65 平穏な生活
ジャンルイジ大公の療養に合わせて減量計画は再開となった。
今では介助つきで階段五段まで上り下りできるようになった。
調子が良い時は庭を散歩している。ビアンカ公女が一緒に散歩の付き添いをしているところだった。
ルドヴィカは遠慮して、フランチェスカと一緒に馬房の世話を焼いていた。
フランチェスカが壊した馬房は1週間で修繕されており、馬たちも普段の生活へと戻っていた。
一匹異物が混じっているが。
馬房の中にいる鷲の上半身を持ち、後ろの足は馬のものを持つ生物。ヒポグリフである。
フランチェスカの霊獣ヒポグリフのヒポポであった。
馬房を壊したことに責任を感じていたのか修繕の時道具の持ち運びの手伝いをして残ってくれていた。
馬たちと仲良しで一緒に人参をもぐもぐと食べていた。
伝承では肉食、馬の肉を好むと聞いていたのだが、馬たちは特にヒポグリフを警戒する様子はない。
「ヒポポは馬に対してとっても紳士的なの。馬たちもここに暮らしていた母親馬のことを知っているから気を許しているわ」
馬房を壊されたというのに馬たちはヒポポを気にかけて鼻を近づけていた。まるで家族のようなやり取りである。
「飛びこんできた事情も理解してくれているようで安心したわ」
この馬房の馬たちは随分と賢く、ヒポポたちの事情をくんでくれていた。
「そういえば、例の暗殺の件……何か手は打っておいた方がいいわよね」
大公領内であり問題は起きないと思っていたが、ここには教会が存在している。
「大丈夫よ。そのあたりはジジに任せているし」
「暗殺者は帝都の教会ゆかりと聞きました。大公領の教会とか、大丈夫でしょうか」
「そのあたりも心配しないで。今は大公領の教会も目を覚まして帝都の教会と距離を置くようになったから。多分大公領の教会の連中は関与していないわ」
はじめは大公領の教会も帝都の教会と同じ考えが強かったが、魔法棟の科学を組み合わせた考えを受けて治癒魔法の効率がぐっとあがった。
人体構造学、生理学、病理学を理解したことにより魔法を具体的に組み合わせやすくなった為である。
多くの人々を効率的に助けられる現場をみて魔法棟の考えに耳を貸すようになった。同時に帝都の教会から白い目で見られるようになり、線を引いた状態になっている。
ルドヴィカが訪れた頃には既に帝都と大公領の対立は顕在化されていたのだ。
まだわずかに残っている親帝都派がいるにはいるが、段々力は落ちている上に汚職について言及されている最中だという。
(教会を訪れた時に嫌みを言っていた人は、今汚職で色々追及されていて苛立っていたというわけだったのね)
単純に魔法棟に傾倒している大公妃が面白くないから嫌みを言っていたと思っていた。
「今修道院へ戻っても面倒ごとに巻き込まれるだけだし、大公妃が城の滞在許可をだしてくれて助かったわ」
フランチェスカの笑顔にルドヴィカは苦笑いした。
さすがに大公の治療をしてくれた聖女候補に何もしないまま帰すのは憚れただけだったのだが。
それよりもそんな状態でここに滞在したままで良いのだろうか。
「まぁ、良いだろう。今あいつが行っても事態が面倒になるだけだし、現に教会司祭からようやく穏便に解決できそうだから、もう少しフランを留めおいて欲しいとお願いがきている」
教会に帰るよう求められるどころかしばらく帰ってこないでほしいと言われるなどフランチェスカは本当に聖女候補なのだろうか。
「あの女は女神に寵愛された聖女なんだよ。女神が何故あの女を気にかけたのかわからないが……強い神聖魔法の使い手は現代のこの世界では彼女くらいだ」
ジャンルイジ大公は深くため息をついた。
「本来なら聖女と呼ぶべきなのだが、聖国で問題を起こして……聖女と認められるのは保留となった。聖国からおたくはどのような教育をしてきたのだと嫌みの書状が届けられたのは未だに忘れられない」
「一体何が……確か帝都出身の枢機卿を」
「暴行を加えた」
「何故彼女がそのようなことを」
理由があるはずである。
フランチェスカは意味も理由もなく他者に暴行を加えるような人物ではないというのが今のルドヴィカの評価であった。
「非公式の場だったが、確か自分の下にいた助祭を差別していたそうだ。指導と言いながら、体罰を与え、その上で神の血を体にかけた」
神の血というのは暗喩である。
行事の最中、洗礼の為に体にかけられる赤葡萄酒である。
「体罰を与えた上で、かけたの?」
「ああ、鞭でみみずばれし血がにじんだ場所につくようにわざとかけたそうだ」
