11 ふぁいあ
庭に出ると、朝の光が洗濯紐に淡く揺れていた。空気はまだひんやりしていて、草の匂いが鼻先をくすぐる。
私は籠を抱え、洗濯物を一枚ずつ干していく。
最後の一枚を掛け終えたそのとき、背後から小さな足音が聞こえた。
「ユーナ、なにしてるの?」
振り向くと、フォルが裸足のまま駆けてきた。銀色の髪が朝日に照らされきらきらと光っている。
「お洗濯だよ。みんなの服をきれいにするの」
「せんたく! ボクもやる!」
私が答えると、フォルはぱっと顔を輝かせる。だけれど、もう洗濯物干しの作業は終わってしまっていて手伝ってもらうことがない。
「そっか。もう干しちゃったから、また取り込む時に……」
でも気持ちは嬉しいから、午後に手伝ってもらおうと言いかけたそのときだった。
フォルがぴょんと背伸びして、洗濯物を見上げる。
「これ、ぬれてる。かわかすんだね!」
フォルは得意げに胸を張って、両手をぱっと広げる。
「ふぁいあ、ふぁいあ、ふわふわ〜!」
ふわりと小さな火の玉が生まれ、洗濯物の下に浮かんだ。髪の毛を乾かした時と違って、今日は火に勢いがある気がする。
「えっ、待ってフォル、それはダメ――!」
悪い予感がして声を上げたけれど、間に合わなかった。
布地がぱちりと音を立て、シャツの裾から焦げた匂いが立ち上った。
「わああっ!」
私は反射的に桶を持ち上げ、水をばしゃりとかける。火はすぐに消えたが、白い湯気と煙がもくもくと上がり、濡れた布が重たく垂れ下がった。
「あれー? かみのけはできたのになあ」
フォルは両手を宙にあげたまま、きょとんとしている。やったことが失敗だったのか、まだ分かっていない顔だ。
私は焦げた部分を確認して、背筋がひやりとした。
よりによって、焦げてしまったのはクロードさんの服だった。私の服ならよかったのに、彼のシャツの袖にはほんの指先ほどの焦げ跡がついてしまった。
「……何の騒ぎだ?」
声と一緒に、クロードさんが庭へ出てきた。表情はいつもと変わらないが、視線だけが素早く状況を追っていく。その目が、私の手にあるシャツで止まった。
「それは……」
「す、すみません……! クロードさんのシャツを焦がしてしまいました」
私はすぐに頭を下げた。
言い訳をする余地もなく、ただ申し訳なさで胸がいっぱいになる。
「ボクね、せんたくもの、かわかしたかったの」
フォルがトコトコとクロードさんの所へ行き、悲しそうな顔をする。
クロードさんはフォルを見て、それからもう一度私の方を見ると、素早くこちらへ歩み寄ってきた。
「怪我はないか」
「ありません! 私は大丈夫です」
「ボクも、だいじょうぶ〜!」
確認を終えると、クロードさんは小さく息をつく。
それから、手袋を外して焦げた箇所に触れた。
「この程度なら問題ない」
そう言われて、少しだけ安堵する。それでも、焦がしてしまったことには変わりない。
私はもう一度、しっかり頭を下げた。
「すみません。私、縫い直します。ちゃんと、元通りにします」
「いや、いい。洗濯も、これから君がやる必要はない」
即答だった。その言い方が、妙にきっぱりしていて、私は返す言葉を失う。
余計なことをしてしまったんだ。
役に立てることを増やしたかった。けれど、私がやったことでかえって手間を増やしたみたいで、情けなくなる。
焦げた匂いがまだ鼻の奥に残っていて、うまく息が吸えない気がした。
フォルが眉を下げて、私とクロードさんを見比べた。
「クロード、おこってるの?」
その言葉に、クロードさんは焦げ跡のついたシャツを持ったまま動きを止めた。表情は変えず、視線だけをこちらに向ける。
「いや、怒っていない」
「ユーナ、クロードおこってないって! もともとこわいかおなのかも!」
屈託のないフォルの言葉に、私はぱちりとまばたきをする。
クロードさんも驚いたのか、ほんのわずかに目を見開いて私の方を見た。すぐに視線を外し、咳払いをひとつする。
「……すまない。言葉が足りないとよく言われる。俺の分の洗濯をするのは負担だろうから、しなくてもいいという意味だ」
「あっ、そ、そうだったんですね……!」
私は気まずく笑って、籠の縁をぎゅっと握り直した。
怒っていないと分かっても、先ほどの言い方が強く印象に残っている。びっくりした心の置き場がまだ定まらない。
「俺は幼い頃から宿舎暮らしだったから身の回りのことは一通りできる。それに」
クロードさんは、手を洗濯物にかざす。次の瞬間、庭の風がふっと流れを変えた。
空気が渦を巻き、洗濯物を巻き上げてゆく。
「ユーナ、籠を」
「あっ、はい」
私は慌てて足元の籠を持ち上げ、両手で差し出した。
ふわり、ふわりと布が舞う。洗い立てのシャツもタオルも、風の中で渦を描いて踊っていた。けれど、怖さはない。きちんと手綱をつけられたみたいに、風の動きには無駄がない。
クロードさんが手のひらをきゅっと握りしめると、風の渦がぴたりと止まる。
そのまま洗濯物がふっと落ちて、籠の中へ吸い込まれるように収まった。
最後の一枚が落ちると、庭の空気も何事もなかったように澄んでいく。
「こうして乾かすこともできる」
「わあ、すごいですね……!」
私が小さく言うと、クロードさんは短く頷いた。
「だから、明日からは俺がやる」
「ありがとうございます」
自然と役割を決めてくれている。そのことに感謝していると、フォルがぴょんと跳ねて、両手を高く上げた。
「ボクもやる! ボクも、せんたくする!」
クロードさんは一拍遅れてフォルを見下ろす。言葉に詰まったように口を開き、それから閉じた。
「いや、しかし」
「ボクもユーナのおてつだいしたいの〜〜!!!」
クロードさんが困ったように私を見る。洗濯物の扱いは手慣れているようだったけれど、子供のことは難しいみたい。そこに少し親近感を抱きつつ、私はフォルと目線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「フォル。今日はベリーを採りに行くんでしょう? そのお手伝いをしてほしいな」
「べりー!」
フォルの顔がぱっと明るくなる。
「いく! ボク、いっぱいとる! ユーナがジャムにするの!」
「うん。たくさん採れたら嬉しいね」
フォルは嬉しそうに頷いて、もう森へ走り出しそうな勢いで足踏みをしている。
こうして私たちは、洗濯物を片付けてから森へ向かうことになった。




