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#12【売り言葉に買い言葉、仮面の告白】


「……う、く……っ」


水曜日の朝。遮光カーテンの隙間から差し込む容赦ない朝陽に射抜かれ、磨耶はベッドの中で小さく呻き声を上げた。


頭が割れるように痛い。ズキズキと、心臓の鼓動に合わせて脳を直接殴られているかのような、最悪の二日酔いだ。喉は砂漠のようにカラカラに渇き、寝返りを打とうとするだけで、昨日からの筋肉痛とアルコールの気だるさが全身を重く縛り付ける。


「あ、タタ……」


枕に顔をぐちゃぐちゃに押し付けながら、磨耶の脳裏には、昨夜のカラオケボックスでの光景が泥のように生々しく明滅していた。


それは、いつも行く旅行研究会の仲間たちとの、お互いを気遣い合うようなアットホームで穏やかなカラオケとは、完全に一線を画す世界だった。


「マヤァ! 飲め飲め!」「次、バラード禁止な!」


体育会系特有の、鼓膜を震わせる爆音のコール。テーブルの上にドバドバと並べられた大ジョッキの群れ。利一たちの圧倒的な熱量と陽のエネルギーに無理やり巻き込まれ、マイクを握って大声を張り上げ、ただただ理屈抜きで騒ぎまくった狂乱の夜。


あの爆音の空間だけが、携帯を握りしめて拓史からの連絡を待ち続ける寂しさから逃れられる、唯一の避難所だったのだ。あの瞬間は、確かに楽しかった。拓史のことなんて忘れてしまえるほどに。


(なのに、なんでこんなに虚しいんだよ……)


「イテテ……」


再び枕に顔を埋めたその時、シーツの上でスマートフォンがけたたましく震え、着信音を鳴り響かせた。

画面に浮かび上がった【拓史】の二文字。

磨耶は一呼吸置き、胸の奥でくすぶっていた昨日からの怒りをぶっきらぼうな声に変えて、通話ボタンを押した。


「何だよ……」


『……もしもし。マヤ?』


スピーカーから聞こえてきた拓史の声は、どこか寝不足のようで、そして明らかに苛立ちを孕んでいた。そのトーンに、磨耶のぶっきらぼうな対応が火をつけたのか、拓史の声が一気に尖る。


『「何だよ」じゃないだろ? なんで昨日こなかったんだよ。「俺はいい」って、何なんだよ、あれ』


「……その言葉通りだけど?」


磨耶もカチンときて、言葉を突き返す。頭痛のせいで「あたた……」と小さく声が漏れた。

すると、電話の向こうの拓史が、その異変に気づいたように声を鋭くした。


『お前、夕べバイト終わったあとどこに行ってた?』


「なんで?」


『俺、何度も電話もLINEもしたけどスルーしてたじゃん』


「……」


磨耶は小さく息を呑んだ。カラオケの騒音とアルコールのせいで、通知に全く気づいていなかったのだ。今になって慌てて画面の隅を確認すれば、確かに不在着信とメッセージの履歴が並んでいる。磨耶は小さく「マジか……」と呟いた。


そんな磨耶の動揺を見透かすように、拓史がもう一度、激しく畳みかけてくる。


『どこ行ってたんだよ? もしかして、飲み?』


「……だとしたら? でも、お前には関係ないだろ?」


『こっちの誘いは断っておいて、飲みかよ!?』


「だから、俺はちゃんと行かないって返事しただろ?」


『それを言ってるんじゃない。飲みに行ってたんだなってこと』


「だから、飲みしちゃ悪いのかよ!?」


磨耶の苛立ちが、頭痛の痛みを越えて急速に膨れ上がっていく。ベッドから勢いよく身体を起こし、壁に頭を預けるようにして座ると、一気に声を荒らげた。


「お前が先に約束破ったんだろ? 何で俺が責められなきゃならないんだよ!」


『俺は……約束破ってなんかないだろう!?』


「破っただろ! 迎えに行くって約束したのはお前の方だろっ! 違うか!?」


『――っ』


電話の向こうで、拓史の息がピタリと止まった。明確な痛い所を突かれ、言い返せなくなったのが空気伝いに伝わってくる。

磨耶は一度、小さく苦しげに息を吐き出すと言った。


「ふざけんなよっ……。お前はルイ先生と楽しい時間過ごしてて、俺はなんだ? お前を待ってるだけってか!? 冗談じゃないよっ!」


『だから、そういうこと言ってるんじゃない。たしかに俺はお前を迎えに行くと言ったよ』


「そうだよ! 言ったんだよ。なのにお前は俺に『こっちに来い』そう言ったんだよ!」


『ちょっと待てよ!』


拓史の声が、これまで聞いたこともないような激しい拒絶の色を帯びて響いた。


『俺はそんな言い方はしてない!』


「言い方の問題なんて関係ないんだよっ!」


『関係あるだろうが! 俺はお前にそんな、命令みたいな言い方はしてない!』


拓史のその叫びは、悲鳴に近かった。

その瞬間、拓史の脳裏には『ロンブル(L'Ombre)』の空間で支配的な【マスター】としてドールたちを傲然と跪かせ、「来い」と命じている自分自身の姿が、磨耶の言葉によって鮮烈にフラッシュバックしていたのだ。


(俺は……マヤに対してまで、あの傲慢な『Célian』としての仮面を向けていたのか!?)


