第1話
――世界の果てだった。
朱色の夕焼けの下、目の前に広がるのは澱んだ茶色の海。とうの昔に使われなくなったであろう沈んだ船。廃棄され高く積まれた車が連なり、遠くに見える大きな橋も、中央部がちぎれとても通行ができる状態じゃない。
そんな世界を、高いところから見ている。
「……」
僕はいまどこにいるのか。何もわからないまま辺りを見渡す。
頭上や周辺を囲んでいる窓はほぼ割れており、吹きさらしの状態になっている。浜風が強く吹く度、ガタガタと全体が揺れる音と、周辺の部位の軋む音が混じる。
そんな状況を鑑みると、いま座っている冷たく無機質な鉄製のシートも、抜けて下に落ちるのではないかと不安に駆られる。
「……観覧車?」
どうやら自分はいま観覧車に乗っているらしいことに気がつく。だけど、ただ気づいただけ。ここに来るまでの過程などは全くわからない。
なぜ? どうして? 疑問符が尽きることはない。頂上で完全に止まってしまっている観覧車の上で、僕は只々困惑することしかできなかった。
「聞きたい?」
向かいの席に目を向けると、そこには少女が座っていた。両手で頬杖をつきながらニヤニヤと僕の方を見ていた。
「……聞きたい」
少女がいつからいたのか。そもそも最初から座っていたのか。そんなことも、何もわからない。だがそんな中、いまは疑問符の強さだけが僕を動かしている。君は誰だとか、いつからここに居たのだとか、そんな聞くべき過程をすっ飛ばして、反射的に、僕は少女の問いかけに答えた。
「えー、どうしよっかなー」
パタパタと裸足の脚をバタつかせ、少女は相変わらずいたずらな笑みを崩さない。
その表情を、姿を、素直に可愛いと思った。綺麗な黒いロングヘアーも、白いワンピースも、少女の中に溶け込む、ほのかな大人っぽさも、全てが完璧に配置されているような、そんな印象を受けた。
「まっ、特別に教えてあげる。お客さんなんて、ワタシ初めてあったし」
今度はくしゃっと表情を崩して、全快に彼女は笑った。
「ここはね、終着点なんだー」
「……終着点?」
少女が微かに頷く。
「うん。ピリオド、完結、end、限界。まっ、何でもいいやー。ワタシなりの言葉で表現すると、終着点ってだけー」
「……」
「……絶対何か、わかってないよね?」
……逆にわかったらすごいと思う。
「まっ、正直私も、これ以上はわかってないんだー。『この世界を、誰が作ったのだー』とか。『何がこうなってこうなんだー』とかなんて、さっぱりわからない」
「……他の人は、何て言ってるの?」
率直な疑問を口にすると、少女は大きく目を見開いて驚いた表情をみせた。そのあと笑い転げて、観覧車が大きく揺れる。
「はははっ! 他の人なんて、居るわけないじゃーん。なにいってんのー」
「……」
異常だ。素直にそう思った。少女の口ぶりだと、まるで他人が存在すること自体が、おかしな話みたいだ。
「ワタシ生まれてこの方、人になんて会ったことなんてないよー。っていうか、この世界の初めてのお客さんは、キミ」
そういって、少女は僕のほうを指差す。
「キミ、名前は?」
「……加賀圭太」
「ふうん、普通」
つまらなそうに、少女は口を尖らした。
「ワタシの名前はー、えーっと……何だっけ?」
少女は「ちょっと待って」と僕を手で制し、考え始めた。
「もうここまできてるんだよー、あともうちょっと、もうちょっとだからー、ふぬぬ!」
少女は目を思いっきりつむり、必死に考えている。……目をいくらつむっても、思い出せないものは思い出せない気がする。
「……ふっはー、もう無理! 思い出せない、ギブギブ! あれー、何だったけなー」
息を止めながら考えていた少女は、腑に落ちない表情で膝に手をついていた。
「ねえ、キミも一緒に考えてよー」
「ぼ、僕がわかるわけないじゃないか!」
「えー、ケチ」
「ケチとかそういう問題じゃない気が――」
♪♪♪
言葉を続けようとした矢先、夕焼け空にメロディが反響する。もの悲しく、だが同時にどこか懐かしい、そんな、不思議な感覚を喚起する音楽だった。
「まもなく、五時になります。外で遊んでいる子供たちは、安全に気を付けて、お家に帰りましょう」
そして無機質なアナウンスが、メロディの上に重ねられる。
「……時間だね」
「……時間?」
ひとりでに肩を落とす彼女に、困惑したまま問いかけた。
「うん、このチャイムが鳴った瞬間、キミとの時間は、終わり」
髪を掻き上げながら、少女は寂しく微笑む。
「寂しいねー。つらいねー。……また会えるかな?」
「……わからない」
「……だよね、ふふっ」
さっきまであんなに楽しそうな表情で活き活きとしていた少女の声は、後ろのメロディに今にも掻き消されそうだった。
「……じゃあ、宿題! 圭太、次会う時までに私の名前考えといて! 私との約束!」
「そ、そんな重大なこと、僕に任せないでよ」
「いいの! ワタシ、圭太に名づけて貰いたいの! だから……うん、とにかくいいの!」
それは全く理由になっていなかった。
「とにかく! じゃあね! また!」
そのまま、少女は右手を差し出す。
屈託のない笑顔に白い歯が映える。その真っ直ぐすぎる行動や表情に、思わず僕も釣られて笑ってしまう。
「……うん」
右手を差し出し、しっかりと小さな、柔らかいその手を握った。
それが紛れもない僕と彼女の、最初の記憶だった。