32 尋問の日々
ルドヴィカは改めて自分のいる場所を確認した。
公女暗殺未遂の罪により地下牢へ投獄されたときはどうしようかと考えた。
池の畔で、自分の無実を訴え続け、身柄拘束を拒否するのも可能であった。
助けてくれたオルランド卿は、あの状況でルドヴィカを庇う仕草もみられたしジャンルイジ大公の指示が出るまでは守ってくれそうだった。
だが、あの場にいたほとんどがルドヴィカを疑っている中、時間を稼いでも何にもならず大人しく投降した。
自室での謹慎と思いきや、地下牢で慌てた。池の水で濡れた体は冷え込み、オルランド卿が持ってきてくれた毛布だけで一晩凌ぐのは辛いと思った。
数時間後にジャンルイジ大公の命令で塔の幽閉に変更となり、ルルを世話人としてつけてくれたため助かった。
塔へ移動したとき、ルルが既に湯を準備してくれたため助かった。
あの地下牢のままだと体調を崩していたかもしれない。
「やはり私も一緒に行くべきでした」
幽閉後数日経過して何度も聞くルルの後悔であった。
ルドヴィカは反応に困った。
ビアンカ公女は二人で話をしたいと言っていた。何度も念を押されて。
折角の公女からの申し出で、今までのことも考えて了承した。
少しでもビアンカ公女の警戒を解くことを優先するあまり失念していた。
大公城内に皇帝家の間者がいる。
以前、ルフィーノから聞いた話を思い出した。
公女溺水後、ルドヴィカの罪状(濡れ衣)を摘発されたのは彼らの仕業か。
まさか、直接公女に危害を加えるとは予想しなかった。
「大公妃様、どうか心を強く持ってください。殿下がきっと何とかしてくださいます」
就寝の準備を終えたルドヴィカの手をルルが握り励ましてくれた。
これからどうなるかと不安はあるものの、自分には味方がいるとわかりルドヴィカは安心した。
前世の自分であれば、このように心配してくれる者も、世話を焼く者もいなかっただろう。
翌朝、朝食をとってしばらくした後に尋問が始まった。
この捜査の責任者であるヴァリー卿はひとつひとつ質問し、ルドヴィカの解答から矛盾点を引き出そうとしていた。
数週間前にビアンカ公女へ贈ったクッキーなどのお菓子に毒が検出されたと聞き動揺をあらわにしてしまった。お菓子にそんな細工をした覚えがないというのに、暗殺未遂の証拠として差し出されるとは思わなかった。
ルドヴィカの目の前に色あせたクッキーが置かれた。
「あなたは公女殿下に毒を盛っていたが、効果は薄いと判断し中断し今回の凶行に至りました。そうですよね」
「違います」
決めつけられた内容にルドヴィカははっきりと否定した。
お菓子を贈るのを中断したのはジャンルイジ大公の散歩失敗の件があったからだ。自分を容易に信用できないビアンカ公女の傷が思いのほか根深いと知り、ジャンルイジ大公の回復を優先し、彼との交流の場を設ける方法を思案しようと考えたからだ。
そこでビアンカ公女からの申し出に驚きはしたものの、彼女の前進を喜ぶべきだと考え受け入れた。
そう説明したいものの、ジャンルイジ大公の今までの経過を目の前の騎士は知らないだろう。
大公のプライバシーを守りつつの弁明をルドヴィカは模索した。
「とにかく、私は毒を盛った覚えはありません」
「この菓子はあなたがビアンカ公女に贈ったものでしょう」
「そのようですわね」
色あせているが、あの時の造形を思い出すお菓子であった。
「何故毒が検出されたのです!」
どんとヴァリー卿は机を叩いた。
「それを調べるのがあなたの仕事でしょう」
「あなたが毒を盛った以外に考えられない」
ヴァリー卿の発言を聞きながらルドヴィカは周囲の尋問のメンバーを確認した。
書記の者、補佐をする騎士2名、と彼らもヴァリー卿同様にルドヴィカを疑いのまなざしでみていた。
唯一異なるのは端の方で尋問の様子を観察しているオルランド卿くらいである。味方というのは微妙なところであるが、尋問が非人道なものにならないかを監視しているといったところだろう。
