34 ネズミの訪問者
幽閉塔の頂上の部屋、貴人の為の牢獄といわれてる部屋でルドヴィカは白いネズミと対峙していた。
お互い無言でじっと視線を交わす。
しばらく動かず、ようやくルドヴィカは額に手をあてた。
はじめは手のひらサイズの大きめのネズミに驚いたが、昔の実験室のラットに似ており特にどうとも感じなかった。
前世の大学時代、朱美はラットの実験に携わっていた。
基本大学にいる実験用ネズミは無菌状態で育てられて、教授曰くお前ら学生よりもずっと清潔だと言われたのを思い出した。
いけない。
ありえないことから逃避したくて朱美の記憶を呼び起こしてしまった。
「まずいわ。幽閉生活に疲れたあまり幻聴が聞こえてしまった」
「幻聴ではない」
ネズミはぱくぱくと口を動かし、ジャンルイジ大公の声を発した。
「このネズミはルフィ、ルフィーノが調教した使い魔だ。この首輪をつけることで、術者と意識を同期することができる」
ジャンルイジ大公の声をしたネズミは自身の説明をした。
「まぁ、どうして殿下がこのような」
「お前のことが心配で……ルフィに無理を言って貸し出してもらった」
「殿下も魔法が使えるのですか?」
「……一応な。これでもルフィの師に魔法を教わった」
あまり過去の記憶で忘れていたが、英雄ジャンルイジ大公は魔法を使える騎士であった。攻撃魔法の炎の属性を持ち、強力な炎を駆使することがある。
魔法分野のほとんどが魔法部隊が活躍していたが、必要あればジャンルイジ大公は炎の攻撃魔法を使い、敵を翻弄し怯ませ、味方を鼓舞した。
「それよりも不便はないか?」
「不便だらけですが、仕方ありません」
ルドヴィカはため息交じりで呟いた。
「外がどうなっているかわかりませんし、自分の身の潔白を証明しようにも尋問者は私が犯人と決めつけたような言い方で腹が立つし」
「それは、すまない」
「いえ、殿下のせいではありません」
ルドヴィカは不満を抑えて手を振った。
「どうだ。尋問では暴力的な目に遭わされていないか?」
「ええ、ヴァリー卿は随分と紳士的に対応しております。オルランド卿の監視のおかげで」
ルドヴィカは改めてネズミに向き合った。
「殿下にはお礼を言わなければ。殿下のお計らいで温かい部屋で眠れますし、ルルという世話役が出入りしてくれて助かっています」
「……今はそれしかできないからな」
本当はルドヴィカの無実を証明するものを見つけ出さなければならないが、探せば探すだけルドヴィカに不利なものが見つかってしまう。
「毒の瓶がお前の机から発見された」
「えぇ……」
ルドヴィカは眉をひそめた。そんなものは知らない。
だが、ルドヴィカの部屋で発見された以上、明日の尋問で詰め寄られるのだろう。
「私はそんなもの知りません」
「そうだな」
ルドヴィカの言葉にネズミは頷いた。
「私を信じてくださるのですか?」
「お前がいくら甘かろうと毒入り瓶をそんなわかりやすい場所に隠す程間抜けではないだろう」
一応信じてくれているのだろう。はじめの部分が引っかかるが。
「それに、魔法棟の研究者に頼んで瓶の解析をさせてある」
「解析?」
「お前があの瓶に手を触れたかどうか指紋照合した」
目を丸くさせた。指紋照合の技術がこの世界にあるとは思わなかった。
「まだ未発表のもので、実用化されたのは今回がはじめてだろう。とにかく、あの瓶の指紋をいくつか採取したがお前のものは認められなかった」
「では、誰が」
ルドヴィカは震える声で質問した。
自分の部屋を出入りできる者は限られる。ルルと、オリンド、ヴィート……ルドヴィカの協力者たちの誰かの可能性もある。
「安心しろ。お前のメイドでも、少年従僕でもない」
その言葉を聞きルドヴィカは深く安堵した。一瞬でも疑ってしまって申し訳なく感じた。
