第102話 ヒロインは持参金を差し出す
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
アナと連れ立って食堂に戻ると、ラムズレット公爵閣下がアナに質問を向けた。
「アナ、エイミー嬢との話はもういいのかね?」
「はい、お父様。お待たせ致しました」
「公爵閣下、皆様、お待たせして申し訳ございません」
そこで、アナはわたしにどこか底意地の悪い、悪役令嬢の笑みを見せた。だが、その言葉は底意地の悪さとは程遠い。
「エイミー、あの時は私の為に泣いてくれて本当にありがとう」
あの時?あぁ、彼女と初めて胸襟を開いて会話した時に、アナがあまりにもかわいそうすぎると思って、貴族令嬢にあるまじきことに大号泣しちまった時のことか。
「だが、あの時にハンカチを忘れたのは頂けなかったな。あの時私がハンカチを持っていなかったら、涙と鼻水でぐぢゃぐぢゃの顔のままでいるハメになるところだったぞ。折角の可憐な美貌が台無しだ」
ぷっ!
その場にいた人たちが、噴き出す音が聞こえた。まさか…まさか、アナまでわたしのやらかしをネタにするつもりなのか…!?
やめて…それ以上はお願いだからやめて…!酷いことしないで…アレンさんみたいに…アレンさんみたいに!
そのわたしの懇願は、敢えなく打ち砕かれた。アナの『悪役令嬢の笑み』は、今や『魔女の笑み』に進化を遂げている。
「エイミー、安心してくれ。お前がそのハンカチで、凄まじい音を立てて鼻をかんだことは誰にも言わない。私は、その話を墓場まで持っていくつもりだ」
途端に、食堂は笑いに包まれた。…そういうベタなネタは要りませんから!
ありとあらゆる分野で後塵を拝し、挙句の果てには遣り込められる。バカクズ太子の気持ちが、至極ほんのちょっとだけ、判ったような気がした。
◇◆◇
「は、話が止まってしまっていたな。最後に、ブレイエス家が当家の寄子となることと、アレン君とカテリナさんが当家の庇護下に入ることを王家に認めさせた。従って、エイミー嬢もアレン君も、罰を受けることも学園を退学する必要もない」
「「「「ほ、本当ですか!?」」」」
公爵閣下の言葉に、アレンさんと彼のお母さん―カテリナさんというらしい―、またお父様とお母さんが歓喜の声を上げる。公爵閣下はそれに対し、鷹揚に頷いた。
「ああ。君たちが望むなら卒業した後は当家で働いて貰ってもいいし、就職先を斡旋してあげることもできる。だが、まずは二人とも有意義な学生生活を送ることを心がけなさい。それと、アナは君たちを随分と気に入っているようだ。是非、アナの『友人』として仲良くしてやってくれたまえ」
「「あ、ありがとうございます!」」
アレン君とお父様は思わず立ち上がって公爵閣下に何度も頭を下げ、カテリナさんとお母さんは感極まって涙さえ流している。一方でわたしはと言うと。
「な、なぁ、エイミー、さっきのことは本当に済まなかった。この通り、許してくれ。お前が、自分を犠牲にしてまでも私を救ってくれようとした、優しく素晴らしい心根を持つ女性であることは誰よりも私がよく判っている」
涙目でローファーを脱ぎ、椅子の上に三角座りをしていじけている。目下、アナが懸命にわたしを宥めているところだ。え?椅子の上に三角座りなんかしたら、 “男の浪漫” が見えちまうんじゃないかって?
