5話
指定したのは池袋にあるオープンカフェだ。僕が呼び出した非合法工作員は一丁前にパンツスーツ姿で席に座っていた。
「久しぶり〜」
緊張感のない声をかけてきた。
「半年ぶりだな。本業の方はちゃんとやってたか?」
ショートカットの髪を中途半端に茶髪に染めている女が、僕が使っている工作員の長田恵理だ。僕が通っていた高校の四期後輩になる。元々は管理官が見つけてきた人材なのだが、ていのいい教育係として押し付けられた感がある。まあ実務は確かに優秀なんだけど……それ以外が、ね。
「もうばっちり、ちゃんと週に二回は登校してるよ」
高校に週に二回しか登校しないのは、ちゃんとしているとは言わない。
「あ、そうそう、親戚のおっちゃんがこないだうちに来たんだけどさ、なんか面倒な事になってるみたいだね」
どうやら長田の方にも管理官からの連絡が来たようだ。
「ああ、俺の方にも連絡が来た。早速今夜からだ」
「うえ、急じゃない? 二時から観たいアニメあるんだけど」
「そんなの録画しとけばいいだろ」
ため息をつき、煙草に火を着ける。甘いバニラの香りが周囲に漂う。
「長ものはこちらで用意する。お前はいつも通りの用意をすればいい」
「じゃあ私服でいいわけ? 場所どこなん?」
僕は集合場所を書いたメモ書きを取り出すと、長田に差し出した。
長田は一通り目を通すと、小さく千切って火をつけた。証拠を残さないのなら、燃やしてしまうのが一番だ。
「それにしても帰国して早々面倒な仕事が入るなんて、災難だねえ」
モンブランをぱくつきながらじゃ心配してる感ないよ、君。
「なんでもいい。遅刻はするなよ、今日は当局との合同作戦になる」
「は? どこと?」
「だから、この国の公安と。元々は向こうの獲物だ。偶然、こちらの益になることが分かったから、上が協力を捻じ込んだ」
「いやあ、それじゃ歓迎されないでしょ。やだよ、ギスギスした中で仕事すんの」
「それが、そうでもない。向こうは以前の粛清で人手が少ない上に、今回は政治的に都合の悪い相手らしい。だから、書類上ではこちらが向こうに応援要請をしたことになる」
「面倒くさいね、それ」
「そういう仕事だ、諦めろ」
本当、面子だのなんだのと煩わしいものが多すぎる。が、僕の目的を達成するには、これしか道がない。
僕は財布から何枚かお札を取り出し、テーブルの上に置いた。
「俺は準備に忙しい。先に失礼する」
長田は二つ目のモンブランに手を付けながらひらひらと手を振って応えた。
†
今回の作戦では僕が銃を撃つ事はないだろう。後方の指揮車両から指示を出すだけで終わる。
それでも一応、拳銃だけでも持っていく事にした。鉄火場に丸腰で臨む気には到底なれない。
今回持って行くのは正式に所持許可をもらっているシグ・ザウエル社のP226E2だ。十五発入りの弾倉を四つ持っていく事にする。タクティカルベストをバッグの中に詰め、拳銃は弾倉を挿れ、デコッキングした状態でヒップホルスターに納める。
時計を確かめる。七時二十二分。今から出ても、八時半には集結場所であるホテルに着くだろう。
†
「待たせたか」
ホテルのロビーに、スーツ姿の男女が六人、固まって座っていた。初老の、いかにも悪役っぽい顔のフランス人がぼくの上司であるマルセル・シャブラン管理官だ。普段は大使館に詰めているらしいが、こんなとこにいてもいいのだろうか。ちなみに僕はこいつが大嫌いだ。有能だろうが何だろうが関係ない。馬が合わなすぎる。
その隣にはロマーヌ・ラングマン秘書官。くすんだ金髪をひっつめ頭にしてる。シルバーフレームの眼鏡が冷酷さを際立たせている。つまりこいつも気に食わないってことだ。
あとは護衛役のゴツい元軍人が一人。左脇が明らかに膨らんでいる。まあ、いくらゴツいといっても素手じゃ護衛は務まらないだろう。DGSEの人員はこれで終わり。
対して日本側……今回は公安だったか? こっちはわかりやすく、いかにも公務員な感じのスーツ姿だ。やはり全員左脇が膨らんでいる。にこにこといかにもな笑顔を貼り付けている。信用は、するべきなのだろうが、できそうもない。今回の話はあまりにも胡散臭すぎる。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「では、これより今夜の事案についての、そうですね……この場合、会議といってもいいんでしょうかね。ああ、単純に打ち合わせでいいですかね。ともかく始めたいと思います」
