進化論
六月最後の日曜日。
曇っていて、札幌にしては蒸し暑い。
今日Darwinが3ヶ月ぶりのライブをするのは、演劇を演る子達にも人気の旧い煉瓦造りの倉庫を改造したスペース。そこで聴くのは、新メンバーになって鍛え直された新生Darwin。
私はとてもワクワクしていた。
この3ヶ月間コウ達は新しいメンバーで練習し、最初のオリジナルと収録曲が同じデモテープを新メンバーで再録した。
このスタートに刻印するかのように。
同じ曲なのにメンバーが違うと演奏がまるで違う。
再録したデモテープのジャケットも、私が描いて新しいものにした。
「早速気合い、すごいことやるよね」とチエちゃんが言った。
ライブ前に、楽屋で新しいメンバーと顔を合わせた。
ドラマーのケンは二十歳の大学生向井健太郎君。
実家は、街中にある有名な老舗のお寿司屋さんだ。
部活のブラスバンドがきっかけで中一から始めたドラムは今もレッスンを受けている。
ロックもフュージョンバンドの経験もある実力派。
ギターのカズ君に替わって入ってくれたのは、コウやユッケと同い年の森口聖君。
彼はセイと呼ばれていて、演奏は私も他のハードロックのコピーバンドで何度か聴いたことがある。
ギターがすごく上手くて、見た目も派手で髪をツンツンに固めて立たせていて、それが似合ってる。
盛り上がるとステージから飛び降りて速弾きして、
「セイー」と女の子のコールが結構来てた。
バンドの色が一気に変わる予感がする。
今日はまた受け付けに入るから、
「コウ楽しみにしてる、みんな頑張って、後でまたね」と言うと、うなづいたコウと目線が重なった。
そうしたら一週間前コウと会った時のことが頭をよぎった。
それは夕暮れが迫るコウの部屋で二人でBlack Sabbathを聴いていた時のこと。
あの時私を抱きしめていたコウの腕と、体温とキスと。急に記憶が流れ込んでドキドキしてくる。
何で今思い出しちゃったの。
そう意識すると恥ずかしくて、コウの視線から目を逸らした。
するとコウが「ミキに頼みあったんだ」と私の腕をとって楽屋の外に出た。
「後からうちの姉ちゃんがケーキ持ってくるから預かっておいてくれる」
「聖美さん見に来るの」
「うん、今日ユッケの誕生日で姉ちゃんケーキ作るって言ってたから。ライブ見れるかはわかんないけど」
聖美さんは調理師の免許を持っていて市内の洋菓子店に勤めている。
以前コウの家でご馳走になった聖美さん手作りのシフォンケーキは、ふんわりしっとりしていてすごく美味しかった。
「ユッケ今日なんだ。後でお祝いだね」
「うん、それと。ミキ、俺頑張るからね」とコウは私の指先に少しだけ触れてきた。
指先がちょっとひんやり湿った感じ。
コウが緊張してる時の手だ。
「見てるよ」
私はコウをちゃんと見つめてその指先を軽く握った。
Darwinの前のバンドの演奏中に聖美さんが来た。
背が高くて、綺麗で眉が上がったキリッとした顔立ちがコウと似てる。
コウが家から私と長電話してると「コウ長いよ。私も使う」と注意してくることもある。
「るせー、ゴリラ」と電話越しにコウは楯つく。
聖美さんは美人だ。
どこがゴリラなのコウ、本当に口が悪いよ。
「ミキちゃん元気。お土産持ってきた。コウ達これから」
「この次です、コウから聞いてますよ。ライブ聴いていきませんか」
「久々に聴いてくかな。コウも祐介もここ半年以上夜とか休みにも歌ったり一緒にギター弾いたり、ずっとやってたからね」
聖美さんはユッケのことを「祐介」と呼ぶ。
旧Darwinがオリジナル曲で作った初めてのデモテープは、
「コウのやつ黙ってるから祐介に貰って最近聴いた。コウが照れる理由は『初雪』でしょ。いい曲じゃない」
冬の始まりに大通公園で私と一緒に見た初雪をテーマにコウが作った曲。
聖美さんがニマーっという感じで笑ったので、私も照れて笑った。
「コウにさあ、オフコースの『秋の気配』歌わせたらなかなか良かったよ。ミキちゃん今度リクエストしてみなよ」
聖美さんは、自分が聴いて気に入った曲をコウにギターで弾き語りさせるのが好きで私にも勧めてくる。
Darwinの出番が来たので、違うバンドの応援の子と受付を交代してもらう。