安心して下さい、穿いてますよ。ショートパンツを。
「みんなして、わたしのこといじめて…アナ様も、アレンさんも嫌いです」
「ほ、本当に申し訳なかった。ついお前を見ていると、その、つい、な…」
「え、エイミー様、済みませんでした。この通り、許して下さい」
いつしかアレンさんも加わり、懸命にわたしを宥めようとしている。流石に、お父様とお母さんが苦笑してそこに加わった。
「エイミー、その辺でアナスタシア様とアレン君を許してあげなさい。二人とも、悪気があったわけじゃないんだ」
「そうよ、だからそんなにいじけてないで。あと、アナスタシア様もアレンさんも、お、手、や、わ、ら、か、に、お願い致しますね?」
お母さんの声に、アナとアレンさんは全く同じように顔面筋を硬直させて「「わ、判りました」」と引き攣った声をハモらせた。その様子がおかしかったので、わたしも機嫌を直すことにした。
「では始めよう。アレン君もカテリナさんも、ブレイエス家の皆さんも楽しんで下さい」と公爵閣下が言い、それから贅を凝らした美食が次々と出てきた。
◇◆◇
「エイミーには、このテールスープを味わって貰ったことがあったな」
「あの時は、ありがとうございました。お陰様で、激痩せが治りました」
「このテリーヌは、赤ワインよりも白ワインに合うんですよ」
「…!本当ですね!白ワインの方が、繊細な風味が引き立ちます!」
「アレン卿、このローストビーフが私の大好物でね。沢山食べて欲しい」
「フリードリヒ公子様、ありがとうございます!本当に美味しいですね!」
「カテリナさん、シュザンナさん、甘いものは如何ですか?」
「あ、ありがとうございます。なかなか口に入らないものでして…」
「エリザヴェータ様、ありがとうございます。私、甘いものには目がないんです」
その場にいた全員が、思い思いに料理を楽しんでいる。裏に思惑などない、心暖まる会食だ。この間のパーティーでは、とてもそんな気分になれなかった。何よりも、クズレンジャーどものせいで何も食べられなかったし!
宴たけなわのところではあるが、わたしは今日公爵閣下にお渡ししたいものがある。先にも言ったが、新興男爵家であるブレイエス男爵家が国内屈指の名門貴族であるラムズレット公爵家直系の寄子になるなど、異例中の異例の措置である。
ブレイエス男爵家の娘として、それに報いるために差し出せる最上のものを差し出さなくてはならない。あるいは、それはラムズレット公爵家にとっては取るに足らぬものであるやも知れぬが。意を決して、わたしはアナに声をかけた。
「アナ様、わたしから公爵閣下にお渡ししたいものがあるんです。公爵閣下に、お声がけを頂けますか?」
「うん?わざわざ私を介さずとも、お前から直接お父様に言えばいいではないか」
怪訝そうな声を返したアナに、「畏まった話なんで、ちゃんとした形を取りたいんです」と説明する。アナは首を捻りながらも「お前がそう言うのなら」と頷き、「お父様」と公爵閣下に声をかけた。
「うん?アナ、どうしたのかね?」
お父様と談笑していた公爵閣下が、アナに視線を向けた。
「エイミーが、お父様にお渡ししたいものがあるそうです」
「ほう。エイミー嬢、何をくれると言うのかね?」
わたしは、持って来ていた鞄の中から分厚い書類を取り出した。それは余りに分厚いため、紙の箱にも見えたかも知れない。
「紙箱…いや、これは書類の束だな」
公爵閣下の言葉を受け、わたしは宣告した。
「この書類には、わたくしが発明したオリジナルスペル、エイミー・フォン・ブレイエス謹製のS級治癒魔法の、最優先使用権を除く全権利をラムズレット公ゲルハルト・クライネル閣下に譲渡する、それについての詳細事項が記載されています」
◇◆◇
談笑の声がピタリと止まった。最優先使用権とは、魔法特許に関連する法律で定められた権利の一つである。細かい部分はわたしもよく判らないので説明は省くが、要はわたし以外の者がこの魔法を使用するに当たって利益を得る権利を全てラムズレット公爵家に譲渡する、ということだ。
