35 小さな協力者
ジャンルイジ大公が事前に言っていた通り、翌日の尋問で毒入り瓶を出された。
ヴァリー卿のにやついた顔が少し腹立たしい。
「これがどこにあったかご存じでしょうか?」
「どこにありましたか?」
ルドヴィカは感情を抑えて、尋ねた。
「あなたの執務室、机の引き出しの奥です。さぁ、これで白状してください。そうすれば恩情はかけられるかもしれませんよ」
何よりも動かない証拠と言わんばかりの発言にルドヴィカは瓶を確認した。
古びた年期の入った瓶であった。その中に粉らしきものが封入されている。
色あせたガラスの向こうであるが、おそらく白い粉様のもの。
「それが私のものだという証拠は?」
「あなたの机にありました。それが何よりもの証拠でしょう」
「いつ私はこれをクッキーに入れたのでしょうか?」
「質問を認めていませんよ」
ヴァリー卿はなおも開き直っているルドヴィカに怒りを覚えた。
そこそこ整った顔立ちが歪んでいて残念であった。
「だってそうでしょう。もし、私がこれを使用したとしていつ頃とお考えですか?」
「そんなことを話す必要がありません」
「では、尋問はここまでです。私はこれ以上話す気もありません」
バンと強く机が叩かれた。あまりに大きな音で思わず肩が震えた。
今にもルドヴィカに手をかけようとせんばかりにヴァリー卿は苛立ちを隠しきれていない。
「いい加減にしてください。私もいつまでも紳士的に対応できる自信はありませんよ」
手をあげることもあると宣言しているようで、ルドヴィカはふふっと笑った。
「今まで紳士的なものでしたか?」
明らかにルドヴィカを疑い、陥れようとする気満々の尋問であったではないか。
そう暗に含ませると、目の前の騎士の腕が振り上がった。
叩かれる覚悟でルドヴィカは目をぎゅっとつぶった。
「大公妃殿下も、あまり刺激を与えないでください」
呆れたように呟く男の声が傍らからした。
ルドヴィカのすぐそばまでより、ヴァリー卿の拳を受け止めてくれたようだ。
平手打ちくらいは覚悟していたが、ぐーで殴られるところだったか。
ルドヴィカはうわぁとヴァリー卿をみやった。
オルランド卿に言われて、はっと拳を直した。
「今の行動は大公殿下へ報告させていただきます」
命令違反であるとオルランド卿は言った。
どうやら尋問の際、ジャンルイジ大公から厳命があったようだ。ルドヴィカを傷つけてはならないと。
「こ、これは……」
「今のは黙ってさしあげましょう。代わりに私の質問に答えてくださる?」
オルランド卿の言葉を制し、ルドヴィカはにこりと微笑んだ。
ルドヴィカのペースに巻き込まれていたと察したヴァリー卿はそれでもこの捜査責任者の座から降りたくないためルドヴィカの提案に乗った。
「こほん、調理の後、公女殿下へ送る直前でしょう」
ヒ素を水に溶かし、完成されたクッキーの表面に塗った。
ジャンルイジ大公へ送られたクッキーには問題がなかったこと、毒はクッキーの表面に塗られていたことからの予想であった。
ルドヴィカはオルランド卿の方をみやると彼の得ている情報も同様のようである。
「それなら私以外もできそうね」
例えば、クッキーを運んだメイドのアンである。
「どうしてアンのことはそこまで疑っていないのです?」
「彼女はクッキーを一口食べました。さすがに毒入りクッキーを自分で食べる犯人がいますか?」
今まで、ルドヴィカが送られて来たクッキーはビアンカ公女が食べることなくメイドたちに下げ渡されて来た。
アンはメイド仲間と一緒にクッキーを食べることを就寝前の日課にしつつあった。
1か月が経過した頃に二人のメイドが症状を訴えた。
症状が出る前にメイドたちはクッキーを少なくとも1枚は食べている。
症状が出ていないメイドたちも治癒魔法使いに診てもらい、適切な処置を受けて大事に至っていない。
アンがクッキーを食べたことはメイドたちの証言で確認済であり、とても毒を知っていた様子はなかった。
