63 転生者の正体
アンジェロ大公兄妹の再会の場から遠慮してルドヴィカとフランチェスカは2階のサロン部屋でお茶を飲むこととなった。
「一仕事あとの甘味はいいわねぇ」
フランチェスカはルルが持ってきたケーキを頬張り和やかにしていた。
続けてクッキーへ手を伸ばした。
はじめて食べる感触にフランチェスカは首を傾げた。
「おから、……大豆から豆腐という食品を作る途中にでてきたもので、焼き菓子の中に混ぜて作りました。お口に合わないかもしれませんが」
「へー、あなたの前世ではあった料理なのかしら」
前世という言葉を聞きルドヴィカはカップをテーブルに置いた。
「あの、聞いても良いでしょうか?」
「どうぞ」
「あなたは私の前世を知っているのですか」
その質問に対してフランチェスカは苦笑いした。
「ええ。だって私があなたをあっちの世界へ転生させるように仕向けたもの」
「一体どうやって……聖女の力でしょうか」
「えーっと。どこから説明しようかしらね」
フランチェスカはお茶をすすりながら過去のことを思い出した。
「私は一応女神たちの間では転生者候補だったみたい」
「転生者……」
「この世界は女神の糸紡ぎで管理されている、というのは知っているでしょう」
フランチェスカの突然の話にルドヴィカは思わずうなずいた。
誰でも知っている神話である。
三柱の女神は父たる主神にこの世界の運営を任された。
一柱は糸をつむぎ、一柱は糸をはかり、一柱は糸を切る。
この繰り返しにより長い長い歴史は進んでいく。
糸を紡ぐ過程で女神の加護を強く受けてしまった者がおり、強い神聖魔法を持ち聖人となれた。時には賢者として姿を現すこともある。
「でも、三柱の糸紡ぎだけで世界を運営するにはあまりに緩やかすぎた。魔法が発展した代わりに、科学の分野は大きく遅れてしまった。これにより世界の一部は綻び始め、そこから大きく壊れ始める」
「魔法で何とかならないの?」
思わず確認するとフランチェスカは首を横に振った。
「魔法を使えるものはほんの一握りよ。その場合何が起きると思う?」
魔法の独占である。
帝都など強い力を持つ集団では奇跡的な魔法を使える者を独占し、恩恵を受けられる。だが、それができない地方では成す術もない。
「魔法も万能ではないことも既に立証済みよ。ほら、大昔に起きた疫病の件、帝都の魔法使いたちがいても押さえることができなかったでしょう」
この解決を進めたのが科学であった。大公領の魔法棟で研究している者。
「その研究者はあなたと同じ転生者だったのよ。彼のように、科学の進歩した世界へ必要な知識を学ぶ為に転生させ、そしてさらに元の人物の過去へと転生して破滅の未来を回避させた」
つまり魔法に依存してしまった為に滅んだ世界を救う為に、女神は転生者を作った。特に女神の加護を受けた者が選ばれやすい。
彼らは必要な科学の知識をもたらせて転生を繰り返した。
何とも奇妙な話である。
だが、ルドヴィカは納得してしまった。
この世界の時代はどうみても中世ヨーロッパであるが、どうにも先進的な道具が多かった。
考え方もルドヴィカの前世、朱美の世界の知識のものが盛り込まれているものがある。まるで朱美の世界から持ち帰ったようにも思えた。
「お会いになったことは……」
「聖女候補で修道院に入った時、一度だけね。100歳を超える高齢の方で、ほとんどベッドで寝たままの方だったわ。彼から教えてもらったの。あの革新的な考えをどこから身に着けたか。確か、グレートブリ……何とかっていう国で勉強したそうよ」
イギリスだ。
ルドヴィカは思わずフランチェスカが言おうと思ったが全部覚えておらず曖昧に出た単語の一部ですぐに察知した。
確かイギリスは疫学大国であった。
ペスト菌の原因をつきとめたのも疫学の賜物である。