「それではどなたが」
「大公城中の使用人の指紋を照合している。時間はかかるが、そのうちに判明するだろう」
それさえわかれば、ルドヴィカの無罪は証明されるかもしれない。
「明日、毒入り瓶の話が出るだろうが動揺するな。調べる為に手を振れようともしないように。毒がわずかに瓶周りについている可能性はあるからな」
ジャンルイジ大公はかなり厳しく何度も注意してくる。
「何かお母さんみたいに言うのですね」
ルドヴィカの笑いにジャンルイジ大公はむぅっとした。ネズミの姿でもわかりやすい。
「毒入りクッキーに素手で触っただろう」
「あれは……毒が何か知りたくて」
「口につけようとしただろう」
「口ではなく鼻です。ちょっと嗅いですぐに放すつもりでした」
クッキーに触れた手はその後は顔に近づけないようにしていたし、ルルの持ってきた湯で丹念に洗い流した。
「あ、オルランド卿からハンカチ借りたままでした」
クッキーに触れた直後に確かオルランド卿がハンカチでルドヴィカの手を拭いて、そのまま預けられたままだった。
「さすがにルルに頼んで洗って返すのは憚れますし、新しいハンカチを贈った方がいいですね」
今はそんな余裕はないが、釈放されれば手配しなければ。
「……」
急にネズミが黙り始めた。どうしたのだとみやると随分と不機嫌そうなオーラを放っていた。
この時ルドヴィカは忘れていた。この世界で淑女が異性にハンカチを贈る意味を。
家族以外の異性に贈るのは求愛であった。
ルドヴィカは思いもしなかった。
まさかジャンルイジ大公がルドヴィカがオルランド卿へハンカチを贈るという発言にへそを曲げているなど。
「殿下のおかげでだいぶ明るい未来が見えてきそうです。それに、私を信じてくださりありがとうございます」
身柄拘束されたルドヴィカの待遇改善をさせ、ルドヴィカの安全を守る為オルランド卿を監視に選び、こうしてルドヴィカが不利になりそうな情報を届けてくれた。
ルドヴィカの無実を信じていなければできないことだろう。
妹が溺水したいへんな状態だというのに。
「今回の件は納得できない部分もあるし、私の妻がそれにより不当に扱われるのは良い気はしない」
まだ拗ねた声であるが、それでも彼なりの配慮が感じられてルドヴィカは思わず笑みをこぼした。
「殿下に感謝しております。無事釈放されたら殿下の好きなお菓子を用意いたします。勿論砂糖控えめですが」
「その必要はない。お前のおかげで今は歩けるようになった。歩行器で、であるが……早くそれを見に来い」
「素晴らしいです。楽しみにしていますね」
ルドヴィカはネズミを持ち上げて、ネズミの額にキスをした。
ネズミにキスは前世であれば抵抗感あったが、ルフィーノの使い魔だし、ジャンルイジ大公と意識同期してあるし少し触れるくらいどうとも感じなかった。
キスを受けたジャンルイジ大公と同期したネズミは驚いて、ルドヴィカの手のひらから逃れた。
「おやすみなさい」
ルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公は唇をとがらしてこくりと頷いた。ネズミはささっと壁を伝い、格子つきの窓から外へと出ていった。
「あんなに拒絶反応示さなくてもいいじゃないの」
ベッドの中に再び横になったルドヴィカはぷくっと頬を膨らませた。
しばらくしてふふっと笑った。
今頃狼狽したジャンルイジ大公の顔が目に浮かんでしまったのだ。
いい加減若い子をからかうのはよくないな。
明日の尋問も気にかかるが、一瞬のこのひとときは少しばかりルドヴィカの気分を軽くしていった。
ルドヴィカは知らなかった。
同時期のジャンルイジ大公がベッドの中で顔を赤くしてうずくまっていることに。




