74話 フローリングの泥掃除
「本日は忙しい中、清掃の手伝いに来てくださったみなさんに感謝します。すみませんが、こちらで参加者の役割分担をさせていただきます……」
洪水から4日ほど経って、トスネの街の排水も一段落ついた。
この街に来た時は火山灰が街を覆っていたけれど、今は泥汚れがそこここで目につく。
外の泥汚れをきれいにするのも大事だけど……それよりも切羽詰った事案が、街の中に発生しているようであった。
「1区に住んでいる方は町役場と広場、2区に住んでいる方は図書館……」
建物の浸水だ。
泥混じりの水が街の中を暴れまわった結果、外から見える被害はもちろん、内側でも洪水の影響を受けている建物は数知れない。
キアレおばさんの家や勤め先の宿屋はギリギリ浸水を避けられたが、例えば川のほとりにあった家は……あれ、もう浸水ってレベルじゃないよな。むしろ潜水って表現したほうがいいんじゃないか?
「ポルカ君、私たちは集会所の担当だってさ。それじゃあ一緒に行こっか」
『ピンポン♪』
もちろん、被害を受けているのは民家だけではない。公共の建物もいくらか被害を受けてしまったようだ。
役場、図書館、学校……そういったみんながつかう施設を、住民が力を合わせて掃除しようってことで、昨日の昼ぐらいに街中に連絡が回ってきた。一夜明けた今日、町役場前の広場にはそれなりに多くの人が集まっている。
急な、それも自由参加のイベントにも関わらずにこれだけ人が集まれるということに、この街の住民たちの気概の高さが見て取れるような気がした。
なお、俺とノエルは参加するが、キアレおばさんはあまり戦力になれそうにないということで参加せず。おかみさんも宿屋の仕事がどうしても外せなかったみたいで、この場にはいなかった。
ノエルや近所でよく見かける人たちとともに、少し茶色に汚れた道を辿って集会所へと向かう。
集会場といえばおかみさんがハクリに罹った時に閉じ込められていた場所だよな。あの時は病人の見舞いとか掃除とかかなり大変だった記憶があるけど、おかげで集会所の中がどんな構造をしていたかはだいたい覚えている。
汚れが溜まりやすい場所とか風通しの問題とか、あの時の経験を今回の掃除に活かせることを期待しよう。
どのように掃除しようかを頭のなかで考えていると、頭上から住人たちの会話が聞こえてきた。
「それにしてもポルカが手伝ってくれるのね。これはもう、私たちは何もやらなくていいんじゃないの、ノエルちゃん?」
「ポルカくんだけにまかせちゃだめですよー、しっかり働きましょう!」
近所のおばさんが冗談交じりに酷い提案を投げつけて、ノエルがやんわりとその言葉を否定する。
まあいざという時は一人……一台でもやり遂げるつもりではいたが。それでも本人の前で仕事押し付ける宣言してんじゃねえよ。さすがの俺もテンション落ちるぞ。
ちょっぴり落ち込んだと同時に、道の上に残っていたぬかるみにタイヤをとられて車輪が空回りした。進めなくなる前に、急いで後ろへと戻る。
あ、この泥をおばさんの歩く方向に仕掛けておけば、ちょうど踏んづけたおばさんが滑って転んだりしないかな? あまりにもせこい反撃だけど関係ないね。掃除機のささやかな復讐だ。
実際にやるつもりはないけど、そんなしょうもない妄想をして気を紛らわせてみる。そんなときに聞こえてきたのは、おばさんの旦那と思われるおじさんのフォローだった。
「何を言ってるんだか、午前にやることもないし、こんな時ぐらいは手伝いに行くべきだと俺を家から引っ張り出してきたのはどこのどいつだったか」
「は? それなら、私を早い時間に起こしたのはあんたでしょーが。あれがなければ今頃まだベッドの中だったよ。」
