ドーナツ
1984年一月の今日。
コウの家で、永井君から貰ったクリスマスライブでのDarwinの演奏テープを聴いた。
オリジナルを四曲演奏していて、全てコウとユッケで作詞作曲をしている。
二人は親友だけど、歌詞や曲の傾向は全然違っていてすごく面白い。
コウの曲『初雪』をやっとフルで聴けた。
「素敵な曲、感動したよ」と言うとコウは照れて、
「夏にはちょっと歌いづらいよね」と言った。
Darwinは今後オリジナル曲で活動する。
これまでに録音した四曲入りのデモテープをレコード店のインディーズコーナーに置くことにした。
曲紹介を入れたジャケットは私がデザインしたのだ。
コウとユッケはいよいよ、ドラムの新ちゃんとギターのカズ君に替わる新メンバー探しを始めた。
新ちゃん達の脱退ライブにもなる対バンは、春休みの三月に決まった。
「今回は持ち時間も長いから、コピーも入れて派手に演って二人を送るよ」
「私もチエと一緒に何か考えて盛り上げるよ」
「ライブの時写真も撮ってもらう。永井の紹介で、A高の写真部で賞も獲ってるタッキーっていうやつだって」
「ライブの写真。うわー、いいね」
Darwinも周りの子たちの輪も変化に直面している。
私と同じで高三になるチエちゃんは通っている女子高の内部進学で、市内の短大に進学するつもりだって。
永井君は、東京にある音響の専門学校に進学するから来年札幌を離れる。
コウとユッケとは、中学生の頃から二人で演奏したり曲を作ったりしてきて高校でDarwinを始めた。
コウは前に、大学進学とバンドを並行する事が家での約束と言っていた。
でも今はインディーズから出てメジャーデビューを狙いたいと言っている。
ユッケは男の子三人兄弟の次男で、将来は経営の勉強をしてお父さんがやってる会社を手伝う予定だったそうだけれど、今はやっぱりコウと同じ気持ちみたい。
二月初旬の日曜の午後。
街中のデパートで偶然新ちゃんに会った。
私は一人で、そこの展示スペースを利用したポップアートのポスター展を見に出かけた。
それから下のフロアにある書店に立ち寄ったところだった。
「ミキ」
声をかけられて振り返ると、紺のダッフルコートに学ラン姿の新ちゃんの人懐っこい笑顔があった。
「新ちゃん、久しぶり。すごい偶然だね」
「だね、俺模試帰り。一応今日の反省で問題集と、でもマンガも買っちゃった」
今日の新ちゃんは、普段Tシャツにジーンズでハードロックバンドのドラマーやってるとはとても思えない。
ライブの時の気合いとはかけ離れた、どこかのんびりした話し方に笑顔を誘われる。
「私はこの上でポスター展見て来たの。カッコよかったよ」
「へえ。一人で」
「うん。絵とかゆっくり見たい時は一人で展覧会も行くよ」
「何かミキって大人だねー。あの、さあ」
ちょっと考えるように言葉を切って、
「俺とオヤツ食べに行かない、ドーナツだけど。一個おごるぜ」
新ちゃんは親指を立てて格好つけて言った。
コウと新ちゃんのいきさつを思い出して私は少し迷った。
でもコウと付き合うようになってもう半年が経ち、新ちゃんとも全然変わらずに接していた。
新ちゃんがDarwinを辞めちゃったら顔を合わせる機会もなくなるのかな。
「おごらなくていいけど、行くよ」
「オッケー、行こうぜ」
渋い声音を作って新ちゃんは言うと、二人でドーナツ屋さんに入った。
新ちゃんは律儀に奢ってくれて、自分用にはチョコのコーティングたっぷりのを3個選んでた。
「俺、好き嫌い多すぎてさあ。オヤツないと生きられないの」
確かに差し入れでも打ち上げでも、お菓子以外だとフライドチキンとかポテトしか新ちゃんは食べない。
カズネ先輩が海苔巻きや稲荷寿司を作ってきてくれた時も、酢飯が苦手と言って食べなかったな。
「新ちゃん、甘いもん大好きだよね」
「うん、俺本気でお菓子のメーカーとかに就職したいもん。オマケとかも考えてみたい。でもガンダムも作りたいんだよなあ」
「ガンダム、でもその夢叶うといいね」
「うん。ミキはやっぱいいねー。あー、もう今度の対バンで引退とか泣けるなあ」
「私も寂しい。新ちゃんファンが泣くね」
「俺って罪な奴だな」
二人して笑って、新ちゃんが笑顔のまま言った。
「いや、罪なのはミキだぜ」
虚をつかれて私は答えられない。
「 俺、ミキが好きだった。狙ってた。だからコウと付き合い出した頃はもう、ジェラシー焼きまくりだったからな」
そう何気なく新ちゃんは言った。
好きだった、という言葉が不意打ちで胸に刺さる。
どうやって聴いてたらいいのか困ってるのに、『ジェラシー焼きまくり』って言うのが妙に可笑しくて、新ちゃんらしくてつい笑ってしまった。
「ごめんね新ちゃん。ちゃんと聴いてるけどジェラシーが…」
一層笑えてしまう。
「いいんだ、笑ってくれ。俺大学行ったら大人っぽいお姉さんと付き合って、童貞貰ってもらうぜ」
「やめてー」
「ごめん」
「でも、新ちゃんにはお姉さんぽい人が合ってるね」
「俺甘えたいタイプだから、膝にゴロンしたいなー」
笑顔が魅力的で人を笑わせるのも大好きな甘え上手の新ちゃん。
彼が綺麗なお姉さんの膝にゴロンしているところは、無理なく想像できる。
「コウは俺と真逆だよな。ミキのこと宝物みたいに大事にして、全身で守ろうとして」
新ちゃんは急に真面目な調子で言った。
「俺がミキの事いいなって言ったら、アイツ速攻で『渡さない』って言ったからな。この大先輩に対して」
コウが言ったのと同じ事を新ちゃんが言った。
「俺な、やっぱり言わずに引き下がるんじゃなくて、ミキにちゃんと振られた気持ちになりたかったんだと思う」
どう答えたらいいのかわからなくて私はうなづいた。
「今日誘ったのバレたら俺、コウに処刑されるから。内緒な」
私を笑わせておきながら新ちゃんは、コウに少し後ろめたい私の気持ちを自分の胸に引き受けてくれた気がする。
新ちゃんは間違いなく、とてもとても優しい人だ。
「綺麗なお姉さんの膝にゴロンするまで、俺は死にたくねえ」
そしておやつの後、私達は解散した。
二人でこんなこと話したのは初めてだったし、きっと最後だ。
「新ちゃんごちそうさま、最後の対バン盛り上げようね」
「ミキ、付き合ってくれてありがとう。対バン決めるからな」
そう言って、背の高い新ちゃんが地下街の人波に紛れていった。




