65話 城塞ビーバーとの戦い5
屋根の上を飛び移るようにして、何人もの人影がこちらに向かってくる。先頭を走るのは、筋骨隆々としたスキンヘッド、騎士の鎧に身を包む、騎士団長のボズだ。
その後ろには、何人もの騎士がついてきている。統制の取れた動きは、見ているこっちがほれぼれとするほどだ。
その後ろからは、俺の知り合いの中では、最も魔法を使うのが上手なルーカスが必死でついてきていた。なんだかんだでアイツもけっこう体力あるよな。
って、そんなことぼんやり考えている場合じゃない。未だに城塞ビーバーは俺達のすぐ真後ろにいる。安全な場所に逃げ切るまでは気を抜いちゃダメだ。
「あ、ノエルさん! 少し待っててください!」
そういったルーカスが屋根の上から飛び降り、水中に足から入……らなかった。
「流れる水よ晶を摸せ 凝固」
途端、ルーカスが水の上に立つ。そして、俺達の方へ向かってリズミカルに走り出した。とまあ、見たそのままに表現してみたけれど、一言ツッコませてくれ。
しれっと水の上走ってんじゃねえよ! 魔法の力なんだろうけれど、見た目が完全に忍者のそれなんだよ!
「ノエルさん、今は一旦避難しましょう」
「あ、はい」
俺もノエルも混乱していたところだったが、早くもルーカスがすぐそばまで来てノエルに声をかける。
ノエルが腕を伸ばすと、ルーカスはその手首を両手で掴んで、まるで綱引きをしているみたいにボズたちのいる建物の方へと運んでいく。
片手で掴んで走れや……と思ったけど、水の中にいる人を引っ張るならこの方法が一番合理的なのかな。ノエルは水面を走れないだろうし。
どういうメカニズムで走っているのかが気になって、ルーカスの足元に目線を向けてみる。よく見てみれば、ルーカスが水面に足をつけるたびに、その水面から氷が発生しているみたいだ。
その氷を足場にして、水の上を後ろ向きに走っていく。そういう仕組みか、なるほど……いやいや、なるほどじゃねえよ。城塞ビーバーは酷いが、ルーカスも大概チートキャラだな。
ちなみに、発生した氷はだいたいノエルの顔面にぶつかっている。命がかかった状態で言うのも何だけど、もうちょっとノエルのこと労ってあげて!
追撃がないかとヒヤヒヤしていたが、後ろの様子を見てみると、城塞ビーバーは飛んでくる大量の矢を水の鞭で処理することに追われていて、こちらを攻撃するような暇はないみたいだ。騎士の誰かが俺達の避難を助けてくれたのかな。あとでお礼を言いたいところだ。
手頃な建物のすぐそばにたどり着き、ノエルと俺は屋根の上によじ登る。ルーカスも水面を蹴って屋根上へと飛び乗ると、ノエルの体調を確認し、俺達の働きを労ってくれた。
「しかし、正直驚きましたよ。ノエルさんが一人であの巨大な魔物を抑えていたなんて」
「ううん、一人じゃ無理でしたよ。てか、ほとんどポルカくんのおかげ。ね、ポルカくん?」
『ピンポン♪ どういたしまして』
「そこは否定してよ!」
死ぬ瀬戸際という窮地から開放されたばかりなのに、ノエルは早くもいつもの調子を取り戻していた。こういう図太さ、立ち直りの早さを見ると、俺もノエルを守り通すことができたのだと実感する。
後は騎士団がなんとかしてくれるはずだ。ノエルは邪魔にならないように逃げるべきだろう。
「さぁ、後は僕たちに任せて、ノエルさんは」
だが、そんなルーカスの言葉を先回りしてノエルはその提案を拒否する。
「帰りませんよ、私、ルーカスさんに助けられっぱなしじゃないですか」
強い決意を持った言葉に、ルーカスも俺も驚いてノエルの顔を見る。
何をそんな驚いているのか、と言った表情で、ノエルはさらに言葉を続けた。
「それに、多分だけど私、あのでっかいヤツの攻撃は大体わかっているつもりです。ポルカくんさえ一緒なら、誰よりもみんなを守れる自信があります」
「えっと、どういうことですか?」
「アイツの攻撃、さっきまではポルカくんが全部吸い込んでくれました。私がポルカくんを構えてさえいれば、相手の魔法は全て防ぐことができます」
「それは……予想外に、魅力的な提案ですね」
ルーカスが驚嘆した顔でノエルと俺を交互に見てくる。そして、今まさに城塞ビーバーと対峙している何人かの騎士の姿を見る。
