第2話
「あー、マジくそダリーわ。はやく部活行かしてほしいんだけど」
「つーかさ、一日や二日、ホコリとか取んなくても変わんなくね?」
「ホントそれな。つーわけで委員長、もう終わりでよくね?」
サッカー部の木林くんと三井くんが同時に委員長のほうを見た。僕は引き続き、何にも気付いていないかのように黙々と、机の脚の裏についたホコリを取り除く。
「駄目よ、私たちの班以外はしっかり放課後十五分、きちんと掃除をしているの。私達だけしないなんて、許されないに決まってるじゃない」
委員長はハキハキとした口調でそう告げた。そうすると木林くんと三井くんが「んだよー」「かてー」と不満の声を漏らす。
「それじゃあさ、俺たちだけもう終わっていい? ホントに大会近いんだって、お願い委員長! 一生のお願いだから!」
木林くんが懇願するように手を合わせ、それを掲げる。すると、三井くんも釣られるように手を合わせて委員長にお願いした。
「はあ、全く。……今後はちゃんとやる?」
その言葉を聞いた矢先、木林くんと三井くんは表情を明るくし、「やるやる!」と嬉しそうに許可を待った。他の班員達は委員長のまさかの返答に驚き、三人の方向を一斉に向く。
……これはまずいかも。
「じゃあ大会近いんだし、今日は免除してあげる。先生も会議行っちゃったし、あとは私たちに任せ――」
「ちょっと待ってよ」
「み、みおちゃん……」
隣の名取さんの心配そうな表情などお構いなしに、女子バスケット部の神田さんは敢然と会話を遮った。
「何でアイツらだけ特別扱いなの、おかしくない? みんなも用事あるのにルール守ってやってんだよ」
「え、いや、あのー、それはっ……た、大会でベスト尽くしたいって気持ちは、尊重してあげたいなーって……」
「十分、十五分で結果変わるんなら、その程度の努力しかしてないってことでしょ」
「みおちゃん……」
「は?」
「お前、何言ってんの?」
神田さんが放った一言は、木林くんと三井くんの逆鱗に触れてしまった。二人はズカズカと神田さんの方に向かっていく。
「雑魚女バスが調子乗るんじゃねーぞ」
「は? つか、サッカー部もそんなに大したことないし」
「何言ってんだコイツ。キモっ」
そういって木林くんと三井くんは互いに目配せし、鼻で笑った。
「あの、三人とも、やめて……」
何とかこの場を制止しようとする委員長の口調に、もはや先程の快活さはなかった。狼狽しながら制止のポーズを取ることが、彼女の精一杯だった。
……僕はみんなの気持ちがわからなくもなかった。掃除がめんどくさくて、適当でも何でもいいから早く終わらせたい木林くんと、三井くんの気持ち。クラスでもリーダー格の二人に、あまり強いことを言えない委員長。不平等に、どうしても納得いかない神田さん。
そのどれもの心情に近いものを、僕も持ち得たことがあった。
……だから。ちょっと目立つのは怖かったけど、僕は諍いの中心に恐る恐る向かっていった。
「あ、あのー……」
か細く声を出すと、皆がこっちを見てくる。僕は思わず目線を下げてしまう。
「何?」
その反応に、自分の唇が震えていることが分かる。それでも何とか、スムーズに一言目を出すため息を大きく吸った。
「……あ、あとは僕が全部、やっておこうか?」
「……え?」
「マジ? いいの?」
苛立っていた木林くんと三井くんの表情が、一転きょとんとしたものになった。
「う、うん、大丈夫。僕、掃除そんなに嫌いじゃないし。このあとの予定も、な、ないし」
その言葉を聞くと、木林くんと三井君が、再び目配せして笑顔を見せる。
「マジ? 助かるわー」
「ホント、誰かさんと違ってめっちゃいい奴だわ~」
僕がへらへらと愛想笑いを浮かべている間に、三井くんが神田さんを一瞥し、挑発した。そしてまた二人の間で、視線間の争いが起きる。
「か、加賀くん、ホントにいいの?」
「うん、平気だよ」
僕がそう返すと、委員長は心底嬉しそうな表情をした。藁にもすがる思いだったのだろう。
「……そんなことして、結局損するのアンタだよ」
「み、みおちゃん……」
「……うん」
委員長とは対照的に、不満そうな表情を浮かべる神田さんの言葉は的を射ていた。それ故、僕は納得して言葉は返さなかった。
「……」
でも、これでいいのだと思う。
いまの僕に出来ることなんて、多分、これぐらいしかないのだろうから。
◆ ◆ ◆
「……あっ、起きたー?」
目の前にあるのは少女の顔と、夕焼けのオレンジ色が工場の煙と雲で霞がかった空模様。頭の後ろに感じるのは、今までに感じたことのない柔らかい感触だった。
「……うわッ!?」
