二人の英雄
かつてこの世界は美しかった。深き緑の森では風に乗る鳥が歌を歌い、遥かに広がる澄んだ海では魚が躍り、天の下に広がる大地では人がその営みを築いていた。
されどそれは過去の物語。
今この世界は『穢れ』に覆われていた。空気はずっしりと重く淀み、豊かだった緑の森はその生気を失い黒く枯れ果てている。
彼の世界は、この世界を喰らわんとしていた。
動物や魔獣、魔人……この世界に生きる全ての命にとって、穢れは毒であり、命を蝕み刈り取る目に見えぬ牙である。そして世界には命が宿る。彼の世界より生まれし悪霊は、この世界に息づく尊き命を狩り、貪る捕食者であった。
「くそ……っ!」
「ちょっと、無理しちゃダメよ!」
この世界のとある場所で、一人の男が剣を振るい、一人の女が祈りの書を掲げ薄汚れた灰色のローブをはためかせる。
枯れて萎え、色を失い倒れた木々の残骸が広がるかつての森の中、その二人は闇の中に動く幾体もの悪霊と対峙していた。まだ昼間であるはずのその世界は、穢れを纏い辺りを覆う黒い霧で息苦しく、薄暗い。彼ら二人は辺りに蠢く不快感と、押し潰さんとする威圧に額に汗を浮かべる。
彼らは悪霊を狩り旅をする。彼らのような者たちは、穢れ行くこの世界で救世の希望を託され英雄と呼ばれていた。
「おらっ!」
男は剣で振り下ろされた悪霊の逞しい腕を受け止める。渾身の力でその重さを弾くと、少しバランスを崩したその巨躯に祈りの炎を纏わせた剣で一閃する。赤い刃が黒く固い異質なその体に食い込み切り裂く。悪霊の身体が一瞬その形を崩すと、辺りに広がるものと同じ黒い霧となり霧散する。
男から少し離れたその場所では、女が放った祈りの雷が轟き、それに貫かれた二体の四足の悪霊が霧散し辺りの霧が濃くなる。
ふっと息を吐いた彼らの目の先にあるのは地面から生える一つの漆黒の塊。その周辺はさらに一段と穢れの気配が強く立ち込めている。それは穢れの核と呼ばれる存在……この世界に根付く穢れとの接点である。
そしてそこへの道のりには、まだ幾体もの容姿様々な悪霊が蠢いている。男は額の汗を拭い、低く腰を落として剣を両手で構えなおす。細く息を吐くと疲労と緊張で固い体の力を少し抜き、再び地を蹴ると刃を閃かせて悪霊に襲い掛かる。
二足の悪霊……黒い皮膚に覆われた細く長いその悪霊が長い爪を備えた手を振るう。男は体を深く沈めて頭の上に風を感じながら剣を引く。下から一気に剣を振り上げると、その刃は悪霊の身体へと食い込む……しかし、その体は見かけによらず先の巨躯の悪霊のそれよりもずっと固い。
一瞬の拮抗……そして次の瞬間には悪霊が再び腕を振るう。男は咄嗟に剣を離すと頭の横に腕を添えてその一撃を受けるが、そのまま軽く吹き飛ばされて地面に転がる。受け身を取った勢いのまま膝をついたまま体を起こすと顔を上げる。その目の前にはすで悪霊の姿が再び迫っている。
悪霊の爪が男を貫かんとするその瞬間、女が放つ魔力で練られた祈りの鎖が地面から伸び、その黒い体と腕に絡みつく。男は咄嗟に立ち上がる。周りでは四足の小さな悪霊が何体か男の方へと飛びかかるが、男は地を舞うようにその隙間を縫って抜ける。先の攻防で地面に落ちて転がった剣を拾うと、剣に再び魔力を流す。刀身に刻まれた祈りの文字が光を放ち刃が炎を纏う。
一閃、二閃、三閃……男は四足の悪霊を斬り伏せて行く。深まる穢れの中を駆け抜ける。ちょうど全ての四足の悪霊を斬り伏せたその時、二足の悪霊が鎖を千切り唸りを上げる。そこから少し離れたところでは女が枯れ木に手を付いて肩で息をしている。穢れからの保護のための祈りを常に自分と男に維持している彼女の負担は大きかった。
「……っ! ごめん!」
「いいや、大丈夫だ!」
男は全身に魔力を巡らせる……単純で、純粋な祈りによる身体強化。男は渾身の力で全身を使って剣を上から真っ向に振りぬく。先の一撃とは違い正真正銘の全力の一撃……振り下ろされた刃が悪霊を真っ二つに別つ。悪霊の全身が崩れ、霧に帰す。それが、この辺りで最後の一体だった。
男は深まった穢れに顔をしかめる。息苦しいのは穢れが深まったせいだけではなく、男を包む祈りの加護が確かに弱まっている。
女は疲れ果て枯れ木の根元に座り込んでいる。男はそんな女の様子を一瞥するとすぐに視線を動かす。
その視線の先には、黒い大きな球形の核がある。
「早く、終わらせないと……」




