59話 雨の道
今日の午前中の仕事が終わったけれど、いつも通りに[ホームベース]を使ってワープして帰る、なんてことはしない。
ちょっと川の様子を見に行ってくるとか言って出かけたノエル、彼女は二度と帰ってくることはなかった。なんてオチは御免こうむる。
ソイルコンタム・アクアコンタムの言っていた"計画"とやらも気にかかるし、どうすればいいかなあ。
「ポルカくん、今日は一緒に帰ろっか」
『ピンポン♪』
このセリフだけ聞けば、のどかな日常の1ページなのだけれど、外は土砂降り、地面は水浸し、もしかしたら何かの災害が待ち受けている可能性まである。
俺の力で何ができる、というわけでもないけど、できることを何もやらずに失うことだけは避けたい、いや、そうじゃないな。
できることすべてやって、失うことを防ぎたいのだ。俺のことを拾ってくれた彼女がどこかに行ってしまわぬように。
俺を抱えて扉から出ようとしたノエルに、後ろからおかみさんの声がかかる。
「ノエル、ちょっと待ってなさい」
「え、どうかしたの?」
「こんな日にあんた一人で外歩かせるなんて、お母さん心配だよ」
「むっ、なにさ、私だってもう子どもじゃないんだし、だいたい一人じゃなくてポルカくんいるしー」
俺を人数にカウントしていいのだろうか。なんだかぬいぐるみ扱いされているような気もするが。
あと、そんな反応しているうちは子どもだと思うよ。
「勝手に川の様子見に行ったり、畑の様子見に行ったりしないか心配だよ」
そんなおかみさんの一言を食らったノエルが、むぐぅと口をつぐんだ。
どっちもさっきまでノエルがやろうと考えていたことだな。俺がしっかりとこの耳で聞いていたぞ。耳ないけど。
強く言い返すことができなかったノエルは、素直におかみさんの準備が終わるのを玄関先で待つ。やがておかみさんも帰り支度が済んだみたいで、前掛けを外した姿でノエルのところまでやってきた。
「お待たせ。それじゃあ帰ることにしましょうか」
「そうだね、シェリーもキアレさんの家で待っているだろうし、早く帰ってあげようね」
『ピンポン♪』
そんな会話を交わしながら、ゆっくりと外の様子を確かめるように玄関を出ていく。雨は更に強くなっており、外を出歩いている人なんてほとんどいなかった。
「ここまで雨がひどいと、逆になんかテンション上がってくる感じしないかな!?」
「しない」
『ペポー』
子供っぽい感性をにべもなく一蹴されて、軽くふてくされていたノエルだったけど、気を取り直して雨の中を一歩ずつ進んでいく。
人が歩く道は、やはり水の中に埋もれており、見ればノエルの靴も半分以上が沈んでいるみたいだ。こうなるともう靴下がグジョグジョになる未来しか見えない。
いや、別にノエルの靴下の話はどうでもいいか。道の中にピラニアはいないか? ホオジロザメは? うん、わかりきったことだけど今のところは何もいないな。
"計画"とやらがどんなもんかを想像してみる。小川ができているとは言え、この程度の深さなら大型魚は泳げないだろうし、町中で人食い魚発生というパターンの可能性は低いだろう。
だけど、今後この小川がでかくなることも考えられる。その時は……やっぱり俺にはどうしようもないんだよな。本当にソイルコンタム、俺に何かしてほしいのかよ?
