《降臨》再び1
いつのまにか一ヶ月も空いてしまった……
単調な機械音。いや、アラーム音。それはこの日も鳴らなかった。
七時五十分、起きることが出来たのが奇跡だろう。光明はどたばたと階段を降りていく。
「母さん、なんで起こしてくれなかったんだ!?」
「あらっ、そういえば昨日と違ってハルちゃんが起きてないわね。はい、カバン」
「……くそ、いってきます」
光明は神見高校へ駆けていく。ある意味定刻通りである。そしてもう一人このぎりぎりの時間を定刻とする者が一人。
「山中く~ん、すごいよ、私すごいよ~」
蔓 瓜子が手を振りながら猛ダッシュで光明に迫る。その瞳は朝から輝いていた。
「何が?」
光明はいやな予感をおぼえながら瓜子に尋ねる。すると瓜子は瞳をますます輝かせる。
「ついに見たんだよ! 天使!」
予期していた最悪の応え。
「天探女の声が聞こえた後にね、外に出たらびっくり!白い羽の天使が見えてね、」
「はいはい、すごいすごい」
光明は適当に相槌をうって話を終わらせようとする。あくまでも今まで通りの無関心を貫きたかった。だが瓜子の証言は確かだ。
「違うよ~! なんとね、天使は戦っているの! そう、あれは……悪魔! 悪魔みたいに黒い羽のやつと戦っていたの!」
「!?」
「それだけじゃないの。天使は二人いたんだけどね、途中で片方の人が悪魔みたいに変身しちゃうの!」
光明は話を聞かずにはいられない。瓜子が今から話すのは己の記憶にない己だ。
「そ、それで」
「その人の……悪魔みたいな天使のものすごい攻撃でね、二人いた悪魔の片方が一瞬でやられちゃうの! しかもその人は黒い塊を放ってもう一人の天使まで傷つけちゃうの!」
「ふ~ん……」
黒い塊、ハルを傷つけた、全て自身のことだ。
「それでね、どうなるのかなと思ったらもう一人すごい天使が現れて、暴れているその天使を止めて傷ついた天使と一緒に抱えてどっか行っちゃうの!」
瓜子はオーバーな身ぶり手ぶりで熱く語る。瓜子が見たものは真実だ。真実だからこそ光明は自身の姿が瓜子にばれていないか心配する。と同時に瓜子には天使の存在を認めさせてはいけないと考える。
「はっ、そんな話あるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい」
光明は視線を瓜子から外し、歩速をあげる。
「待ってよ~、ほんとなんだってば~」
「夢でも見たんだよ、きっと」
瓜子を無視して光明は歩みを進める。己が放った黒き塊。それが直撃したハル。自身の力、悪魔のような天使。
――ハルは大丈夫だろうか――
今朝、ハルはまだ起きていなかった。そのことが光明を不安にさせる。一度容体を確認するべきだったかもしれない。もしも傷痕を母親にでも見られたら大変だ。
だが、そんな光明の心配は更に大きな心配へと変わる。
時は過ぎ夕刻。
光明は神見町を駆け回っていた。
ハルを探して。
高校から帰宅したときに光明はハルが朝からいないことを母親から知らされた。
「書き置きもないからなんともいえないけれどねえ。それにもうひとつ。なんでハルちゃんの部屋の窓が開いていたのかもよくわからないのよ。まさかそこから出れるわけないわよねぇ」
母親の疑問は光明にとっての確信だ。光明はすぐにハルを探し始めた。天使の力でハルが移動したとしても全快ではない身体では遠くにはいけない……そう信じて。
「くそ、ハルのやつ、どこにいったんだ?」
光明はかれこれ一時間近く町内を駆けずり回っていた。次第に夕日も沈み、辺りが暗くなっていく。足も重くなり、光明は電柱に片手をついて休憩する。本当なら光明も天使の力で空から探したい。が、地上を確認できる高さでは逆に地上から目撃される恐れがあるいじょうそれは許されない。
「とくに瓜子なんかには見られるわけにはいかないからな……」
光明がぼそりとつぶやいたそのときだった。
「えっ、わたし?」
「えっ、っておわ!? 瓜子!? どうしてここに」
光明の目の前に非常に動きやすそうな格好をした蔓 瓜子があらわれる。
「どうしてっていうか、天使をこれで撮るために探しているの」
そういって瓜子は首からぶら下げたデジカメを光明に自慢気にみせつける。
やはり天使の力を使うわけにはいかないと光明は考える。だが同時に思いつくこともあった。
「なあ、瓜子。天使の場所、分かるか?」
「あれあれ、山中くんもついに天使の存在を信じるようになったの?」
「いや、まあ、うん。そう、そうなんだよ」
信じるもなにも、己が天使なのだから光明としてはこたえにくいが、瓜子ならハルの居場所を突き止められるのかもしれないと期待したのだ。