ナイチンゲールも疫学のプロフェッショナルであった。
そして朱美のいる国で脚気の原因を突き止めた医師はイギリスの医学校で疫学を学んだ男であった。
「その方は私でも会えますか?」
フランチェスカは首を横に振った。
「私が幼い頃に亡くなられたわ」
フランチェスカが修道院へ入ったのは12歳の頃であった。その時に100歳を超えていたというし、確かに召されてもおかしくはない。
「残念です」
ルドヴィカと共通の世界の記憶を持つ者に会えるのではと少し期待してしまった。
「それで……私がどうして転生者に選ばれたのでしょう。どう考えても、あなたの方が適任だと思います」
転生者に選ばれるのは女神の加護を強く受けた聖人、賢者が多いと聞いた。
それでは、平凡な魔力しか持たない自分よりもフランチェスカの方がずっと相応しいだろう。
「それは、私が女神に頼んであなたを推薦したのよ」
フランチェスカの意外な発言にルドヴィカは目を丸くした。
どうして彼女はそんなことをしたのか理解できなかった。
「本当は私は死んですぐに転生する予定だったわ。でも、自分が死んだ後がどうなるかくらいは知ってから動きたいじゃないの。一柱の女神が私のことを随分贔屓にしてくれたから、私は魂だけの存在になって死後の世界を確認したわ」
フランチェスカの死という発言、ずいぶんと物々しいものだ。
「その、あなたが死んだときというのは何時頃なのですか」
「ジジ……大公殿下が亡くなった報せが届いた直後、彼が死んだ7日後かしらね」
その言葉にルドヴィカは動揺した。
「あの、さっき危ない目に遭ったというのは」
「そう。丁度死ぬところだったの。記憶が戻ったのが殺される1時間前で助かったわ。おかげでヒポポを呼んで逃亡できたのだから」
随分とぎりぎりのところで前世の記憶を思い出してしまったようだ。
「女神ももう少し計らってくれればいいのに」
「いいのよ。女神には随分と我儘をいったし、直前でなくて良かったわ」
楽観的な姿勢はある尊敬すべきかもしれない。
「それでどうして私を選んだのです」
「あなたの後悔に共感したからよ」
フランチェスカはルドヴィカの手を握った。白くて綺麗な手、とても温かいものであった。
同じ女であるが思わずどきどきしてしまう。
「ジジを亡くしてあなたは強い後悔に苛まれた。噂で聞いた贅沢三昧する悪女と聞いたけど、あなたはとても純粋な方だった」
「私は、純粋じゃありません」
ルドヴィカとしては予想外の称賛であった。
純粋というのは目の前のフランチェスカ、兄の為に我慢を受け入れたビアンカ公女のような者に言うのである。
「いいえ、あなたはとっても素敵で真面目で純粋な方だわ。ビアンカ公女の身代わりになろうと狂った女を演じ、全てを失った後は贖罪の為に自分を犠牲にして傷病者の為に献身的であろうとした」
ずっと見られていたとは思わずルドヴィカは顔を赤くした。
「だから、あなたなら任せてもいいと思ったの。アンジェロ大公家の破滅はジジの死が原因、あなたならジジを助けられると信じた」
「そんな」
「というのは私の意見で、実はあなたがあのまま死んだ後はあなたの魂はあの修道院の土地に縛られて動けなくなってしまっていたの」
フランチェスカが女神から聞いたルドヴィカの運命にルドヴィカはぞっとした。天にあがることもできず、亡霊となってしまうなど。
「あなたの魂はあのままにしてはいけないと思ったの。あなたができるのであれば、させてあげたい……あなたが死んだ時私は女神に頼んだの。異世界への転生はルドヴィカ大公妃に譲ると」
「私の為に自分の役割を譲るなんて」
フランチェスカが転生者であればより多くの人を救えたのではないだろうか。
「現にあなたはジジを救ったわ。巡礼の旅の途中ジジの回復の情報を聞いてびっくりしたもの。自分が戻るまでベッドに寝た切りだと思っていたから……あなたは間違いなく奇跡を呼んだわ」
