後日談Ⅴ~巻き込まれハッピーエンド~
「まったくコニーは……」
食糧庫からワインを引っ張り出してきたクレイグは、眉根を寄せてぼやきました。
すると、チーズを薄く切っていたエリカが笑みを零します。
「ひとまずは信じてもらえたみたいで良かったですね」
「ああ。でもいつまで騙されてくれるか……」
帰ってくるなり、コニーは作業中のクレイグに向かって尋ねたのです。「パパ、あかちゃんはどこからくるの?」と。
ただの買い物にしては帰りが遅いのを心配していたというのに、この仕打ちはあんまりだ……と彼が胸の中で呟いたのは言うまでもありません。
エリカの口から街での出来事を聞いた彼は、食い下がる娘をなんとか誤魔化し諭し、宥めすかして寝る前まで答えを待ってもらったのですが。果たして“子どもを授けて下さいってお願いすると、次の年にコウノトリさんがお家に届けてくれるんだよ”なんて、眠くてそれ以上質問なんて出来そうにない状態の子どもに言って良かったのかどうか……。
「それに、ご近所に言って回らないといいんだけど」
どちらかといえば、そちらの方が心配で。がっくりと肩を落としたクレイグを、エリカは小さく笑いました。最初のうちは顔を真っ赤にしていた彼女も、コニーが父親を問い詰めるのを見ていたらだんだん可笑しくなってしまったのです。
彼女はベーコンを軽く炙りながら、溜息をついている彼を見遣りました。
「まあ、今はああいう伝え方で良いのかな。
とりあえず答えがもらえれば納得するみたいだし」
コウノトリさんのお届けものが何故母親のお腹に宿るのか、なんて疑問を抱く様子もなかった娘を思い出してクレイグは呟きました。
「おつまみ、足りました?」
ふと聴こえた言葉に、クレイグは弾かれたように顔を上げました。見れば、エリカが濡れた髪を拭きながらバスルームから出てくるところで。
「……あ、ああ、いや」
普段は常にコニーが一緒だからなのか、彼女の湯上り姿が気になることはありませんでした。でも今夜は違います。昼間に楽しい出来事があった娘は、食事のあとに眠ってしまったのです。
クレイグはアルコールの間を縫うように漂ってきたシャボンの匂いに、くらりとするのを感じて瞬きをしました。かなり、ゆっくりと。
肩にタオルをかけたエリカが手を伸ばし、空いたお皿を持って台所に向かいます。
その後ろ姿を目で追いかけながら、クレイグは自分が少し酔っていることに気づいたのでした。だって、頭の中が悶々とするのです。髪に触りたいとか耳に口付けたいとか、果ては白いうなじに噛みつきたいとか。思いつくことがおよそ変態です。
「私もいますから大丈夫。たまには息抜きのつもりでお酒もどうぞ」と、エリカが言って。それに甘えて栓を開けたものの、少しペースが速かったようです。すでに瓶は空になりかけています。
そりゃそうです。話し相手のいない夜、お酒が進まないわけがありません。
……ああ、これはダメだな。
そう思ったクレイグは、目のあたりが重たくなってきたのを感じながら台所で水を飲んでいるエリカに声をかけました。
「エリカ、私にも水を頼む……」
けれど彼女の返事を遠くに聞いたのを最後に、彼の頭からは記憶がすっぽり抜け落ちたのです。
「クレイグさん、お水――――」
……ですよ、と言いかけたエリカは思わず言葉を飲み込みました。そして頬を緩めると、手にしていたグラスをそっとテーブルに置きました。もちろん、頬杖をついたまま眠りこけてしまったクレイグを起こさないように気をつけながら。
忍び足で2階から毛布を持って引き返したエリカは、力尽きたらしいクレイグがテーブルに突っ伏してしまっているのを見つけて笑みを零しました。なかなか目にする機会のない無防備な彼の姿に、なんだか嬉しくなってしまいます。
けれど、だからといって椅子に座ったままにしておくのは良くありません。風邪でも引いたら大変。
彼女は持っていた毛布をソファに置くと、クレイグの肩をそっと叩いて耳元で囁きました。
「クレイグさん、ここで寝ちゃダメですよ。
ソファで横になりましょ」
「ん……エリ、カ……?」
掠れた声で唸るように呟いたクレイグの目は、まだ閉じたままです。というよりも、瞼が重たくて開けられないようです。