最も対等で、最も傷つけたくないはずの磨耶に対して、無意識のうちに支配者の命令口調を押し付けていたのではないかという、自分自身への凄まじい愕然がくぜんとした恐怖。その醜い己の歪みに突き当たったパニックと焦燥から、拓史は痛いところを隠すように、ムキになって声を荒らげるしかなかった。


だが、そんな拓史の内面の崩壊など知る由もない磨耶は、鼻で笑うようにして吐き捨てた。


「どっちでもいいよ。ともかく約束を破ったのはお前だ。そのお前に俺がとやかく言われる筋合いはない。ふざけんなよっ!」


激しい怒りの導火線に、完全に火がついた。ここから二人の言葉は、互いの急所を容赦なく抉り合う刃となって加速していく。


「ふざけんなっ!」


『それはこっちのセリフだ!』


「何で俺がそこまで言われなきゃならないんだよ!」


『俺だってお前との時間を作ろうとしたよ!』


「作ってないじゃんかよ!」


『作っただろっ!?』


「作ってないから会えてないんだろっ!?」


『俺は……お前に教授の所にこい―――』


「俺は行かないって言った!!」


『マヤ……』


「俺は何度も言った! その理由もちゃんとお前に伝えた!! なのにお前はルイ先生との時間を取ったんだろうっ!?」


『取ってなんかないだろう!?』


「取ったよ! お前は俺を迎えに行くって言ったのに……お前は俺に『来い』って」


『……それは……』


「俺のせいなのかよ!?」


『……だから……俺もいろんなことがタイミング悪く重なって……』


「それはお前のせいだろ!? 俺のせいじゃない。講義の予約もゼミも、お前が自分で取ったんだろ!? ルイ先生の所に行くのだって……お前の意思で行ったんだろ!? 違うか!?」


『マヤ……』


もう、止まらなかった。一度口から飛び出してしまった鋭い言葉たちは、お互いの愛を、プライドを、木っ端微塵に引き裂いていく。


「……ふざけんなっっ!! もう、お前なんて知らない! 勝手にやってろよ!」


『ちょ……ちょっと待ってくれよ』


「待たない!! もうイヤだ! 俺は待ったよ! ずっと待った!! なのにお前は俺との時間よりもルイ先生との時間を取ったんだよ」


『だから! それは違うって!』


「違わない!! もういい! お前はお前の好きな場所で好きなことしろよ。俺も好きなことやるから」


『マヤ……』


「悪いけど今日も俺用事あるんで。もう切るよ」


『待ってくれって!』


「……バイバイ」


―――ツーーー、ツーーー、ツーーー……。


磨耶は言い切ると同時に通話終了ボタンを叩きつけ、スマートフォンをベッドへ放り投げた。

こみ上げてくる激しい怒りと、それ以上に胸の真ん中を虚しく吹き抜ける寂しさに、磨耶は肩を震わせながら、再び壁に背を預けて目を閉じた。


画面の向こうで、完全に拒絶のトーンに染まった『バイバイ』という言葉を残され、ブツリと切れたスマートフォンを、拓史は血の気が引いた顔で見つめていた。

すぐに我に返り、震える指先でリダイヤルを繰り返す。

コール音は虚しく響くだけで、二度と磨耶が出ることはなかった。何度も、何度も、画面をタップしてかけ直す。だが、呼び出し音の後に聞こえてくるのは、冷淡な電子音声だけだった。


(繋がらない……マヤが、俺を拒絶してる……)


その瞬間、拓史は生まれて初めて、本当の意味での「底なしの絶望感」に頭から冷水を浴びせられたように襲われた。自分のせいで、自分の内側の歪みのせいで、一番大切なものを完全に怒らせ、失いかけている。


思考回路はパニック寸前で、パズルのピースはバラバラになり、論理的な思考など1ミリも機能しない。


拓史は逃げるように、そして引き寄せられるように、大学のキャンパスへと向かい――そのまま、鴇鷹教授の研究室のドアを押し開けていた。


部屋に入ったその場から、拓史は一歩も動くことができなかった。

ドアのすぐ近くで立ち尽くしたまま、深く俯き、悔しさと絶望のあまり唇を血が滲むほどに強く噛み締める。

そんな拓史のただならぬ様子に、デスクにいた鴇鷹教授がゆっくりと視線を向けた。美しい瞳を細め、すべてを見透かすような大人の声音で、静かに尋ねる。


「……何かあったのかい?」


拓史は激しく波打つ胸を抑え、弱みを見せまいと、声を振り絞るようにしてどうにか言葉を紡いだ。


「何でも……ない……です……っ」


だが、その直後、張り詰めていた糸が決壊し、堪えきれない小さな嗚咽が拓史の口から漏れた。

鴇鷹教授はゆっくりと椅子から立ち上がると、無言のまま、拓史に向かって優しく両手を広げるようにした。


「拓史、おいで」


その絶対的な包容力を前にしても、拓史はプライドを捨てきれず、その場から一歩も動くことができなかった。俯いたまま、目元から大粒の涙がポロポロと床へ零れ落ちていく。

そして、その涙を隠すように、まるで傷ついた少女のように、両手で顔を覆って声を殺して激しく泣きだした。


―――その場から動けない拓史の元へ、鴇鷹教授が静かに、音もなく歩み寄る。


そして、ドアの前で立ち尽くしたまま顔を覆って泣き崩れる拓史の身体を優しく、拒む隙も与えないほどの確固たる力で抱きとめた。


拓史は教授に抱きしめられてもなお、自分からしがみつくこともできず、その場に縫い付けられたまま、教授の胸の中で、子供のように激しい嗚咽を漏らし続けることしかできなかった―――。

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