「でも……」
それでも納得できないルドヴィカにフランチェスカはさらに情報を伝えた。
「実はさっきジジにかけられた言霊魔法を解除するの楽だったのよね。どうしてだと思う」
「巡礼で神聖魔法がパワーアップしたからですよね」
ルドヴィカの返答にフランチェスカは口を緩ませた。そんなおかしな返答をした覚えはないのだが。
「それもあるけど、あなたが言霊魔法を上書きしてくれたからよ。おかげでノミレベルの大きさの綻びがぽつぽつできていて、ちょっと力を入れるとぱきぱきに割ることができたの」
イメージ解説をされてルドヴィカは苦笑いした。
ここでもノミという単語を聞くことになるとは。
「本当よ。実はもう少し時間がかかるなら、私も強行突破で拳を振り上げる覚悟だったの。そうなったらジジは1日昏睡状態になっていたから助かったわね、ジジが」
「……イメージ解説ですよね。拳を振り上げるって」
ルドヴィカはおそるおそる確認してみた。
「いいえ、神聖魔力を拳にこめてそのまま彼のみぞおちあたりにヒットを」
「膵炎になったばかりの方にそれはやめてください」
ルドヴィカは思わず叫んでしまった。あまりに危険な荒業である。
聞いたところによるとアリアンヌの言霊や魅了にやられてしまった美男子たちはフランチェスカの荒療治で回復したという。
荒療治、神聖魔力をこめた拳でのクリティカルヒット。
被害にあった美男子たちは気の毒であったが、しかし彼らとしては聖女の拳に感謝していたようだ。
婚約者を傷つけてしまったことは悔やんでも悔やみきれず、罰という形を得られただけ救われたそうだ。それでもかつての関係に戻ることはできない。彼らは贖罪の日々を過ごし、修道院入りを果たしたり、地方の危険地への派遣を希望したという。
「実はジジに拳療法を何回か試みたのだけど、5回目でジジが拒絶し、ルフィーノもストップをかけてしょうがないから巡礼の旅へとでかけたの。それでも無理だったらパワーアップした拳療法に移行するという条件をつけて」
「拳療法て何ですか。その危険なワード、治療名なのですか?」
ルドヴィカは恐ろしいと首をぶんぶんと振った。
それよりも4回も拳療法を受けたのかジャンルイジ大公は。
それでも治せなかったアリアンヌの言霊魔法の厄介さをみるべきか、精神的にまいっている状態で荒療治を4回も受けたジャンルイジ大公のタフさに感嘆すべきなのか。
ルドヴィカは反応に困ってしまった。
「もしかして、アリアンヌが逃げて帰ってきたのは」
ルドヴィカは思い出した。
アンジェロ大公を恐ろしいといっていたが、実は彼女が恐れたのは目の前の聖女候補だったのではあるまいか。
「あの性根の腐った令嬢に拳療法をお見舞いしようと思いましたが、とりまき美男子らが庇ってその隙に逃げられてしまいました」
フランチェスカはひとさしゆびで自分の頬をちょんとさせてにこっと微笑んだ。
仕草はとても可愛らしいが、言っている内容は決して可愛らしくもない。
もしかして未だに聖女候補というのは、もしかしなくてもこういうところで引っかかったのだろうか。
ふとそんな考えがよぎってしまった。
ちなみに後日ビアンカ公女から聞いた話ではレタリア聖国にて聖女叙任を受ける予定であったようだが、枢機卿を一発殴り聖女叙任の件は流れたという。
ちなみにその枢機卿はガンドルフォ帝国出身であり、同時にフランチェスカはガンドルフォ帝国の教会への移籍を求められたが蹴飛ばしたのでその件で帝国教会から睨まれているという。
「聖女」と慕われているフランチェスカであるが、彼女の本性を知る者たちは影でこう読んでいた。
レディ・クレイジーストーム(嵐の狂女)。
何をどうすればそんなあだながつけられるのだ。