「そうです、私ですよ。
風邪引いちゃいますよ、クレイグさん。
ソファに行って、毛布かけて寝ましょう?」
「あー……ん、んん……」
もったりした口調で曖昧に頷いたクレイグが、のそりと立ち上がろうとしました。
ところが、短時間でがぶがぶ飲んだのがいけなかったのでしょう。彼はたたらを踏んで――――
「クレイグさ、ひゃ、わぁっ……?!」
ドサリ、とソファに崩れ落ちたのでした。もちろん、咄嗟に手を貸そうとしたエリカを巻き添えにして……。
「――――、くしゅっ」
聴こえた音に違和感を覚えて、クレイグは顔をしかめました。こめかみにツキンとした痛みが走って、とても不快です。
頭の中は霞みがかかったようでも、感覚は研ぎ澄まされています。だから時折響く頭の痛みもハッキリ感じますが、この温かく心地良い柔らかさもまた……。
「ん……?」
――――柔らかい?
ふにふにとした感触を確かめるように、手のひらに力を入れてみます。すると、腕の中のモノがふるふると震えたではありませんか。
「クレイグ、さん……?」
鼻にかかった声、良い匂い。感覚を刺激されたクレイグは、今度こそ目が覚めました。そして彼が目にしたのは、寝ぼけ眼のエリカだったのです。
まずい。これは非常にまずい。
クレイグはそう思いながらも、言うことを聞かない自分の体を呪いました。というよりも、まずエリカの感触が心地良すぎて動きたくないのですが……。
だけど、と彼は思います。こうして彼女を抱き寄せたまま朝を迎えたなんて、コニーに見られでもしたら大変です。おそらく愛娘はそれが意味するところなんて知らないでしょうが、事実をありのままに喋ってしまうでしょう。しかも、どこか得意気に。あの年頃の子どもは、ちょっとイケナイ雰囲気が漂うことが大好きですから。
……それはまずい。でもエリカが柔らかい。
あと少しならいいか……?
そんなふうにクレイグが理性と欲を戦わせていると、エリカが身じろぎしました。
「んぅ……もうひと眠り、しましょ……?」
舌足らずな口調に、クレイグは咄嗟に言いました。
「え、君の部屋で?」
「え?」
「……あ」
クレイグはその日、壁に向かって謝罪と言い訳の練習をしているところをコニーに見られて二重に恥ずかしかったといいます。
そんな滑稽なやり取りがあったね……なんて、クレイグとエリカが笑い合えるようになるのはまだ先のお話なのです。
エリカが、半ば事故的にクレイグに押し倒されていた頃。帝国のど真ん中、マーガレットの住む宮殿は静まり返っていました。
秋らしい虫の声に、マーガレットは目を細めてペンを置きました。
「……出来た」
溜めていた息を吐き出す代わりに、鼻歌が突いて出ます。
すると不意にドアがノックされました。
「――――今、いいか?」
マーガレットが開けたドアの向こうには、砕けた口調のリチャードがいました。従者ではない、近い未来に夫になるリチャードが。
仕事中との差に戸惑いながらも、こうしてふたりは数か月婚約者として過ごしてきたのです。だから今夜の訪問も、何も不思議なことはないのです……が。もともと表情で感情表現をする人間ではありませんが、それにしたって浮かない顔をしています。
訝しげに首を捻ったマーガレットは、とりあえず彼を部屋の中に招き入れました。
部屋の中に足を踏み入れたリチャードは、ドアが閉まる音を聞くなり口を開きました。
「メグ」
その声の硬さに、マーガレットが思わず肩を震わせます。何か怒らせるようなことをしたんだろうか……と、彼女はそれだけを思いました。
リチャードは固まってしまったマーガレットの手を強く引くと、部屋の奥へと進みます。
「え、ちょっ……」
ぐいぐい引かれる手に戸惑ったマーガレットが、思わず声を上げました。ただでさえ歩幅に違いがあるというのに、感情のままに歩く彼が彼女を引き摺っているような格好になってしまったのです。
わけが分からないまま部屋の奥へと連れてこられたマーガレットは、立ち止まったリチャードの背中を見つめて自問自答しました。
本当に何か怒らせるようなことをしたのかも知れない。強気で短期で強情で意地っ張りだから。
でも、いつ?