大自然の前ではロボット掃除機の存在なんて無力だという、当たり前といえば当たり前の結論に至った。これ以上考えるのは虚しくなりそうだな、別のこと考えよう。
雨音がうるさいけど、その雨音が周囲の音をかき消してしまうことで、いまのトスネはある意味静かな空間となっている。普段だったら客引きや値引き交渉の繰り広げられる商店街でさえも、今日は静かなものだ。
俺が水浸しの地面に置かれたとしたら、おそらく1分も持たずに壊れるだろうな。もしくはエネルギー回復のために、ゴミを湯水のように消費するかも。そんなもったいないことはしたくない。
あ、そういえば野良ネコたちは大丈夫なのかな。どこかで雨宿りでもしているのだろうか……と、さほど重要でもないことに思いを巡らせていると、唐突に目の前に二人組の男性が現れた。
視界が悪すぎてギリギリまで気づけなかったけど、防具に守られた姿をしているということは騎士団の人かな。こんな大雨の中であんな動きづらそうな格好する必要もないだろうに……まあ、あれが制服だというのなら意見をいうのは筋違いだけれど。
「ったく、こんな大雨の日になんだったって駆り出されなきゃならないんだよ」
「文句言うな。急いで川に落ちた子を見つけないと手遅れになるぞ」
「おうよ、間に合うと良いけどな」
通りすがりに、そんな会話が聞こえてくる……マジかよ。川の中に子どもが落っこちたのか?
騎士団の人やその子の親には悪いけど、どう考えても無事に助かる未来が見えない。川は溢れそうなまでに増水しているらしいし、10メートル先が見えないぐらいの雨だし。
俺にできることもないけれど、奇跡が起きて子どもが助かることを祈るぐらいはしておくか。
「あの! その話は本当ですか!?」
自分の手の及ばない場所で一人の子どもの命が散ろうとしている。そのことに対して一種の諦観も持っていた俺の頭のなかに、ノエルの声が響いてきた。
俺に向けて言ったのではない、たまたま通りすがっただけの騎士に、人目も気にしないで声を張り上げたのだ。
二人組の騎士も、思わず足を止めてノエルの方を見返す。片方がノエルの疑問に対して答えてくれた。
「あ、ああ。子どもが川の中に落ちたって連絡がついさっき来たんだ」
「おい、早く行くぞ」
「スマン、気を取られた」
すぐさまノエルから視線を外して、川へ向かって走り始める騎士二人組……を、追いかけるノエル。足場も気にせずに走っていくため、腕に抱えられている俺は視界がガクガク揺れて酔いそうである。
……って、ちょっと待て! まさかノエル、子どもを助けに行くつもりか!? 心意気は買うけど、ここは騎士団に任せてノエルは安全な家にいるべきだよ!
「ノエル! 待ちなさい!」
後ろから叫び続けるおかみさんの声も、雨の音に紛れてすぐさま聞こえなくなってしまった。
俺も何度か電子音を鳴らしてノエルを止めようと試みるものの、全く聞く耳を持ってくれない。足を止めることなく回し、二人の騎士を見失わないように必死についていく。おかみさんはとうの昔に振り切ってしまったようで、後ろからついてくる気配はしなかった。
これはもう何を言っても無駄なモードのノエルだな。騎士団の人たち、頼むから早く子どもを見つけてあげてください! でないとこの子が川の中に入りかねません!
他力本願している場合じゃない。新機能の中にこの状況を打破するようなものはあるか? 最悪の場合、ノエルが溺れるのを防ぐための機能でもいい!
新機能一覧に目を走らせるものの、そんな都合のいいものが見つかるわけもない。そうこうしているうちにノエルは着々と川に近づいている。
ノエルが川の中に入ったとして、役に立ちそうなもの……ないか!?
そんなものを探していると、とある一つの機能に目が止まる。
[デッキブラシ(長)]
デッキブラシってあれだ。小学校のトイレ掃除でよくお世話になった、緑色のブラシだ。
(長)ってことは、長い棒がついているのだろう。もし川にはいるなら、これを杖代わりにしてくれれば、まだ少しは溺れる可能性を減らせるのでは!?
僅かな期待にかけて[デッキブラシ(長)]を取得した。消費するゴミは300kgと妙に高いが、他に期待できそうな機能は見つからなかった。
「んっ、なにこれ……? って何か伸びてるけど!?」
試しに発動してみたら、俺の機体の吸込口からデッキブラシがにょきにょき生えてきた。ビジュアルはよくないけど、柄の長さはある程度調節できるみたいだな。
これ、うまくすれば反動を利用して縦移動に使えるかも……なんて考察は後だ。ノエルを危険から守る。今はそのことに集中しないと。