第118話 (アレン視点) ヒロインは再びゲロインと化す
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
応接室のテーブルの上には、俺が “錬金” のスキルを使って作製した、風魔法を活用したヴォイスレコーダーが置かれている。魔石を記憶媒体にして、音声を録音・再生することができる代物だ。
こいつはなかなかの優れもので、ホーンラビットの魔石であってもかなり明確な音声を録音・再生することができる。より上位の魔物であるゴブリンやオークなら猶更だ。況してや、俺の手持ちのブリザードフェニックスの魔石であれば、発言者の個人鑑定すら容易に行うことができる。
こいつを携えて、俺はバカクズ太子の私室に “隠密” のスキルを使って侵入し、奴の発言を余すところなく録音し続けていた。…やばいやばい、気が付いたらエイミーの口癖が伝染っちまってたよ。
そして、とうとう決定的な発言を拾うことができたのである。
それを聞いた時、アナは口の端を引き攣らせ、エイミーは無自覚の反応なのか両の繊手で口を押えた。彼女の、眼鏡の奥からは、涙が溢れ出ている。
『終生、ならず者どもの慰み者として、苦痛と屈辱、悲哀と絶望に塗れた悲惨な生を送るがいい…!それが、貴様にはお似合いだ…!!』
そこまで聞いた時、エイミーは「ヴッ…!!」と断末魔の如き苦鳴を上げて立ち上がり、応接室の扉を体当たりして開けて駆け出て行った。そのすぐ後を、「お父様、メイドたちにタオルを持たせて “お花畑” に来るようにご指示下さい!」とラムズレット公爵閣下に言い置いて、アナが駆け出て行く。
その、アナの依頼という名の指示を公爵閣下が過不足なくメイドさんたちに伝え、その後で俺に視線を向けた。
「…アレン、エイミー嬢は些かならず胃ノ腑が弱いのではないかね?」
「その評価は、些かならずエイミー様にとって酷なことと私は愚考致します。かの妄言をバカクズ太子が発しました際の奴の形相のおぞましく醜悪なること、私も嘔気を堪えるのに苦労致しました」
「…君ほどの豪の者がそこまで言うのであれば、そういうことなのだろうな」
「…はい。況してや、エイミー様は心優しく繊細な精神をお持ちでいらっしゃいます。私の如く、腥臭に慣れたる者どもとは一線を画するお方です。しかも、先ほどウィムレット公子様の重傷を治癒なさったため、お疲れでいらっしゃいます」
その俺の言葉に対し、公爵閣下は腕を組んで天を仰いだ。
「先の『廃太子』の発言であれほど嘔気を催しているようであれば、向後の発言をエイミー嬢が耳にしたら、どうなるものであろうな…」
「畏れながら、エイミー様のお傍にバケツを用意しておくべきかと…」
…最早、公爵閣下の中ではバカクズ太子は既に『そうなって』いるらしい。
◇◆◇
憔悴しきったエイミーを、アナが支えながら応接室に戻ってきた。アナの手は、エイミーの背中を優しく擦っている。
「…エイミー、大丈夫か?」
「…はい、公爵閣下、アナ様、アレンさん…ご心配とご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません…どうか、お許し下さいまし…」
「…エイミー様、お傍にバケツを用意致しました。必要に応じて、ご使用下さい」
「…アレンさん…ありがとうございます」
エイミーが嘔気を催したのは、おそらくバカクズ太子の悪意に中てられてのことだ。かつて、学園で彼女はクズレンジャーどものアナに対する悪意に中てられて嘔吐したことがあった。…完全に彼女の口癖が伝染っちまったなぁ…
エイミーは、東部冒険者ギルドの看板すら張れるほどの凄腕のヒーラーだ。俺と同様に、グロ耐性は相当なものを持っている筈だ。…だが、どうやら彼女は人の悪意に対する耐性は絶無に近いらしい。その、ガラスのように繊細な精神は好意に値するが、これでは相当前世では生き辛かったのではなかろうか?