ここからアンは容疑から外されたようだ。
むしろ可哀そうな被害者であると騎士たちの同情を買っていた。
ルドヴィカはクッキーの流れを思い出した。
出来上がったクッキーを自分が運んで、アンに渡した。
ルルに持たせることもあったが、2回程度のはじめの頃である。
ヒ素は少量ずつクッキーに滲みこませてあった。
ヴァリー卿が毒入りクッキーであると見せたものはつい最近、1週間前のものだ。
その時はルルに持たせた覚えはない。
当然ルドヴィカは毒を入れておらず、アンが怪しい。
やはりアンに話を聞かないとならないが、今の自分では難しい。
ルルにお願いしても、ルルはルドヴィカの世話役でビアンカ公女のメイドたちから警戒されてしまう。
一番頼れるのはジャンルイジ大公であるが、昨日のようにネズミで通信してくれるとは思わない。
彼もこの騒動で忙しくなってしまっていることだろう。
オルランド卿は自分の敵ではないが、どこまで信じればいいのかわからない。ヴァリー卿たちが見ている中お願いしては、彼も動きづらくなることだろう。
ルフィーノが動けないのが残念なことだ。
尋問が終わり、また何もない部屋で夜を過ごすことになった。
「おーい、生きているか大公妃!」
例のネズミの使い魔がルドヴィカの部屋へともぐりこんできた。
ジャンルイジ大公かと考えたが、声の質が明らかに違う。
「オリンド、かしら?」
「そうだ。どうやら怪我はないようだな」
ネズミはふむふむとルドヴィカの体をみやった。
「昨日は大公殿下だったのに、今日はどうして?」
「元々これの世話をしているのは俺だからな。大公殿下には大公妃と会話できるようにサポートしてやった」
ジャンルイジ大公の能力であれば、10分の会話が限度である。
大公が操るネズミがルドヴィカの塔までたどり着くだけで時間が消費されてしまう。
移動はオリンドとヴィートが率先して手伝ってやったのである。
「そう、ありがとうね。ところであなたたちは大丈夫だったの? 私の少年従僕だったから酷い目に遭わなかった?」
大公妃の少年従僕、ルフィーノの弟子の魔法使いの少年たち。
大公城の使用人たちから良い目を見られていないだろう。
「ああ、すんでのところで大公殿下の部屋へと逃げ込んだから問題ない。軽い取り調べ程度で済んだ」
「そう。私のせいで苦労をかけたわね」
二人の少年の為に良かれと思って少年従僕に引き立てたのであるが、危険な目に遭わせてしまった。
「別に、大公妃は濡れ衣を着せられたんだろう」
ここでも信じてくれる存在があると知りルドヴィカは思わず頬を緩ませた。
たった数週間しか一緒にいないのに、二人はルドヴィカを疑うことはしない。
「それに自分のせいとかいうなよ。お前のおかげで、俺たちはもっと良い食べ物にありつけるし、ヴィートも良い教育を受けられる」
絵の先生の手配についてオリンドは感謝していた。
実際ヴィートの将来について少し不安はあったようだ。自分程の魔力を持たず、魔法の才能もそれほどでもない。魔法使いよりの性格でもないので、ルフィーノたちと一緒にいて大丈夫かと考えていたようだ。
だが、別の路を与えられるものを持たないオリンドはただ彼に魔法使いになれるようにサポートをしていくしかなかった。
そこでルドヴィカがヴィートの絵の才能を買って、絵の先生を呼んでくれてヴィートは楽しそうにしていた。今もジャンルイジ大公の庇護下で絵の勉強を続けられている。
「とにかくお前がこのまま罪人になると困る! だから協力をしてやるぞ」
「危険よ」
「そんなのオランド卿からの注文で慣れている」
例の間者捜査の件だ。逃避魔法や色々対策は持たせてあるといっても少年二人では危ない橋を渡っていたのかと感じられた。
「ほら、俺は子供だから怪しまれずに公女の元へだっていけるぞ」
「それじゃあ、公女様の今の状態と、メイドのアンの動向を調べてくれる?」
ルドヴィカは遠慮がちに頼みごとをするとオリンドはなんのこともないと引き受けてくれた。




