挿話 蠢く宗教家
今回は、別の場所にいる別の人たちの話です。
大陸の中央部。
東方と西域の狭間に、その街はあった。
多くの都市から隔絶した、辺境と表現してもいい環境にありながら、世界でも指折りの繁栄を遂げている。
街の名は、レヴァンダ。
神聖教の聖地にして、本拠地だった。
神聖教は、決して長くはない歴史の中で急速に人々の心に根づき、世界宗教としての地位を築き上げた。その過程は多分に政治的な運動が含まれており、宗教団体ではなく政治集団だと言う者もいる。だが、そんな悪口など誰も問題にしないほど、神聖教は盤石である。
神聖教の繁栄が、レヴァンダの繁栄なのだ。
レヴァンダには王がいない。
代わりに『教皇』がいる。
教皇は神聖教の頂点であり、レヴァンダの統治者であり、この世界で最も権力を持つ個人であった。
しかし、当の教皇――グラウクスは渇いていた。
五年前、二十二歳の最年少で教皇位につき、冷たいと評される美貌の持つ彼だが、いつも不満そうだった。何かに当たり散らすような激しさはない。ただただ、常に満たされていないことが周囲にも分かる態度を取っているのだ。そして事実、満たされていなかった。
今もまた、面白くなさそうに座っている。
彼がいるのは、普段自らが政務をこなすときに使用している『杖の間』だった。白を基調とした、必要最低限のものしか用意されていない簡素な部屋である。さして広くもない。あくまで、教皇という立場の人間が使うにしては、だが。
「言い訳はいい。結論は、逃げ帰った。違うか?」
感情のこもらない声だった。決して大きくはないのだが、周囲が静まり返っていたこともあり、彼の声は部屋の隅々まで届く。
室内には、グラウクスの他に、側近であるパゴニ枢機卿、神聖幻影騎士団総長アルコン、そして神聖幻影騎士団金騎士ドウガンの四人がいた。
グラウクスの視線は、ドウガンに向けられている。
ドウガンはうつむいている。時折、緊張と恐怖による汗が落ちた。
パゴニはそのたびに眉をひそめるのだが、グラウクスは無表情のままだった。
「部下の失敗は上司の失敗。アルコン、違うか?」
「さようでございます」
筋肉の塊のようなアルコンが、野太い声で答える。
「どうするつもりだ?」
「はっ、人数を増やし、再度説得に向かおうと思います」
グラウクスが頬杖をつく。
「それがお前の策か?」
「はい」
「人数を増やして成功しても、騎士団の誇りは取り戻せたと言えるか?」
「それは……」
アルコンが言いよどんだ。教皇に向けていた目線を、わずかに下へおろす。
「言えないでしょう」
教皇の隣で、騎士二人を眺めていたパゴニが言った。
パゴニは、グラウクスの幼馴染である。物静かで人のよさそうな外見だが、その実、皮肉屋で陰険な性格だった。グラウクスが教皇位につけた理由の一つである。
「聖下」と、パゴニはグラウクスに呼びかける。「騎士団の誇りは地に落ちました。それは、教団の誇りが泥にまみれたことでもあります。もう事態は騎士団だけで収まるものではありません。聖下御自らが出られるべきかと」
「なんですと」
アルコンが驚愕の声をあげ、グラウクスを見るが、彼と目が合った瞬間、黙ってしまう。ドウガンは肩をびくつかせたが、頭を上げるにはいたらなかった。
「アルコン」
グラウクスが、目を細めた。
「言いたいことがあるなら、言ってもよい」
許可ではなく、遠回しの命令であることは、アルコンも分かっている。
「レネが聖女とはいえ、たかが女一人に聖下が出られるのは、神聖教の威厳が落ちると思うのです」
彼の頬を汗が伝う。
グラウコスは、パゴニを見た。パゴニがうなずき、口を開く。
「アルコン。自分が何を言っているか、分かっていますか?」
「もちろんです」
「では、そのたかが女一人に敗北したのが誰かも分かっていますね?」
「はっ」
アルコンの身体が誰にでも分かるほど震えた。ドウガンの顔も蒼白になる。
「私の力のなさが、原因なのです。団長殿の責任ではありません」
「堂々巡りだな、お前らは」
グラウクスが、つぶやいた。
「さきほど話したはずだ。部下の失敗は上司の失敗だと。同じやり取りを永遠に繰り返したいのか?」
アルコンが弱々しく首を振る。
「そういうわけではありません。ただ、聖女レネがそれほどの存在とは思えないのです」
グラウクスは、深く息を吐いた。それを合図と感じたパゴニがアルコンに答える。
「レネは、虚神戦争の英雄です。それは分かっていますね」
年端もいかない子供に言い聞かせるような物言いなのに、アルコンもドウガンも素直にうなずいた。
「世間の風聞では、聖女レネが虚神を封じたということになっていますが、その方法が問題なのです。聖女レネは、自らの身体に虚神を封印しました。ただ、その封印は危ういもの。つまり、聖女レネを野放しにしておけば、いつまた第二の虚神戦争が起こるとも限りません。そのときには、聖女は封印する力を失うでしょう。だからこそ、我ら神聖教団が保護し、管理下に置かねばならないのです」