「…これは、『廃太子殿下』が謹慎処分を受けていた頃に、彼が私室で漏らした発言を記録したものです」
「この内容から鑑みるに、『廃太子』のアナやエイミー嬢に対する邪な欲望は明確だな。彼は、此度の件について全く反省していない、と私は思うが…エイミー嬢に聞くのは酷な話だな。アナ、お前はどう思う?」
アナの顔は、嫌悪感と猛烈な侮蔑の意思に引き攣っている。そんな顔をしていても美しいとか、どんだけだよ…
「…お父様の仰る通りかと。更にもう一つ申し上げさせて頂ければ…」
アナが、忌々しげに言葉を吐きつけた。
「斯様な愚物に生涯を捧げようとしていたかと思うと、虚しくなるばかりです」
アナの気持ちはよく判る…だが、この程度でそんなこと言ってたら、次の魔石に記録された発言を聞いたらただただ『死ね』としか思えませんよ…?
◇◆◇
ヴォイスレコーダーから魔石を取り出し、ハンカチに包んだ。このハンカチは、アナが手ずからラムズレット公爵家の家紋を刺繍し、俺に手渡してくれたものだ。本来なら、このようなものを包むべきではないとは思ったが、今日、つい先ほど記録したもう一つの魔石は絶対に包みたくない。
それほどまでに、もう一つの魔石に記録された発言はおぞましく、耳に入れるも穢らわしい代物なのだ。そして、俺の過失の証拠でもある。俺がもっと早く動いていれば、オスカーがあれほどの重傷を負うこともなかった。
それを包んだ黒色のハンカチを取り出し、俺はこの場にいた面々に言葉を向けた。
「公爵閣下、アナ様、エイミー様、この魔石に記録された発言のおぞましさは、先の物の比ではありません。閣下、アナ様、相応のご覚悟を以てお聞き下さい。…エイミー様、もしも耐えられないようでしたら、席をお外しになられても構いません。…間に合わないようでしたら、お傍のバケツをお使い下さい」
「あぁ…判った。エイミー嬢、アレンの言う通りだ。耐えられなかったら、すぐに席を外してくれたまえ。アナ、いいね?」
「はい、お父様。…エイミー、くれぐれも無理はしてくれるなよ?」
「…いえ…公爵閣下、アナ様、アレンさん…大丈夫です。ありがとうございます」
エイミーの感謝の言葉は、何に対してだろうか?閣下やアナ、また俺の気遣いに対して?それとも、バケツに対してか?…そんなどうでもいいことを考えながら、俺は黒色のハンカチを解いて魔石を取り出した。
◇◆◇
この魔石に記録された、バカクズ太子と糞クズメガネ、また腐れクズ脳筋―もうこういう呼称しか出て来ねぇ―の会話を聞き進めるごとに、公爵閣下のこめかみには血管が浮き上がり、アナの細く美しい薄金の眉は吊り上がっていった。薄桃色の唇の引き攣れはますます強まり、歯軋りの音すら聞こえてくる。一方、エイミーの顔色は血の気が失せ、全く蒼白になっていた。
「…全く、反省しておらぬな」「…死ね…クズどもが…!!」「…うぐぅっ…!」
心中に煮え滾る怒りを、公爵閣下とアナが言葉にした。アナの言葉は、より直截的だ。一方で、エイミーの口からはえずきが漏れていた。
そして…『サイズ的に、私が後ろ、レオが前でしょうね。でもくれぐれもお忘れなく。全ての穴の【貫通式】は、殿下のお役目ですよ』と、糞クズメガネの声で聴覚に汚物を擦り付けられるような言葉が発せられた時。
「ゔええええぇぇぇぇぇ…ゔぉええぇぇぇッ!!」
…エイミーは、危ういところで傍らのバケツに顔を埋めて大きくえずくことができた。 既に一度、バカクズ太子の私室での独白を聞いた時にトイレで一度リバースしていたため、出てくるものと言えば胃液が彼女の口から糸を引き、バケツの底に比較的大きな水滴を作るばかりであったが。一方、彼女の眼鏡の奥や鼻腔から溢れ出たものは、それらとは違うより小さな水滴をバケツの底に作っていた。