思い当たることなんて何もない……。
まったくもって大混乱です。リチャードがただの従者だった頃なら、顔色が少し変わったくらいで動揺したりしなかったのに。
マーガレットは頭を抱えたくなりました。
「いろいろ考えたけど、ダメだった。
だから単刀直入に訊きたい」
そう言いながら、リチャードがおもむろに向き直りました。
何らかの決意が滲む表情を目の前にして、マーガレットが息を飲みました。いつになく本気なのが、彼の目から伝わってくるのです。
こうなるともう、罪状を読み上げられる罪人の気分です。全然心当たりも、後ろめたいこともないというのに。
虫の音が、耳に痛いくらいに響きます。
リチャードは、じっと言葉を待つマーガレットに言いました。つい、と彼女を直視しないで済むように視線を逸らして。
「マリッジブルーなのか?」
言ってしまった。ついに訊いてしまった。
こんなこと、「結婚するのが嫌になったのか?」と尋ねているようなものだ。もしメグが頷いたらどうしたらいいんだ。でも訊かないと、自分が何をしたらいいのかも分からないままだ。
そう、これは建設的な質問なんだ。俺たちはここからだ。
心の中で自分を勇気づけたリチャードが踏ん切りをつけてマーガレットを見つめると、彼女は見開いていた目を何度も瞬かせているところでした。
「いいえ、まったく……?」
ぽかん、と呆けたように緩んだ口から出たのは、否定の言葉で。ゆるゆると振られる首には、まったく力が入っていなくて。
リチャードは、思っていたのと違う展開に戸惑ってしまったのでした。
「――――い、いやでも!」
ひと呼吸置いて我に返ったリチャードが、詰め寄る勢いでマーガレットに言いました。
「最近元気がなかっただろうが!」
こぶしに力を込めて、これではなんだか議会の異議申し立てか何かのようです。
それまで呆けていたマーガレットは、自分が何か仕出かしたわけではなさそうだ、と結論付けて胸を撫で下ろしました。
「……もう。
すごい勘違いだわ……」
溜息混じりに呟けば、リチャードが苦虫を噛み潰したような顔をして言います。
「勘違い……?
使用人達とコソコソ話して、食事が滋養のあるものばかりになって。
考えごとに耽る時間も、独り言も増えたし……。
そういえばウィルとかいう男とも楽しそうに話していただろ。
とにかく、何かあったとしか思えな」
「――――ちょっと待ってて」
責めるような口調になったリチャードを遮ったマーガレットは、言いながらその場を離れました。駆けこんだのは、自分の寝室です。
差し出されたものを見て、リチャードは訝しげに眉根を寄せます。そんな婚約者の反応に、マーガレットが苦笑混じりに言いました。
「本当は、結婚式の夜にでも渡すつもりだったんだけどね……。
それ、わたしがマリッジブルーじゃない証拠よ」
リチャードは息を詰めて、渡された封筒の中身に目を通しています。
今生の別れについて書かれているわけでもないのに、と苦笑を深めたマーガレットが咳払いをして言いました。
「ほんとはね、贈り物をしようかと思ってたの。
それで使用人の皆から話を聞いて、懐中時計を買おうと思って。
本に挟んでおいたのは、時計屋さんのメモよ。
……結局行かなかったけどね」
「物を贈るよりも、気持ちを手紙にしようと思ったの」
手紙を手に固まってしまったリチャードを見上げて、マーガレットは言いました。その頬が、だんだんと赤く染まっていきます。
「えーっと……その、今までそばにいてくれて、ありがと。
頑張れたのは、リチャードのおかげだと思ってる、から……。
だからこれからも……あの……」
いざ面と向かって言うとなると恥ずかしくて。それでも目を逸らすことなく言葉を紡ぐマーガレットは、次の瞬間、短い悲鳴を上げました。
「――――メグ」