自分の置かれている状況を理解して、慌てて飛び上がる。突然の僕の行動に少女は驚くようにこっちを見ながら、そのまま笑った。
「気持ちよさそうに寝てたよー。寝顔も、ギャップがあってなかなかよかったしー」
そういって親指を立てる少女に恥じらいは感じられなかった。僕自身は余りの衝撃に、心臓の鼓動がいつまでも鳴り止まない。
「な、なんで」
「膝枕を」とは、すんなり言葉を続けられなかった。これ以上言葉にしてしまったら、僕は改めて恥ずかしくなって、情けなく戸惑ってしまうと思ったから。ただでさえ男らしくなく情けないのに、これ以上恥を上塗りしたくなかった。
「いやあ、ははは。ここにきたらいきなり、君が寝ててさあ。ここの上じゃ、アタマ痛いでしょ?」
そういって少女はポンポンと、鉄製のシートを叩いた。どうやら、僕はまた観覧車の中にいるらしい。
「……じゃあ、狭いし隣に移動してっとー」
手を後ろに組みながらクルッと軽やかに少女は回転して、向かいの席に腰を下ろした。少女の顔が、夕焼けに反射して一瞬見えなくなる。
「で、決めてくれた?」
「……何を?」
そう返答すると、少女は驚きあんぐりと口を開けた。
「名前だよ! 私のなっ、まっ、え! ひどいっ! ちゃんと約束したのに!」
「……名前?」
……ああ、そうだった。
確かに僕は前回、彼女の名前を考えてくると約束した。……半ば強引にだったような気もするけど。
「わ、わかった。ちゃんといい名前を用意するからさ、もう少し時間を――」
「い、や、だ! もう待ちきれない! 締め切り! 締め切りを守れないのは、ジョンプのホガシ先生だけで充分!」
少女は腕を組んで、そのままふくれっ面を右に反らす。
「……いま決めて」
「で、でも」
困惑していると、少女は反らしていた顔をこっちに向けてくる。相変わらず表情は、ふくれっ面のままだった。
「な、名前って重要なものだし、行き当たりばったりで決めない方が良いと思うんだ。だからさ、いったん今日は――」
「……重要なものなら、なおさらいま決めて」
そう告げる少女の瞳が、微かに潤む。
「……なんで」
僕にはわからなかった。少女がなぜそこまで名を渇望するのか。僕が名付ける必然性があるのか。僕のような人間が、名前を決めてしまっていいのか。
そんな考えを巡らせる間、少女の眼差しは嫌というほど僕を一点に貫いていた。急かすように、ひどく真剣に。
「……圭太」
……負けた。僕は彼女の気迫に、負けたんだ。
「……感じたままの、名前でいいんだね」
「……うん! キミがつけてくれるなら、それでいい」
「……あとで文句いわないでね」
「うん!」
少女の笑顔に思わずこっちも笑みがこぼれると、周囲に大きなメロディが響きわたる。そしてそれは、一度聞いたことのあるものだった。
♪♪♪
「まもなく、五時になります。外で遊んでいる子供たちは、安全に気をつけて、お家に帰りましょう」
「……圭太、はやく」
「……うん、大丈夫。いま決めるよ」
思索を巡らせる間、少女は酷く不安そうな表情をこちらに向けていた。
綺麗な少女の表情が歪む。……そんなところを、僕は見たくなかった。僕なんかに期待して、必死に言葉を待ちわびる少女の姿を。僕はその姿に、値する人間じゃないから。
笑ってほしかった。最初、このボロボロな空や街並みのなか、屈託無く笑う少女を、僕はもう一度みたいと思った。
「圭太、はやくしないと……」
「うん、大丈夫」
メロディが徐々に終わりに近づく。
……観覧車で目覚めたとき、一瞬でわかった。ここは、絶望の淵だと。この世界にこれ以上の進展はないのだと。
そんな中、この世界の圧力に負けずに笑う少女は、歪だった。全てが停止という行動を選んだこの世界が普通ならば、少女だけがたったひとりの、異常な存在だった。
「……うん」
そしてだからこそ、名前はすぐに決まった。
「……圭太?」
「……わかったよ。君の名前は、セカイだ」
「……セカイ??」
「そう、セカイ」
すべてが終わったこの世界では、少女だけが全てだ。
「セカイ……それがワタシの――」
何も成し得ないこの世界で、何かを成し得ることができるのは、少女だけだ。
終わりの世界で、次を紡げるのは少女だけだ。
「うん、僕が考えた、君の名前だよ」
だから、この世界では少女がセカイだ。
「……あはは! 何だかわからないけど、すっごく嬉しい! すっごく嬉しいの! ありがとう、圭太!」
寂れた観覧車の上で、セカイがまた笑う。
それに釣られて、僕も笑った。
あはははは。
観覧車が、微かに揺れる。
そしてメロディは鳴り止む。それは、何事もなかったかのように。