それを見た公爵閣下が、「…もう、エイミー嬢は限界だな」と低く呟き、そして手に持った鈴を鳴らした。
◇◆◇
体力をオスカーの治癒と二度の嘔吐によって、気力をクズどものおぞましい会話によって、それぞれ極限まで削られたエイミーをメイドさんたちの手に委ね、公爵閣下とアナ、そして俺はクズどもの会話を最後まで聞き遂げた。
「…アレン」アナの静かな声に秘められたものは、怒りともう一つの感情。怒りは、クズどもに対するもの。もう一つの感情は、俺に向けられたもの。
その感情は、感謝の感情だった。
「ウィムレット公子を助けてくれて、本当にありがとう。これで、私も彼に対する謝罪と贖罪を為すことができる」
…何故?何故アナが、オスカーに謝罪や贖罪をせにゃならんのだ?寧ろ、それはオスカーがアナに対してすることじゃないのか?
「私は彼の普段の態度に対し、怠惰と自堕落を断罪するだけで加護に見合った努力を勧めることも、そして努力する姿を称揚し敬意を表することもして来なかった。彼が私を憎み、排除しようとするのも無理からぬことだ。そのことに対し、謝罪し贖罪しようと、最近考えていたのだ」
…いや、それはオスカーの家族がすべきことでしょ?オスカーにとって、赤の他人であるあなたがするべきこっちゃありませんよ。…エイミーとはまたベクトルが違うが、アナも大概聖女ムーブこいてるよな…
「ウィムレット公子様をお救いなさったのは、エイミー様です。寧ろ、俺は早く動けず彼にあれほどの重傷を負わせてしまいました。アナ様のお礼を頂けるようなことは、何もできていません。責めすら負うべきだと、自責の念に駆られおります」
「確かにそうかもしれんが、結果的にウィムレット公子は助かった。この件に関しては、確かにエイミー嬢の功績が最大だが、廃太子どもを打ち倒して彼を助け出したアレンにも功績はある」
公爵閣下が、腕を組んでそう言ってくれた。だが、やはり俺は自分を許すことができない。エイミーがいなければ、オスカーは助かっていなかった。
「…さて、良いかなアレンよ」
公爵閣下が、組んでいた腕を解いて立ち上がった。
「今から王城に向かうので、君に同道を頼む。…アナ、お前は暫く外出してはならぬ。あと、エイミー嬢は事が収まるまで我が家でお預かりし、お護りする旨、東部冒険者ギルドとブレイエス男爵家にお伝えしておく」
そう言って、もう一度公爵閣下は鈴を鳴らした。かつてエイミーをこのラムズレット公爵家で案内していた、長身痩躯の半端ない貫禄と威圧感を持つメイド服のお婆さんが室内に入ってくる。美しい淑女の礼を執った彼女に、公爵閣下は命じた。
「イライザ、仔細これあってエイミー嬢を我が家にてお預かりし、お護りすることとなった。ブレイエス男爵家と東部冒険者ギルドに、その旨お伝えしてきてくれ」
「畏まりました、ご主人様」
美しい淑女の礼を解くことなく答え、そのまま後退って応接室を退く。応接室の扉が閉まると、公爵閣下はアナに声を向けた。
「アナ、お前はエイミー嬢を看てあげなさい」「畏まりました」「うむ」
公爵閣下が、応接室を出て行く。俺は罷り間違っても閣下の影を踏まぬように注意しながら、閣下の数歩後ろに続いた。
こんな感じで、町人Aのスキルを活用するif創作も
あったのではないかと思いました。
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