その口から零れたわずかな声すら抱き潰すくらいの強さで、リチャードはマーガレットを抱きしめて言いました。
「ありがとう」
胸が苦しいのは、ぎゅうぎゅうと抱きしめられている所為でしょうか。
きゅっと締め付けられて、じんわりと温かくなって。そんな感覚を味わったマーガレットは、リチャードの胸に頬を摺り寄せて囁きました。
「取り乱したあなたを見られて、ちょっと嬉しかったけど……。
それにしたって。マリッジブルーか、だなんて。
なにそれ美味しいの?……って感じだわ」
「……悪かった」
おどけたような口調に、リチャードは溜息混じりに頷いたのでした。
かくして、誤解の解けたふたりは熱い抱擁と口付けを交わし――――
もちろん別々の部屋で朝を迎えたといいます。
これに関しては、リチャードはちょっとだけ不満そうだったとか。
教会の鐘の音が、空高く響きました。真っ赤な絨毯の端々には、真っ白なマーガレットの花がたくさん散りばめられています。
参列した人々が見守るなか、神様への祈りを終えた新郎と新婦が重々しい扉の向こうから姿を現しました。
「きれーい……」
青い花が刺繍されたヴェールを身に付けたマーガレットに見惚れて、コニーが呟きました。
その下で、娘を肩車しているクレイグが言います。
「そうだね」
「わたしも、わたしも!」
はしゃぐ娘のひと言に顔をしかめて、クレイグは無言を貫いています。その横で、エリカが笑いたいのを堪えてコニーを見上げました。
「ええっと、大きくなったらそういうこともあるかもね……?」
この教会での結婚式はマーガレットの希望で。彼らの所を通り過ぎると、ふたりは豪奢な馬車に乗って宮殿へ向かうことになっています。正式な式典は、このあと宮殿で皇帝陛下が見守るなか行われることになっているからです。
「おめでとうございます」
「おねえさんとリチャくん、おめでとー!」
「おめでとうございまーす!」
3人も他の参列した人々のように、ありふれた祝福の言葉を投げかけた時です。ほとんど目の前を通り過ぎようとしている新郎新婦が、ぴたりとその場で足を止めました。
「今日はありがとう」
にこやかに言葉を紡いだマーガレットに、エリカは目尻に涙を浮かべて頷きました。なんだか胸がいっぱいで、言葉が出てこなかったのです。
クレイグが、そんなエリカの頭を優しく撫でています。
どういうわけか肩車されたコニーまで、父親の頭を撫でていますが。
そんな3人を見て目を細めたマーガレットは、リチャードを見つめました。
すると新婦の嬉しそうな顔を見て満足そうに頷いた彼が、おもむろにコニーを見つめて口を開きました。にやり、と人の悪い笑みは、およそ新郎姿の彼には似合いません。
「コニー。
秘密の呪文、試すなら今だ」
コニー以外のみんなが、きょとんと小首を傾げました。
その時です。
にぱぁぁ、とこれ以上ないくらいに嬉しそうな表情を浮かべたコニーが、思い切り息を吸い込んで父親の頭をぽふん、と叩いて言いました。
「パパ、はやくせきにんとって!」
リチャード直伝、コニーの唱えた秘密の呪文はクレイグを真っ赤にしました。それこそ、火山が噴火したのかと思うほど。
そして秘密の呪文は1年もの間じわじわと効果を発揮し、やがてコニーの願いを叶えたそうです。
ローグの靴屋の家族の話は、近所では有名なんだとか。
もちろん語り部は、長女のコニーです。
おしまい。
++++++++++++++++++++++++++++++
これにて完結となります。
長い間お読み下さった方には、心から感謝しています。ありがとうございました!
あとがきらしいものは、のちのち活動報告にて……。
拍手の更新、出来なくてごめんなさい。力尽きてしまいました……。とほほ。
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