は凄まじい勢いで向上している。
民草にとっては、仕事がある、仕事をすれば金になる、金があれば生活がよくなる、生活がよくなることは仕事へのモチベに繋がって更に仕事に精を出す、という正のスパイラルが働いてルールデンでは空前の高度経済成長が期待されていた。
「…こんな状況では、貧民層の生活から民政の課題点は見えてきそうにないな」
アナが苦笑交じりに評したのも宜なるかなである。まだまだ貧民と呼ばれる層の生活は貧しい。しかし、これまでに比してその生活水準は覿面に向上している。そして、これが何よりも重要なのだが、頑張ればもっとよくなるという希望がある。
こんな状況では、眩いばかりの光に目が眩まされて闇の部分はなかなか見えてきそうにない。…まぁ、前世日本の高度経済成長下でも問題は生じてたんだけどね。公害をはじめとする環境問題とか、過重労働の強要とか、地域による経済格差とか、所謂過密過疎の問題とか。
そんなことをぶつぶつ言っていたわたしに向けるアナの蒼氷色の瞳が、知的好奇心に駆られた鋭い輝きを帯びた。
「…エイミー、私のような愚物にはこの状況は長所しか見えないのだが、どうやらお前にはこの状況に起因する弊害も見えるようだな。どうだな?一つ、それらを私たちに教えてくれる訳にはいかぬか?」
…ゔぇゔっ!!そ、そんな、わたしがあなたに教えるなんて、そんなの畏れ多すぎます!!…そ、そうだ!わたし如きが気付くこと、きっとアレンさんも気付いてる筈です!!彼に聞いてみて下さい!!
「ちょ、ちょっと待って下さい!エイミー様、何で俺に話を振るんですか!?」
だって、わたしじゃとても上手に説明できそうにないですもん。アレンさんなら、きっとこの場にいる皆がスコンと判るように説明してくれる筈です。
「それもそうですね。エイミー嬢が説明してくれる治癒魔法の術式構築は、感覚的な言葉に頼っていて…こう言ったら何ですけど、判りにくい部分も多々あります」
最近わたしに治癒魔法やその関連魔法で師事しているイザベラが、忌憚も容赦もない意見を飛ばしてくれた。…返す言葉もございません。
…ってか、わたしゃ某球団の終身名誉監督かい。
とまれ、そんな感じで上手くアレンさんに『高度経済成長下での諸問題』の説明を丸投げすることに、わたしは成功したのであった。
◇◆◇
アレンさんが説明を終えると、その場にいた全員が納得するように頷いていた。つくづく、頭のいい人は説明も上手い。わたしじゃ、とてもとてもこうはいかない。
「成程な…廃棄物による生活環境の悪化、収益増加にばかり目が行った結果の過重労働の強要に伴う諸問題、そして地域の経済格差に起因する諸問題か…」
アナは極上の象牙細工に準えられる美しい右手を形のいい顎にやり、やがてそれを外してその絶世の美貌をわたしたちに向けた。
「掘り下げたら、かなりいい展示ができそうだ。もし異議がなければ、この題材で展示を作りたい。異議があれば、遠慮なく言って欲しい」
そのアナの言葉に、異議を唱える者はいなかった。
◇◆◇
…期待に反して、『廃棄物による生活環境の悪化』、つまり前世で言うところの環境問題以外については芳しい取材調査結果は出てこなかった。そりゃまぁ、働けば働くほどお金が稼げて将来のイイ暮らしが約束されていればみんな過労を厭わず働くし、地域格差や過密過疎の問題なんざ実際に目の当たりにしてみなくちゃ判りゃしねぇってものである。
貴族用女子寮の自習室で、かなり長時間議論を重ねていたものの議論は堂々巡りを重ねるばかりであった。何しろ、弊害が出る蓋然性は高いが、未だ弊害が出ていない問題への対応策である。こんなに難しい話はない。
「…弊害が具現化した問題に対処するのも難事だが、それが具現化していない問題に対処することがこれほど難しいものであったとはな…」
机に突っ伏して、ブラウスの両袖を肘下まで捲り上げたアナが薄金色の美しい髪を両手で抱え込むようにして呻いた。それに応えるは、同じような恰好をして青色の瞳から死んだ魚のような光を調査した資料に向けるマーガレット。
「本当ですね…過重労働の問題にしても、地域格差や人口密度の問題にしても、『それの何が問題になるんだ?』って意見ばっかりです…」
イザベラも、同じような格好で虚しく自習室の天井を仰ぐばかりである。しかしながら、アナもマーガレットもイザベラも流石に名門貴族のご令嬢様である。ブラウスの袖を捲り上げて、憔悴をそれぞれタイプの違う美貌に浮かべている以外は貴族令嬢に相応しくない姿を見せていない。
例外はなんちゃって貴族令嬢のわたしである。ブラウスの袖を捲り上げるに留まらず、リボンもブローチも外してブラウスの前を第二ボタンまで外して骨の浮いたデコルテを惜しげもなく外気に晒し、挙句ローファーも靴下も脱いで素足を床に置き、ずり落ちるような姿勢で背凭れに背中を委ねてあほ面を天井に向けていた。
…なお、この場にいる全員が湯浴みをしていない。つまり、この自習室は美少女の体臭に満ち満ちているのだ。おまけに、そのうちの一人は制服裸足姿である。かの最低最悪がこの場に居合わせたら、それだけで『一本目がイってしまう』ことは必定である。何しろ奴は “臭いフェチの神話級ド変態” であることだし。