確か、ヴァリー卿はビアンカ公女擁立派の家門の出だったわね。
ルドヴィカは目の前の騎士の経歴を思い出した。
ルドヴィカが余程邪魔のようである。ジャンルイジ大公の子を産めば、ビアンカ公女の立場を追い詰めることができるから。
ここでルドヴィカを失墜させればビアンカ公女の脅威は取り除ける。
この証拠の真贋がどうあれ、彼にとってどうでもいいのだ。
「毒の種類は何でしょうか?」
「あなたはただ私の質問に応えればいいのです」
らちがあかないとルドヴィカはクッキーに触れた。素手で掴むのは憚れたのだが、手ぬぐいすら持参させてもらえていないので仕方ない。幽閉の部屋に戻ったら手を洗えばいい。まだルルが持ってきてくれた冷めた湯が残っていたはずだ。
クッキーを顔に近づけた瞬間、手首を強く握られた。
ヴァリー卿はじめ反ルドヴィカ派の者たちではない。
入口付近で控えていたオルランド卿の手であった。彼は険しい表情でルドヴィカを見つめた。
「あなたたちは何をぼうっとしているのだ。こんな毒物の混じったものを大公妃の前に置くのであれば用心すべきだろう!」
オルランド卿はヴァリー卿はじめ尋問者たちを責めた。
「毒が何か調べたくて……別に口にしようとしていたわけではありません」
ルドヴィカは宥めるようにオルランド卿に声をかけた。ちょっと手首が痛い。
ただ匂いを嗅いでみただけであるが、それでもオルランド卿の怒りは解かれなかった。
オルランド卿はルドヴィカの手から毒入りクッキーを取りはらい、ハンカチで手を拭きとった。
「後で、メイドに湯をもっていかせましょう」
そういってくれるのは助かるが、いい加減手首をつかむ力を緩めてくれないだろうか。
ルドヴィカはそう言いたいが、とてもそう言える状態とは思えなかった。
「毒の種類を大公妃に言うくらいどうということはないでしょう」
無味無臭に、暗殺に適した薬物と聞けば候補はいくつかあげられる。
それでも答えを引き出してくれるのであればありがたかった。
「砒素ですよ。大公妃はご存じでしょうけど」
教えるべくもないだろうとヴァリー卿は仕方ないと毒の種類を教えてくれた。いちいちルドヴィカが犯人であるという前提で返す言葉は面白くない。
砒素といえば、こういう世界によく利用されがちな定番毒薬だ。
大量摂取すれば発熱や消化器症状、循環に影響を与え死に至ることがあるが、少量ずつであってもすぐに死なないとしても危険である。
無味無臭で、朱美の時代でもごくたまに事件として話題に取り上げられた。
「もうひとつ質問したいのですが」
「大公妃にそのような権限はありません」
「質問を聞くくらいは良いでしょう」
ヴァリー卿はじろっとオルランド卿を睨んだ。
「責任者は私だ。介入してくれるな」
「私は殿下より監視の任を受けている。今の大公妃への配慮不足、無礼な発言を報告しても良いのであれば構わないが」
配慮不足はルドヴィカの手の届く範囲に毒物を置いたこと、無礼な発言は自身が求める以外の発言を認めようとしなかったこと。
ルドヴィカはまだ罪人ではなく、容疑の段階である。そしてジャンルイジ大公の妃である。
ヴァリー卿はっちと舌打ちをしてどうぞと促した。
「どうしてこのクッキーが毒物だと判明したのです? 公女様は口にされていなかったでしょう」
ルドヴィカは胸のどこかでざわついた。
そのまま捨てられることもなく、公女の次に渡った先に不安を抱いた。
「公女様が下げられた後、メイドが仲間に分けたそうです。体調を崩した者が現れ、それで露見しました」
「メイド仲間は誰です?」
「それをあなたに言う必要はありません」
ヴァリー卿はちらりとオルランド卿へ視線を向けた。これ以上は大公妃に情報を与える必要はあるのかと抗議しているようにみえた。
「では、その者は無事かどうかだけ教えてください」
「尋問は終わりました。部屋へお戻りください」
丁度時間を知らせる合図で、ヴァリー卿は立ち上がって尋問部屋から出ていった。
ルドヴィカは騎士に見張られる中、部屋へと戻される。