あくまでも穏やかな口調で公安側が切り出した。
「その前に一つ、前提条件から確認してもよろしいですかな?」
シャブランが切り返した。
「ええ、どうぞ」
「まず現状の確認からです。我々の見つけた目標が、偶然にもあなた方の会社の益を損なう存在であり、土地勘のない我々はあなた方に援助を要請した。この認識に間違いはありませんな?」
「ええ、その通り、問題ありません。現場の人員は、主としては御社の人員、従として我が社の人員を使用すると、それでよろしいですか?」
まったく、このやり取りに俺が参加しなきゃいけない理由が分からない。そもそも今回の目標からして、その情報が直前になっても開示されないっていうのはイレギュラー過ぎる。
あとの話は適当に聞き流しておく。何気無くホテルのロビーを見渡すと、僕たち以外にも商談に使っているグループがいるようだった。
その中の一つのグループに目が止まった。というのも、集まっている三人が全員、左脇が膨らんでいるように見えたからだ。
もちろんじろじろとそちらを見るわけではなく、一瞬ちらっと見ただけだったが武装しているのは確実だ。人種的には東洋人。いくら日本で銃所持が認められているとはいえ、許可されているのは非常に限定的だ。一番可能性がありそうなのは公安側の護衛要員だろう。だがそれにしては態度がお粗末過ぎる。何度もこちらを見ている。この国の非合法組織にしては格好が大人しい気がするし……もっとも考えたくないのは今回の作戦がどこからか水漏れしていたとか、かな。そうなると作戦の難易度が非常に高まるか、もしくはまったくの空振りになるか、どちらかだ。
うちの連中は気付いているのだろうか? 念のため、警告しておく。
「十一時方向、三人組。軽度の武装」
フランス語で護衛役に呟いた。彼は微かに頷くと、軽くロビーを見渡してからホテルの係員を呼びつけた。いまの係員を探す動作で対象を確認したのだろう。
「ムッシュー、コーヒーを人数分」
「ところでムッシュー・ミヤジマ。今回の目標のことなのですが、いくらかこちらでも調べさせて頂きました。なんでもこちらの国の官公庁絡みの企業らしいのですが……我々が出るとまずいのではないですか?」
シャブランが出した情報は、向こうがまだ開示していない情報だった。公安の担当官は顔色一つ変えず、手元の鞄から資料を取り出した。
「ええ、確かに関わっています。こちらの資料にもある通りですが、確かに過去の経歴としては関わりがあります。我々もいくらかは支援をしていましたが……現在では完全にこちらの制御を外れています」
「では、言い方はよろしくないのですが、身内の尻拭いを外部の我々に任せるというのは、どうかと」
「ああ、心配はありませんよ。今、あの企業は完全に赤く染まっています。おまけに星が五つも輝いているのです。さぞかし儲かっているのでしょうが、元飼い主としてはなかなか直接手を下せませんで。我々は機密保持の観点から、あなた方がどこに向かうのか、詳細は全く存じ上げていないのです。たまたま、その企業が元飼い犬であったとしても」
「なるほど、そういうわけですか。まあそれならば仕方ありませんな。貸し一つということで行きましょう」
†
「目標は大海貿易商社。の、本社ビルだ。元々はこの国の対外工作の国内向け窓口だったようだが、数年前から中国人民解放軍の浸透が始まり、今では既にかの国のカバー企業となっている」
「結局は尻拭いだろう?」
「だが中国とは我が国もアフリカで目下紛争中でもある。仏日同盟の目的からして間違ってはいないさ」
「実務担当の事も慮って欲しいんだがね」
「君の仕事は、そういうものだろう。安心したまえ、今回は軽い小手調べのつもりだ。無茶をしてこちらの人員に損害を出させるつもりはない」
「では、軽く襲撃する程度でいいのか?」
シャブランは煙草に火をつけた。一本をこちらに差し出してくる。
僕は受け取り、自分のライターで火をつけた。この男は気に食わないが、煙草に罪はない。
「いや、完全な除去だ。末端も末端だからな、捕縛したところで有益な情報が得られるとも思えん。臆病者の黄色い猿共に配慮してやる必要もないだろう」
「……目標の背後関係は?」
「国内の反政府勢力に非合法で武器を融通している。が、元請けではなく単なるストローだ。重要性は低い」
我々にとっては、とシャブランは付け加えた。
そう、DGSEにとって、つまりフランス政府にとって、今回の作戦のはご近所付き合いに過ぎないのだ。