「去年もドブさらいがあったけど、汚れるのは嫌とかいってサボってたよな、今回はどういう風の吹き回しだい」
ツンケンとした会話に、ノエルを始めとした周りの人たちがフフッと笑みをこぼす。この掃除は別に強制参加というわけじゃないし、どうしても参加したくないというのなら夫婦二人で今すぐにでも帰れるはずだ。
けれども、お互いにそういった素振りは一切見せていない。それどころか、使い古されたラフな服を着ているところを見るに、多少汚れるのは覚悟しているように見える。
なんだ、お互いやる気満々じゃないか……と、思うのは俺の希望的観測だろうか。
「ま、せっかくきれいな街なんだし、泥水を放っておいて悪臭でも発生したら困るからね。ちゃっちゃと元通りのトスネを取り戻すことにしましょ」
「それもそうだな、終わったらまた家でのんびりさせてもらうよ」
うん、勘違いではなかったみたいだ。ここに集まっている誰もが、トスネの街を清潔に保つことに力を貸そうとしている。
もちろん、俺もその中の一人だと、胸を張って言ってやろうじゃないか。
そうして道を歩くこと数分、見慣れた集会所へとたどりついた。
10人ほどの参加者がゾロゾロと建物の中に入っていく。もちろん俺もその後に続けるようにして入っていき、集会所が受けたダメージを目の当たりにした。
集会所の内部、もともとそこまできれいというわけでもないが……でも、こんな風に床が土でコーティングされているようなことはなかったよな。
「すみません、わざわざ手伝いに来てもらって。一人じゃどうにも手に負えませんでした」
集会所の管理人と思われるお姉さんが、申し訳なさそうに頭を下げる。その人の言葉に疑いを持つものなど誰もいない。
水抜の低いところに建っていたのが災いして、床のみならず、一部の壁までもが茶色く汚れている。
長いこと水に浸かっていた木の床は、今は乾いているようだが、ところどころ歪んでいるようにも見えた。
これでカーペットみたいな繊維ものがあったら完全にお手上げだった。全面がフローリングなのは不幸中の幸いか。
床についた泥汚れは、時間がたちすぎていなければ、比較的落としやすい部類に入る。掃除範囲が広いとはいえ、これだけの人数がいればそこまで時間もかけずに掃除することができるだろう。
それじゃあ、集会所の掃除を始めることにしようか。まずはザラザラした土汚れをざっくりと綺麗にするところから……
「モップがこっちにあるわね、バケツに水汲んできてちょうだいな」
「俺達は、家から持ってきた雑巾を使って掃除すればいいか」
まてまて、いきなり水拭き始めやがったぞあの人たち。
洪水のせいで木の床が泥水に浸かっていたらしく、そうでなくとも普段から人々が土足で出入りしている集会場は今やすべてが玄関みたいな汚れ方をしていると表現しても構わないほどだ。 そんな状況でいきなり水吹きを始めたらどうなるか、その結果は考えるまでもない。
「うわぁ。ひと拭きしただけでもう雑巾が真っ黒になりやがった」
雑巾を構えた青年がつぶやいたのは、あまりにも当たり前な一言であった。
まあ、俺も床上浸水の後処理をするのなんて初めてだから何が正解だとかは知らないけれど、それでも泥が乾いた汚れに水をかけたらそりゃあ泥になるに決まってるだろ。
そういう場合はまず乾いた汚れをホウキとかで取り除いてだな、それでも取れないようなこびりついた汚れを水拭きで……
「これは確かにひどいな、こんな汚い集会所じゃ、落ち着いて会合も開けないじゃないか」
「いつも使わせてもらっているし、たまには綺麗にさせてもらいましょうかね」
「よっしゃあ、こっちの雑巾がけは任せろ!」
うわ、しまった! 考え事をしていたらいつの間にかみんなにまで水拭きの流れが伝わってしまった!