「…エイミー、それはお前が王太子殿下を治癒したあの治癒魔法の?…あれは、お前のオリジナルスペルだったのか」
アナが呆然と呟く。わたしは彼女に答えを返した。
「そうです。S級治癒魔法自体が、発明者のオリジナルスペルなんですけどね」
「え、エイミー嬢、少し待ってくれたまえ」
公爵閣下が少し慌てた様子で会話に入った。
「君が何故そのようなことを言ってくれるかは、おぼろげながら判る。だが、そのオリジナルスペルを生み出すために、君が死に物狂いの努力を重ねてきたであろうことはアナから聞いている。それほどの貴重なものを、そんなに簡単に受け取ってしまってもよいものかね?」
わたしの意思は変わらない。これは、公爵閣下がブレイエス家をラムズレット家直系の寄子にしてくれる、と言ってくれた時に思いつき、そして心に決めたことだ。
「アレンさんとカテリナさんがラムズレット公爵家の庇護下に入るのは、当然の権利だと思います。アレンさんは、クズレンジャーどもを決闘で叩きのめしました。そのおかげで、アナ様が学園から追放されずに済んだんです。ですが、翻ってわたくしはどうでしょうか?」
その場にいる全員の視線が、わたしに集まっている。
「わたくしがやったことは、あの場でバカクズ太子に靴下を投げ付けたことと、クズレンジャーどもに悪口雑言罵詈讒謗を浴びせ付けたことだけです」
…せっかく自爆ギャグを飛ばしたのに、誰も笑うものがいない。「え、エイミー、待ってくれ」慌てたようにアナがどもった声を出した。
「お前はそう言うが、あれはお前が殿下たちに逆らってでも私の味方に付くと宣言してくれたのと同義だ。ブレイエス家がラムズレット家直系の寄子になるには、充分なことだと私は思っているが…」
「ですが、それではわたくしの気が済まないのです」
◇◆◇
「新興男爵家に過ぎぬブレイエス家が、この国有数の名門貴族であるラムズレット家直系の寄子になるだけの功績を、わたくしが挙げたとは思っておりません。故に、持参金が必要だと愚考し、ブレイエス家の娘たるわたくしがラムズレット家にお渡しできる最上のものを用意させて頂いた、それだけのことでございます」
公爵閣下は腕を組み、暫く考えた後で書類を手に取った。
「拝見しても良いかね」「どうぞ」
公爵閣下は書類に目を通した。最初は軽く流し読み程度の速度だったのが、少しずつ読む速度が遅くなり、やがて熟読、と言ってもいいレベルの速度になっていく。
「…エイミー嬢、本当にこの魔法の最優先使用権以外の全権利を、ラムズレット家に譲渡してくれるのかね?」「もとより、そのつもりでございます」
公爵閣下は鈴を手に取って鳴らした。すると、アレンさんをここに案内していた執事と思しき人が現れる。
「セバス、ペンと印章を持ってきてくれ」「畏まりました」
執事さんはすぐにペンと印章を持ってきた。公爵閣下はそれらを受け取ると、書類の最後尾、署名欄にペンを走らせ、印章を押印する。そしてわたしに送った鋭い視線は、眼鏡越しにわたしの瞳を射抜いた。
「エイミー・フォン・ブレイエス嬢、貴女からの持参金、確かに受け取った」
「ありがとうございます」
正直、かなし惜しい気はした。このS級治癒魔法の魔法特許だけで、ブレイエス家は巨億の富を得ることができる。それをあっさり手放していいものか…
正直悩んで、お父様とお母さんに相談した。そしたら、「「エイミーのやりたいようにやりなさい」」と、ハモって答えてくれた。その後に、S級治癒魔法を確立したことと魔法特許を取得したことを口を極めて褒め称えてくれたのはいいが…その後はお決まりのコースを辿った。
…でもこれって、ラムズレット家に賄賂を送って直系寄子の地位を割り込みして得たようなもんじゃねぇか?
ヒロインがとうとう開き直りました。
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