…そんなことはどうでもいいのだが、そうこうしているうちにマーガレットが変わらぬ死んだ魚のような目を懐中時計に向け、そして掠れた声をアナに向けた。
「…アナ様、もうじき日が変わります。明日は、アレン君の…アナ様の婚約者の、大切な一日です。今日はお開きにして、また来週に議論を進めましょう」
「…そうだな。みんな、今日はお疲れ様だった。明日明後日と休んで、また来週から議論を重ねよう。では、おやすみ」
「「「アナ様、おやすみなさい」」」
◇◆◇
…もうじき昨日になるが、今日は金曜日である。従って、学園は明日明後日は休みなのだが、明日はアレンさんの17歳の誕生日なのだ。そして、明日は王城にて彼の伯爵陞爵式典が行われる。
この世界では17歳を以て成人と看做すため、そのような体裁を執ったのだ。
そして、その式典にアナはアレンさんの婚約者として出席する。ラムズレット公爵閣下が自分の寄子の新興伯爵 (変すぎる表現だが) としてアレンさんと彼の婚約者のアナをお披露目し、それを国王陛下が正式に認めるのだ。
そうして、正式にアレンさんは伯爵の地位に就くことになる。ちなみに家名と領地は確定しているが、まだ表には発表されず、陞爵式典の際に発表されるのだ。
わたしたちは式典に参加することはできないが、その後の晩餐会にはアナとアレンさんの友人として参加することができる。ラムズレット公爵閣下がネジ込んでくれたのだ。それは、公爵閣下のアレンさんに対する、彼が学園の学友たちと気のおけない会話を楽しむことができるように、という気遣いでもある。
さてその晩餐会で、わたしたちはアレンさんにプレゼントを渡す予定である。言うまでもないが、伯爵陞爵のお祝いではなく彼の誕生日プレゼントである。
マーガレットとイザベラが何を渡すのかは判らんが、彼女たちのセンスならきっとアレンさんも喜ぶだろう。わたしにはそんなセンスないので、ワンパターンな例のアレである。彼ほどの風魔法使いの舌を巻かせたのだから、きっと有事の際には彼やアナの役に立ってくれるだろう。
無論、有事の際なんてもんないのが一番なのだが。
裸足にローファーを直履きし、マーガレットが最初に配布してくれた資料と靴下、それにリボンとブローチを持って自室に戻る途中、彼女がわたしに声をかけた。
「明日の晩餐会は、エイミーのドレスのお披露目も兼ねてるわね。せっかく私とイザベラが見立てたんだから、着てくれなくちゃ嫌よ」
「エイミー嬢のドレス姿、楽しみにしてますよ」
マーガレットとイザベラの言葉に、わたしは苦笑した。
◇◆◇
この数日前。彼女たちは、わたしがドレスの一着も持っていないことを聞くと、お貴族様御用達の服飾店にわたしを連れて行ってドレスを見立ててくれたのだ。
『エイミーの髪に合わせて、色は桃色がいいわね』
『あまり華やかな感じはエイミー嬢には似合わないですね』
『そうね。あまりフリルやレースはないほうがいいわ』
『あと、デコルテや二の腕は隠れたほうが絶対にいいです』
…とまぁ、気が付いたらあれよあれよとわたしのドレスが仕上がったのである。袖は肘丈で、厚手の布で鎖骨を除くデコルテの部分が隠れている。フリルやレースといった飾りは殆どない簡素な造りの桃色のドレスだが、背中についた大きな同色のリボンがアクセントになっている。
そして何より重要なのが、着心地だ。柔らかい布を使っているようで、肌触りがもの凄くいい。このまま寝巻き代わりにも使えそうなほどだ。
そのドレスを見た時、何故か視界が滲んだ。…あまり、ドレスやら装飾品なんて興味はなかった筈だのに、何でこんなに嬉しいんだ…?
『エイミー嬢…いえ、お師匠様。お気に入って頂けましたか?』
『あ、そうか。イザベラにとって、エイミーは治癒魔法の師匠だものね』
イザベラの戯けた声に、マーガレットが穏やかな笑い声を上げた。わたしは眼鏡を取り、制服のブレザーの袖で両目を擦った後で、二人に言った。
『マーガレット様、イザベラ様、ありがとうございます』
…もとよりそのドレスの値段を見て目玉がぶっ飛ぶかと思ったし、見立ててくれたお礼として二人にその日のお茶をご馳走するため貯金を取り崩すハメになったが、そんなことは全く苦にならなかった。
◇◆◇
「ほんと、ちゃんと着ていかなくちゃですね。マーガレット様とイザベラ様が、わたしのために色々と見立てて下さったんですから」
わたしがそう言うと、マーガレットもイザベラも嬉しそうに笑ってくれた。
その後自室に戻り、貴族令嬢にあるまじき格好をメイドさんに叱られた後で湯浴みし、遅くなりすぎた晩御飯を頂いて寝室に引っ込んだ。
「今日もありがとうございました。明日も、宜しくお願いします」
「承知致しました。あの、お友だちに見立てて頂いたドレスですね」
「…はい。それじゃ、おやすみなさい」
「エイミー様、おやすみなさいませ」
寝室に、二人が見立ててくれたドレスをトルソーに着せて置いてある。月明かりに照らされたそのドレスを見るわたしの顔は、きっと嬉しそうに微笑んでいた筈だ。
高度経済成長に伴う弊害って、他にどんなもんがありましたっけ?
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