既に10人ぐらいいる参加者のほとんどが、濡れた雑巾かモップを持っていて、みんな我先にと床を磨き始めている。素晴らしい協力だけど、掃除としての効率はかなり悪いぞこれ。
どうしようか、いまさら水拭きやめろなんて、それこそ水を差すような真似をするにも忍びないし。かと言ってこのまま放っておくのも、ただ泥汚れを塗り拡げさせているだけな気がする。
うぅ、こうなったらせめてまだ水拭きをやっていないところだけでも、急いで掃除することにするか。先に砂利とか吸い込んでおけば、泥が蘇ったりすることもないだろう。
「おお、ポルカくんいつもよりはりきってるね。やっぱみんなと一緒にやる掃除ってのが新鮮なのかな?」
『ピンポン♪』
普段よりもかなりスピードを上げてゴミを吸い取る俺に、持ち主であるノエルが声をかける。
とりあえず肯定しておいたけど、張り切っているというよりは、水拭きされる前に1マスでも多く吸引しようと頑張っているところなんだよ。
「あはは、本当にポルカは掃除が好きなんだね」
「これは俺達も負けていられねえな」
機動力と吸引力をかなり引き上げたうえで、集会所の中を縦横無尽に走り回る。
ロボット掃除機にあるまじきスピードや、相手側の雑巾をゆすぐ頻度の多さにも助けられて、それなりの範囲に先んじて掃除機をかけることができた。
さて、掃除機をかけ終わったらどうするか、既に水拭きされたところに掃除機かけても、湿気た埃って吸い込みづらいんだよな。
ま、それならそれで選択肢はあるな。つーか最初からこれやっとけばよかった。
「うお、なんか急に雑巾が乾いたぞ」
近くで拭き掃除をしていた男が不可思議な現象に首を傾げるも、それが俺の仕業だという発想には至らない。
新機能[吸水・吸湿]は、床の湿気を吸い取ることも可能みたいだ。泥になった汚れを再び乾燥させて、粉末になったところを一気に吸い込ませてもらおう。
範囲調節をミスったのか近くの雑巾まで乾かしてしまったけど、そこはご愛嬌ってことで、てへ。
「よし、これでだいたい終わったかな」
テキパキと掃除をすすめること数十分、壁も含めて、泥汚れはあらかた落とすことができたみたいだ。
誰ともなく終了の合図が出され、みんなが一仕事終えた充足感を持ちながらぞろぞろと後片付けに向かう。
俺は最後まで床掃除していたけどね。ロボット掃除機の体で壁に張り付いて掃除するのはかなりエネルギーを必要とするし、他に任せられる人がいるのなら俺がわざわざやる必要もないだろう。
「いいね、なんだかカラッとした感じがするよ」
「雑巾掛けしたのにカラッとした感じってのも変ですけどね」
「でもさ、実際そうじゃない? なんかジメジメしてたのが、スッキリしたみたいだよ。これも掃除のおかげかねえ」
いや違う、それは俺の吸湿のおかげだ。水拭きして湿気がとれるわけないだろうが。
みんながいきなり水拭きを始めたのに対応してわざわざ使ったんだから、まあ感謝までは求めはしないけど、勘違いは正させてもらおう。
『ペポ』
「あのジメジメでカビが生えないか心配だったけど、これなら安心ですね……ん、どうしたポルカくん? 何か困ったことでも?」
『ペポー』
否定の音を出してその場を離れる俺に向かって、ノエルは軽く首を傾げた。
カビか……完全に盲点だったな。水に浸されていた床があったら、たしかにカビの心配もするべきだった。
水を吸った木材を完全に乾かすのには結構な時間がかかる。表面が乾いたように見えても、芯はまだまだ湿っているということもあり、放っておけばカビの温床になるなんてこともあり得るだろう。
ロボット掃除機である俺には空中のしめりけを感じ取ることはできなかったし、自分だけで掃除していたら、普通に掃除機かけて軽く水拭きして終わってたはずだ。
一応、ゴミを消費して得られる新機能の中にはカビとり洗剤も入っているけど、生えてから対処するよりも生えないように予防するほうがずっといいよな。
結果論とはいえ、みんなと一緒に掃除をしたことで床の乾燥にまで手を出すことができた。そしてノエルたちの一言で見落としていた汚れの元に気づくことができた。
みんながいなければありえなかった偶然の産物が積み重なり、未来に起こっていたであろうカビの被害は予測可能・回避可能な現象となったのだ。
「意外と早く終わったし、他の建物の手伝いに行こうって話も出てるよ、どうしようか、ポルカくん?」
『ピンポン♪』
「だよね、それじゃあ図書館に向かおう! 広くて掃除が大変そうだしね!」
集会所の掃除に飽き足らず、さらなるターゲットを探し求めるこの街の住民たち。負けていられないのは俺の方かもしれない。
せっかくだし今度は図書館の除湿をして、建物や本にカビが生えてくるのを防いでやりましょうか。
大雨がすっかり過ぎ去った青空の下、図書館へとむかう一行の姿がそこにはあった。
現実的なことをいうと、こういった場合はもうフローリング張り替えたほうがいいみたいです。
実際に床上浸水に遭った際には、ロボット掃除機なんかに任せてないで、ちゃんと専門の業者に相談することをおすすめします。