アルコンとドウガンは、パゴニの言葉を静かに聞いていた。反発は見えない。この世界の真実を知ってしまったような神妙な顔をしている。
パゴニが話し終えても、しばらく二人は黙っていた。
やがて、アルコンが片膝をついて言った。
「分かりました。全てを聖下のお考えにゆだねます」
グラウクスとパゴニがうなずく。
「それでいい。ドウガン、お前はどうだ?」
アルコンとは対照的に、ドウガンは立ったままだった。アルコンが片膝をついた瞬間も、呆然と見ていたのだ。その彼が、グラウクスを見据える。
「聖下、私の考えを述べても、よろしいでしょうか」
ドウガンの頬の筋肉が、数度痙攣した。
グラウクスが眉をひそめる。
「確かに私は、お前に意見を聞こうとした。だが、それはこのような会話の中では形式的なものだ。あくまでも、お前を尊重しているという態度を取るだけのな。それが分からぬとは思わなかった。先ほどのアルコンの場合とは違う。お前の立場もな。では、ドウガン。本音で話そう。お前の意見はいらない。お前は私の命令を疑うことなく享受しろ」
「はっ」
ドウガンはすぐさま頭を下げた。
彼にとって神聖幻影騎士団にいることは、己の存在意義と同義であった。騎士団にいる以上は、教皇の意見を絶対としなければならない。たとえ、心中は別の意見を持っていても。
「話し合いは終わりだな。準備が整いしだい、私が出る。よいな」
「分かりました」アルコンとドウガンが同時に答える。そして、部屋から引き揚げていった。教皇が話し合いが終わりだと言うからには、この場に留まっていいはずがない。
それが、グラウクスのやり方だった。
部屋は、グラウクスとパゴニの二人だけになる。
「打ち合わせどおりの筋書きでしたな」
パゴニがグラウクスに聞こえるように、つぶやいた。
「ここまで思ったとおりに行くと、むしろ怖いな」
「それにしても珍しい。聖下自らが女一人を捕獲に向かうとは」
グラウクスは口の端を上げた。
「それだけの価値はある」
「なるほど」
パゴニは、事前にグラウクスから聞いていた。
今回、騎士団を派遣したのには理由があることを。そもそも、最初からグラウクスは自分が出たかったのだ。しかし、騎士団は承知しないと考えていた。彼らは、教皇の手足を自任している。教皇が騎士団に任せず、自ら行動に出ることは不名誉と感じるにちがいない。
そこで――
「わざと、騎士団には任務が失敗するようにしむけたわけですか」
パゴニは、半ばあきれたように言う。
「うまく行ったろう? 万が一成功しそうなときに備えて、『傭兵』も雇っておいたのだが、そいつもいい仕事をしたようだ」
「費用はかかりましたよ。それに、つかみどころがない奴です。だいぶ、気ままに動いていたようです」
「結果がともなえば、気にすることはない。まあ、レネに素直に自分のことを話したとも思えないしな。微妙に真実からずれた戯言でも語って、煙に巻いたと思っている」
「そのようです。本人の報告では」
パゴニのうんざりしたような顔を見て、グラウクスは満足そうに目を細める。
「お前とは合わないようだな」
「ああいうのは、大嫌いです」
「なんにしろ、騎士団が俺の行動に文句を言えない状況になったんだ。好きにやらせてもらおう」
「ただ、聖下が出るわけではない……と?」
この先のことは、パゴニも聞いていなかった。
「ああ。どうせ俺が出るのだ。大義名分を立てて、教団あげての戦いにしようと思う。そうだ。『聖戦』を発動しよう」
「ほう、そこまでやられますか」
パゴニは驚いていた。
しかし、それを表には出さない。それがこの幼馴染とうまくやっていくコツなのだ。
「そうだ。確かに神聖教は『虚神戦争』で勢力をさらに巨大化させた。だが、まだ足りない。勢力もそうだが、『虚神戦争』を治めたという名誉も欲しい。そのための聖女レネ討伐だ」
「騎士団には捕獲を命じ、自らは討伐ですか」
パゴニも、薄く笑う。
「手の込んだ嘘はつけないタチだ。あいつらが殺しては困る。それは、俺の役目としたい」
「戦争の英雄を、悪の権化として討つつもりですか」
「嘘ではない。レネが虚神を内に封印しているのは本当だ。そして、いつか封印が解かれる可能性があるのもな」
「聖下のお心のままに」
パゴニはため息をつき、肩をすくめた。
もう少し聞きたいことがあった。しかし、もう時間だ。他にもこなさなければいけないことが山ほどある。教皇と枢機卿は暇ではない。
「聖下、まもなくロンゴ国の国王との会見です。お支度を」
「そうか分かった」グラウクスはうなずいた。
「ただその前に、一つよろしいですか?」
「なんだ、パゴニ」
「聖下、パンツ穿いてませんよ」
「ああ、私もさっき気づいた。朝から穿いた記憶がない」
「もう夕方ですよ」
「つまり、そういうことだ」
グラウクスは渇いていた。たとえパンツを穿いていなくても、それは変わらない。