「残念だけど今のところは天探女の反応がないの」
「またそいつか」
「そいつじゃなくて天探女。私が子供のときから信じている、って、山中くん!?」
「わるい、瓜子! またな」
光明は瓜子を置いて一気に駆けていく。微かだが確かに感じたものは……邪心。神見町の上空にハンカが現れたのである。
ハンカはすぐにどこかへと向かっていく。それは光明のいる場所とは反対側であった。
「どうして……、こっちには来ないのか?」
光明は思わず足を止める。そのため、後ろから瓜子にも追いつかれる。
「山中くん、待ってよ~。どうして急に走りだしたの?」
「いや、それはだな…………瓜子?」
光明が言い訳をしようとする前で瓜子が人差し指を唇に当てて眼をつむる。そしてしばらくの後で瓜子はまっすぐに指差す。
「あっち」
「えっ?」
「天探女が教えてくれたの。天使の居場所はあっちだって」
「……嘘だろ、だってこの方向は……まさか!?」
瓜子の指の示す先、それはハンカが向かっていった方向と同じだった。
「どうしたの山中くん? 」
「瓜子……お前はもう天使の存在を確信しているんだよな?」
「そ、そうだけど……」
「じゃあ、今からのことにも驚かないでくれよ」
「えっ?」
白い衣服、白い羽、手には白剣。光明は天使となって空へと飛び立つ。向かう先はハンカの向かった場所。瓜子が示した天使の場所。つまり、ハルの場所。
「無事でいてくれよ、ハル……」
ハンカの邪心を頼りに光明は移動する。しかしその邪心が突然消えた。光明にとっては安心することだ。
「やったのか……!?」
だが同じ場所で更に大きな邪心を光明は感じた。ハンカとは比べものにならない。もっと大きな邪心、伊比の《降臨》の力だ。
「くそ、天心開放!」
光明は全速力で移動を続ける。
光明は前回の戦闘を思い出す。ハルと伊比、二人の戦いはどちらもひけをとらない互角のものであった。
しかし今回は状況が違う。ハルはまだまだ回復に集中しなければならない状態のはずなのだ。
光明は強大な邪心めがけて移動を続ける。その場所が動かないということはまだハルが戦っているに違いない。光明は白剣を握りしめ、だんだんと近づく戦いへと意識を集中させる。
だがその場に戦いはなかった。
「ハル!!」
あるのは風に切り刻まれ、動けなくなったハル。そして彼女の頭を掴む伊比だった。
「こうめい……ばか、にげて……」
消え入るような弱々しい声。だがそれすらも伊比は利用する。
「なんだ、女。喋る元気があるなら天界への入り口の場所を早く吐いてほしいものだ」
「何度も言わせないでよ……教えないって……」
「そうか、なら」
伊比は空いた左手をハルに向ける。
「や、やめろ!」
伊比の左手で邪心が渦巻くのを感じた光明は一気に距離を詰める。だが伊比はハルを掴まえた右手を前に突き出して盾のようにする。
「くっ、」
光明が急に止まらざるをえなくなり、隙が出来た瞬間、今度は伊比は左手を前に突き出した。
「『羽風邪』」
「ぐあぁぁ!!」
強力な邪心の風によって光明は吹き飛ばされる。
「光明!」
「ふん、弱いな。さあ女、天界の入り口の場所を言え。もし言わないなら俺はあの男にとどめをさす」
「そんな……っだめよ、光明はまだ、……」
言いかけた言葉の先をハルはのみこむ。知られてはいけない、と感じたからだ。だが伊比はすでに知っている。
「まだ地界の者だから、か?」
「!?……どうしてそのことを」
「高級悪魔がアポロから聞いただけさ。アポロは奴に力を与えたからな。当然だ」
ハルの疑問に対して伊比は恐ろしく冷静にこたえる。しかしその視線はハルには向けられていなかった。
「ほう、まだ立ちあがるか。意外としぶといな」
「へっ、まだ一撃喰らっただけだ。そう簡単に倒れて……たまるか!」
光明は再び距離を詰めようとする。
一方で伊比も思い通りにはさせない。左手から小さな羽風邪を連発して光明を狙う。しかしそれを光明は曲線的な動きでなんとかくぐり抜け続ける。
「なんだ……この速度は!?」
「うおおぉぉ!」
伊比に迫り、光明は剣を振り上げる。
「くっ」
すかさず伊比はハルを盾のように突き出す。だが同じ手は通用しない。光明はさらに素早く伊比の左へと回り込む。
「くらえ!!」
光明はありったけの力を白剣に託して振るう。
「させん、『羽風壁』」
ぶつかりあう天心と邪心。わずかだが分があるのは光明だった。しかし伊比にはまだ力がある。
「きゃあ!?」
「ハル!!」
ハルを投げ飛ばし、空いた右手をも光明に向ける。するとあっという間に強大な邪心の風が光明を包みにかかる。
「『羽風牢』!」
その声とともに風は光明を閉じ込める。
「ここまでだ……『羽風邪』!!」