43話 ミアズマ3 隔離所の掃除
ノエルの願いむなしく、おかみさんはハクリだと診断されてしまったようだ。
この前の火事の時に使った集会場が、ハクリ患者の隔離所になったようで、おかみさんは病人の一人としてそこへ連れて行かれてしまった。
「せっかくエシャロ草買ったのに……大丈夫かなお母さん」
エシャロ草かゆを食べさせる暇もないまま連れて行かれたようだ。
せっかく最近のノエルは元気を取り戻しかけてたのに、こんな事でまたふさぎこまれてはたまらない。
なんとしてでもおかみさんには元気になってもらわないとな。
「ポルカくん、私のぶんもお母さんを看病してあげてね」
『ピンポン♪』
例え家族であろうとも、職員以外がハクリ患者に近づくことは禁止とされている。お見舞いも許さない徹底ぶりが、この病気に対する人々の恐怖を表しているような気がした。
そしてその慣習に従ってか、施設で働くことになった俺にも『感染病対策部 衛生担当課臨時職員』という肩書きがついた。ロボット掃除機なのに。
施設で働く間、宿屋の方ではあんまり働けないかな。おかみさんに次いで俺まで戦線離脱すると聞いてドグ主人が頭を抱えてたけど、そこはまあノエルが3人分の働きをみせてくれるだろ。期待してるよ。
なんかノエルに無理難題を押し付けたような気もするが、今は宿の経営よりもおかみさんの体調を心配する時だ。
準備は万端。では集会所に向かうことにしよう。
「団長から話は聞いている、さっさと通れ」
集会所の門に2人の騎士が立っていて、許可されてない者が入らないか、病人が逃げ出さないかを見張っている。ここまで来るともはや監獄の一種みたいだ。
この2人からも、できることならさっさとこの場を離れたいという様子がありありと伝わってきた。
顔パスして(顔はないけど) 施設の中へと入らせてもらう。建物の中がどんな感じかというと……
「ぜぇ……はぁ……」
「ううぅっ……」
「……」
一人の患者に対して一枚の毛布が被せられている。ベッドどころかマットレスさえ用意されていないとは、流石に可哀想というほかない。
10人ぐらいか?もうちょっと多いと予想していたけど、こんなものか。熱に浮かされたうめき声が聴こえるのが不気味だ。
「ありゃ、ポルカじゃないの……」
奥の方で寝ていたおかみさんが、建物の中に入ってきた俺に気づく。その言葉を聞いて、眠れなかったのであろうか、病人の半分以上が首を回してこちらの方を見てきた。
『こんにちは』と軽く音声を流した後に、床の状態をチェックし始めるものの、衛生環境は絶望的に悪い。
とりあえず、3人の患者さんの枕元に、嘔吐物が散らされているし、窓が締め切られているせいで空気の流れも悪い。
ここはハクリを治すための病院ではなく、本当に感染を封じ込めるためだけの隔離所なのだと改めて思い知らされた。
ここを掃除できる者が、今は自分しかいない事実も。俺に頼まざるを得なかったボズさんの申し訳無さそうな声も。お見舞いに来ることすらできないノエルの悲しそうな顔も。
大丈夫だ。全ては俺が掃除をするためのモチベーションに繋がる。
治療もできなければ診断もできない自分に何ができるか?掃除しかないだろう!
『私はポルカ、床の掃除はおまかせくださぃ』
あ、でも病人には配慮するよ。静音モードでできるだけ静かに。寝ている人たちのジャマにならないように。
まず第一に片付けなければならないのは嘔吐物だな。こういうのを放ったらかしにするのは非常に良くない。
俺にはわからないけど匂いとかもきついんだろう。消臭剤も振りまいておかないと。
ひとまず嘔吐物を吸い込むことにしよう。これは普通のゴミ、これは普通のゴミ……今だけは人の心を捨てないとやっていられないな……
とりあえず嘔吐物のあった場所にまんべんなく掃除機をかけた後に、新機能から[次亜塩素酸ナトリウム]を選択しようとしたところで、ふと思いとどまる。
ここ、空気の流れがすごい悪いんだよな。次亜塩素酸ナトリウムは強力な殺菌剤だけど、人に対しても刺激が強いのだ。少なくともこんな密閉された空間で使いたいもんじゃない。
仕方ない。エタノール……エタノールも危険だよな。引火するかもしれない。俺の体の中に電気が流れているとしたら、それが原因で出火する可能性もあるか。やっぱり換気すべきだと思うんだよ。
はぁ、俺にもっと知識があれば、こんな状況でも的確に殺菌が出来ただろうに。こんなことになるんだったらもっと掃除のことについて勉強しておくべきだったかな。
自虐的になっていても仕方ないか。今やることは落ち込むことではない。換気ができなくとも他にできることを考えるまでよ。
掃除のお友である重曹に、安全性はピカイチの中性洗剤、後は粉石鹸を使うか。気休め程度の効果しかないかもしれないけれど、何もやらないよりは遥かにましだろう。
即興ブレンド洗剤を使って床を拭き掃除する。殺菌できているのかはよくわからないけど、とにかくこれで部屋の中の嘔吐物は消し去ることができた。
「ゴメン……」
『どういたしまして』
少し離れたところから俺に向かって謝ってきたのは、今にも死にそうにしている男の子だった。よく見ると口元が汚れている。
子供だろうが一切の特別扱いはなく、大人と同じように施設に入れられ、毛布一枚しか与えられないまま、凶悪な病気と戦わなければならない。
今彼は何を思っているのだろうか。死ぬかもしれないと怖がっているのか、親から引き剥がされて寂しいと思っているのか、その苦しそうな表情からうかがい知るのは難しい。
まるでこの世界のすべての絶望が、今、この場所に凝集されているかのような、そんな感覚さえ生まれてきた。
ちょうどその時、入り口の方からノック音と、『ポルカ、ちょっと来い』という俺を呼ぶ声が聞こえた。何事だろうと思って素早くドアへと向かう。
ドアが半開きになって、騎士の一人が俺の上に結構な数の紙パック飲料を載せた。
「配っといてくれ」
それだけ言うと、騎士は大急ぎでドアを締める。外側から鍵がかかった音も聞こえた。
そこまでしてハクリ患者と関わりたくないか。間違った判断ではないし、気持ちもわかるけど。
頼まれたまま、病人ひとりひとりに紙パック飲料を配っていく。飲む元気もないほどぐったりした人もいれば、よほどのどが渇いてたのか2本目の紙パックを開封して飲み始める人もいる。
「助かるよ、ポルカ」
おかみさんはこの中では症状が軽いほうだ。意識もはっきりしているし、飲み物もちびちびとだが飲めている。
だけど体調が悪いことには変わりない。これ以上悪化しないことを祈るばかりだ。
誰かが吐いたり俺が掃除したりを何度か繰り返した後、ようやく落ち着きが戻ってきた。精神的に疲れてないといえば嘘になるけど、だからといってこのままにする訳にはいかない。
目には見えない病気の素ミアズマ。それによって引き起こされる感染症のハクリ。
そんなもの、俺にどうにかできるのか?普通に考えてできるはずはない。何をどうすれば解決できるのかも見当がつかない。
だけど、それに対して何も行動を起こさないほど、諦めのいい掃除機でもない。
常識的に無理?常識なんてロボット掃除機に生まれ変わった時に捨ててやったよ。
ミアズマを掃除する。そしてハクリを鎮圧する。あのソイルコンタムを見返してやる!