アルコールが傷口につくのはかなり痛くなる。治療でアルコールを使用することがあるが、その枢機卿がしたことはただの嫌がらせ、痛めつけである。
「フランはそれを見て許せないと枢機卿を殴ったそうだ。もっと穏便に済ませられただろうに、かっとなって気づいたら手が出ていたという」
仮にも相手は枢機卿でかなりの大問題に発展した。
枢機卿はフランチェスカへ罰を与えるべきだと訴え、事情を把握した聖国の上層部は枢機卿へ賠償金を支払う程度で済ませてくれた。同時に予定されていたフランチェスカ聖女叙任の件は流れてしまった為、未だフランチェスカは聖女候補だった。
それでも聖国で留学させた上で改めて日取りを決めると言ってくれた分ありがたいと思うべきだろう。
「そんな事件があったなんて知りませんでした」
「聖女が暴行事件を起こしたなど知られれば色々問題があるからな、緘口令が敷かれた」
だから事件を知るものは限られていた。
「それよりその虐待されていた司祭は……」
「他国からきた助祭だが、例の枢機卿の下についていた。髪の色が……」
ジャンルイジ大公はちらりとルドヴィカをみやった。
「鼠色だったため差別を受けていたのだ」
非常に勤勉な者であり、他の司祭、司教からも期待されていたが例の枢機卿としては面白くなかったようだ。
帝都では未だに差別を受けている髪の者が自分の下でいずれは司祭につける可能性があるというのが歯がゆかった。
何としてでも心を砕いてやろうと非公式の指導という名の虐待を与えていた。
「非公式というのは隠れてやっていたのだが、フランチェスカは違和感を感じてそのまま他の司祭らが止めるのも聞かず現場へ乗り込み、枢機卿を殴った。どうやら聖国に来て一番はじめに親しくなった者だったそうだ」
ルドヴィカは少し反応に困った。
暴力はよくないのだが、直情的な彼女の行動を否定しきれなかった。
「まぁ、気持ちはわからなくもない。とはいえ、あれにはもう少し理性というか落ち着きというかそういうものを持ってほしいものだ」
ジャンルイジ大公はこめかみに手をあててため息をついた。
「殿下はフランチェスカ嬢のことを心配しているのですね」
「心配せざるを得ないだろう。あんなんだから不要な敵を増やしていくのだ。暗殺されそうになった件も……もう少し帝都の教会とうまくやれていれば。いや、もう今更か」
既にあきらめの境地に至っていた。
「お前には嫌な気分だろう。大公領内では帝都への感情が……」
「ええ。何となく察していましたが、過去を振り返るとわからなくもありません」
長い間大公領は帝国の壁となり他国からの侵略を防いできた。
その功労に関して皇帝家は大公家を自分に次ぐ家として認め多くの権利を与えた。
だが、それは表向きの話で、皇帝家は大公家の存在を面白くないと感じ、いずれは陥れる気でいた。
2年前のアリアンヌの騒動に関してもその一部であった可能性がある。
その騒動の中で、皇帝家のスパイが多く大公領内へと潜り込み、大公城の中心部まで浸食していた。
前世ではそれをどうすることもできないままビアンカ公女は孤立化し、破滅へと進んだ。
「これから大公家はどうしていくのでしょうか」
「可能であれば現状維持でいきたい」
ジャンルイジ大公は困ったようにつぶやいた。
皇帝家からのやり口には思うところがいくつもある。だが、今皇帝家に叛意を示してもいたずらに領民を戦争へ巻き込んでしまう。
5年前ようやく異国との戦争が落ち着いて、平和を取り戻しつつあるというのに。未だに傷が癒えない者も多い中、この大公領を戦争へと巻き込みたくなかった。
だから今は穏便に済ませたい。
「だが、皇帝家の今後の動き次第では……。お前には悪いとは思っているが」
ジャンルイジ大公はルドヴィカの立場を改めてみた。
彼女は皇帝の命令でジャンルイジ大公の元へ嫁いだのである。
ルドヴィカも当初はそのつもりであっただろう。
「いいえ、殿下の想いはよくわかります」
ルドヴィカの前世の嫁ぐ目的はそうであっただろうが、今となっては遠い昔のことである。とうに放り出した義務であった。
今のルドヴィカの願いは自分を捨てた皇帝家の為ではない。
少しでもジャンルイジ大公が長く健やかに生きて欲しい。
ビアンカ公女が孤独な最期を迎えないでほしい。
それだけである。
「私は、殿下がどういう選択をしようと殿下の味方でありたい。……殿下はただ大公家を、大公領のことをお考え下さい」
ルドヴィカの笑顔をみてジャンルイジ大公は複雑だった。
夢の中で見えたルドヴィカの姿と重なって見えた。