私は聖美さんと一緒にステージのそばに向かった。
コウは登場してすぐに私たちに気づくと「うわ、聖美」と言った。
ユッケも気づいて、ちょっと手をあげて挨拶した。
Darwinは、全体的に音が逞しくなって男っぽい感じがする。
ケンのドラムは音量がありキレが良くダイナミックで気持ち良い。
ギターのセイは曲をアレンジして、新しいソロを入れてるところもあった。
「いいね、前のデモと全然違う感じだけど曲がカッコ良く聞こえる」
聖美さんも言った。
演奏の後で聖美さんとケーキの包みを持って楽屋に行った。
「お疲れ様。祐介、誕生日おめでとう。ダブルのシュークリーム作ってきたよ。みんなで食べて」
「え、ほんと。姉ちゃんありがとう、俺これ大好き」
ユッケが満面の笑みになった。
そしてみんなでユッケにハッピーバースデーを歌って、生クリームとカスタードクリームが入ったシュークリームを食べた。
甘さは控えめでとても美味しい。
「祐介はウチに来てお腹空くと、オムライス食べたいとか言ってくるんだよ」
聖美さんはユッケのことを弟のように話す。
「姉ちゃんは怒るとゴリラだけどさあ、料理は上手だからな」
「ゴリラとか失礼な。もう作ってやんないよ」
「聖美さん勘弁して下さい、今日は本当に嬉しいです。それと今度は辛いカレー食べたい」
普段はわりと硬派なユッケが素直におねだりする。
「ユッケんちカレー甘口なの」とケン。
「うち親父が辛いの苦手なんだよ。だから甘口。俺はやりきれん」
「今日ユッケんち誕生パーティーすんの」とセイ。
「俺、肉好きだし普通のケーキは甘くて食べないし、ウチは今晩焼肉屋でパーティー」
「いいね焼き肉。また祐介ん家でバーベキューする時呼んでよ」と聖美さん。
「うん、来て来て姉ちゃん、焼きそば作って」
ユッケがおねだりする。
その時楽屋の扉がノックされて初めて見る男の人が顔を覗かせた。
三十代くらいに見える人だ。
「君達Darwinのメンバーだよね」
「はい、そうです」とコウが答えた。
「ライブ良かったよ。デモテープ持ってきてたみたいだけど、まだあるかい。一本欲しいんだけど」
「あります」
コウがテープをカバンから出すと男の人はデモテープを買ってくれて
「ありがとう。これからも頑張ってね」と言ってくれた。
その場にいたみんなで口々に「ありがとうございます」と応えた。
男の人が帰った後で「何か業界っぽい人じゃなかった」とセイが言った。
「イベント仕切る感じの人とも違うよな」とユッケ。
「誰も会ったことないの」とチエちゃん。
確かにその場にいた誰も会ったことのない人だった。
少なくともこの新生Darwinを気に入ってくれたことは間違いないという事に落ち着いた。
でもその一週間後コウからの電話で思いがけない展開を聞かされた。
「あのライブの時楽屋にきた男の人、Sラジオの人だった」
「Sラジオ、どうして」
楽屋に来てデモテープを買ってくれた男性は、北海道内をカバーしているAM局Sラジオ局の人だった。
「札幌のバンドブームの中でオリジナルの曲を演奏するバンドを取り上げた番組を企画してるって。それでデモテープのジャケに書いてる連絡先を見て俺とユッケに連絡きたんだ」
番組はポップス系、ニューウェーブ系、そしてロック系と三回に分けて放送する。
「そのロックの回に、19Degreesと一緒にDarwinを取り上げたいって」
「えー、本当」
コウ達はサトルさんのバンド19Degreesを尊敬しているから一層驚いた。
「サトルさん達と同じ回とか恐れ多いよ。インタビュー前撮りして流すからスタジオに来れるかって」
放送ではオリジナルを一曲流してもらえるって。
「新しい方のデモからユッケの『進化論』にするかって。ノリいいしDarwinのアンセムだから」
「うん、いいね」
オリジナルを演奏し始めてまさかの急展開。
「九月にはSラジオホールでアマチュアバンドの音楽祭もやるって」
それから少しして、コウとユッケへのインタビューがDarwinの曲と一緒にSラジオで紹介された。
私は家でドキドキしながら清隆と一緒に放送を聞いて録音し、そのカセットテープはツメを折って永久保存版にした。