建物から遠くはなれた場所から水魔法を撃つ城塞ビーバーがそこにいる。弓矢を持っている騎士が遠距離攻撃を仕掛けるものの、守りを固めた城塞ビーバーにはその矢はなかなか届かない。
時として襲いかかる水魔法も、確実に騎士団を苦しめている。俺のように魔法を消せるわけでもないので、盾を両手に構えた騎士や、巨大な剣を振りかざすボズが必死にその激流を喰らい止めるしかなかった。
「くそ、皮がかってえな!」
さらに悪いことがわかった。城塞ビーバーの僅かなスキを突いたのか、一本の矢がその毛で覆われた腹部に刺さったが、城塞ビーバーは全く痛がる様子もなしに水魔法を連発してくるままだ。
騎士の放つ弓矢なのだ。それがほとんどノーダメージってことは、本当に城塞ビーバーの防御力はふざけたものだというほかない。
そもそもほとんど攻撃を通してくれず、辛うじて当たった攻撃さえも強靭な毛皮の前には効果なし。
ボズの一撃ならあるいはと思ってしまうが、遠く離れた水中にいる敵に対してはボズも攻めあぐねているようだ。
援軍が来たところで状況はさほど変わっておらず、むしろ俺たちが離脱した分だけ防御面に苦労しているようにも思える。
「……わかりました。ノエルさんとポルカが補助してくれるのなら、心強いです。でも、危険だと思ったらすぐに逃げてくださいね?」
ルーカスも、あまり良くない戦況を見たことで、俺とノエルの有用性に賭ける気になったみたいだ。
これ以上ここでのんびりしている理由はない。これは町の命運さえかかった戦いなのだ。できたはずのことをやらずに後悔することだけは絶対にあってはならないのだから。
戦場へと向かってルーカスが走る。その後ろを、俺を抱えたノエルがついていく。激しい戦闘と水中逃亡劇を繰り広げた後で体はボロボロだろうに、それさえも無視してひたすら走る。
距離としてはほんの数十メートル。ときとして屋根と屋根の間を飛び越え、ルーカスの魔法で足場を作り。
そして、騎士団に向かって今まさに巨大な水の鞭が叩きつけられようとしているところで、ノエルがその足を止め、俺を掲げて叫ぶ。
「ポルカくん、トスネを、みんなを守るよ!」
『ピンポン♪』
力強く電子音を鳴らして、[魔法吸引]を発動する。俺を中心に、すべての魔法が無効化される結界が出来上がる。
水魔法を受け止めようとしていた騎士は前へとつんのめり、受け流そうとしたボズの大剣は空を切った。
俺の中に魔法が吸い込まれ、城塞ビーバーは怒り狂うような叫び声を上げる。
「また来やがった あのアマァ!」
何度聞いても慣れない野太い泣き声が町中に響く。こいつ、未だにノエルが魔法を消しているものだと勘違いしているみたいだな。
魔法を消されて怒る城塞ビーバーとは対象的に、騎士の面々はポカーンとした顔でノエルのことを見つめていた。
「おい、お嬢さん、逃げなくて大丈夫なのか?」
そんな言葉を発したボズに対して、ルーカスがさらりと言う。
「彼女はついさっきまであの魔物と一人で戦い、そして生き残ってます。相手の攻撃を防げたことは、今見てもらえばわかるでしょう。どうですかボズさん。守りを全て彼女に任せてみては」
ルーカスの提案に対して、轟々の非難を始めたのは部下たちであった。
「貴様! 誰ともしれない女の子に助けられるほど、騎士団は落ちぶれておらんわ!」
「そもそもあんた騎士でもなんでもないだろ、団長に命令す……!」
「お前らだまれぇ!」
ボズの一喝に、びくりと肩を震わせた一同。それこそ、ノエルがうっかり俺を落っことしそうになるぐらいには。
「そもそもここまでの被害が出てしまった面で、騎士団のプライドなどずたずたにされたようなものだ! 違うか!?」
「い、いえ! その通りです!」
「俺達がやることは、何としてでもコイツを排除し、この街の平穏を取り戻すこと、それだけだ! そのために最善を尽くせ!」
その言葉を聞いた騎士たちの目に、強い覚悟が宿る。
騎士団だろうが研究者だろうが、宿屋の娘だろうが、ロボット掃除機だろうが、この街を愛する気持ちは変わらないのだ。
そんな街を守るために戦おうとする女の子を、どうして騎士が否定することができようか。
「刺し違えてでも倒す! 犠牲になった人たちの無念を、俺達が晴らさなければならん!」
「ギャギュルルゥ!」
ここにいる人達の、全ての思いを載せて。
城塞ビーバーとの戦いは、最終局面へと突入していく。