放送の後からレコード屋さんのコーナーに置いていたデモテープが売れ出した。
新旧メンバー違いのデモテープが二本あるのもちょっと話題になって、新ちゃんやカズ君の演奏で出した最初の方はもう完売した。
こっちはもう今後は売らないから私達は「幻の名盤」と呼んで手持ちを大切にしている。
対バンが増えてライブが月一回ペースに跳ね上がり、一緒にやるバンドもオリジナルを演奏する先輩バンドが中心になった。
Darwinのファンもこれまでは同年代で高校生メインだったけど、年齢が上の人達や女の子が増えてきていた。
ケンはレッスンで鍛えられたしなやかでパワーのあるドラムが男の子達に人気で、ソロを入れると「ウオー」って感じで歓声が上がる。
少し小柄なセイはツンツンに立たせた髪に、ピンク色のTシャツとかピアスをつけたりするのも似合ってて動きや表情が多彩で女の子達から「セイ可愛いー」とコールされる。
曲だとユッケのは男の子達寄り、コウのは女の子寄りの人気があるように思う。
周りがどんどん盛り上がってく中、対バンのポスター作りで永井君と会った。
Sラジオ主催の音楽祭は「知ってるよ。でもあれはハードロックを取り上げるわけじゃなくて、何でもありのお祭りだね」と永井君は言った。
チエちゃんが「音楽祭、出るの」とリーダーのユッケに聞くと、
「オリジナルのハードロックの祭りって言われたら、そりゃ迷わず行くけどさ」とユッケ。
「札幌のバンドブームに興味あっていろんなバンドを聴きたい人にはいいけど」とケンも言った。
「じゃあ出ないの」と私も聞くと、
「俺らはハードロックのバンドとして、同じことやってる人達と修行したいんだ」とコウ。
セイも「俺らはこれまで通り、対バンやりながら勝負したいんだよ」と言った。
Darwinは音楽祭には参加しないことを決めた。
その代わりに、ユッケがロック系の音楽雑誌で見つけたオリジナル曲のアマチュアロックコンテストに参加しようと動き出した。
デモテープでの予選に五分以内で演奏した一曲で応募する。
予選に通ったら本選で実際に演奏できる。
でも本選の場所は東京だ。
同じ頃、私は高校最後の展覧会参加に向けて、また油彩の下絵を描いていた。
人物画が好きだからやはり人物を描こう。
そう思って浮かんだのは、音楽を聴いたりヘッドフォンをつけて歌ったりしているコウの顔。
コウを知ってる友達には冷やかされそう。
だけど、今一番魅かれるずっと見ていたい姿だから。
屋内でじっとして描かせてもらうんじゃなく、放課後にコウと会える時スケッチブックを持って行って外で何度か描かせてもらった。
その方が唄ったり演奏する気持ちでいるコウに触れられるから。
最近暑いので、コウは制服の白シャツを脱いで腰に巻き、Tシャツにギターケースを肩にかけてたりする。
大通公園でアイスを食べたり話をして、コウがギターを弾いたり歌の練習をするのをスケッチさせてもらった。
「ねえコウ『秋の気配』唱って」
聖美さんの話を思い出して頼んでみた。
「え、それまた姉ちゃんが何か言ったな」
コウは最初渋い顔をした。
「コウお願い」と言うとちょっと下を向いて、
「ギターも違うんだけど。でもミキにならいいよ」と唄ってくれた。
コウが普段唄うロックとは全然違う静かな曲調で、歌詞の言葉も大人っぽい。
でも聖美さんの言っていた通り、コウが優しい声で唄うきれいな曲はなかなか、と言うよりすごく良かった。
私がコウに拍手したら別の拍手が聞こえて来た。
知らない中年のおばさん2人が立っていて、ニコニコしていた。
そしてコウに「あなた上手だね」と言ってくれた。
立ち止まって聴いていたみたいだった。
「うわあー」
コウはいつももっとたくさんの人の前で唄ってるくせに恥ずかしがっていた。
別な時には『初雪』の曲を書いた時のように、何かが浮かんでイメージの世界にふっと入り込んでいるコウを見た。
手帳とボールペンを取り出してメモを始める。
伏し目がちにメモを取るコウを静かに眺めていると、やがて目線を上げてとてもいい笑顔を向けてくれるのだった。
そうやって一緒に過ごしてからコウが送ってくれたり、バンドの練習に向かうコウとそのまま別れることもあった。




