40 運命の番《つがい》
泰雅の部屋に入ってから、母さんに連絡を入れた。
バイト帰りに実家に帰省すると伝えてあるから、そろそろかなと待っていたと思う。でも泰雅のところにいると伝えたら、『それなら安心ね』と返事が返ってきた。
いつもなら、そんなやりとりひとつ取ってもニヤニヤしてしまうのに、今はそんな空気ではない。
初めは、泰雅は疲れているから、いつもと態度が違うかと思っていた。けど、さっき車の中で大地くんがアルファだと言われて、やっと気づいた。
泰雅は、怒っているんだ――。
俺が母さんに連絡し終わってからも、しばらく沈黙は流れたままだ。
泰雅は窓の外を眺めたまま、こっちを見ようともしない。
俺の考えが甘かったんだ。泰雅も……柊さえも、何度も本当にベータなのか聞いてきたのに、俺は大丈夫だと思い込んで疑いもしなかった。
「泰雅……」
窓辺に立ったままの泰雅にゆっくりと近づき、そっと声をかけた。
このまま黙っていても、何も話は進まない。ちゃんと話し合わないと。
「ごめん、俺……」
「謝るな」
え……。
ずっと窓の外を見ていた泰雅は絞り出すように言うと、急に振り返り俺を抱きしめた。
「圭太は何も悪くない」
「え、でも俺、ちゃんと確認しなかったのに思い込みで……」
「圭太は確認できる状況じゃなかった」
泰雅はそのまま俺の体をそっと離すと、ベッドの縁に座り、隣に来るように言った。俺は少し緊張しながら、泰雅の肩がかすかに触れる位置に座った。
泰雅は静かに息を吐き出し、まるで自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「採用時の条件を考えると、圭太が他のスタッフの第二の性を確認することは出来ない」
「個人情報だから、詮索しちゃいけないと思ってたけど……」
俺は大学を通して、オメガ枠でバイトに採用された。大学側の条件の中に、第二の性の取り扱いについての注意事項もあったんだ。
「圭太は俺と番になったから、他のアルファのフェロモンは感じられない。それに、おそらくあいつも抑制剤を服用しているのだろう」
「アルファなのに、抑制剤?」
「接客業のマナーで、アルファもオメガも抑制剤の服用を推奨している店は多い。そんな状態で、圭太があいつをアルファだと気づくのは無理だ」
淡々と、けれど俺を庇うように並べられる言葉を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
ベータの頃の感覚のまま何度かやらかした俺は、またやっちまったのかと思ったんだ。
けど、泰雅に心配をかけたことは、事実だ。
「そっか。じゃあ、俺が気づけなかったのは仕方がなかったんだ。……けど、俺の軽率な行動で、泰雅を不安にさせちゃって、ごめんな」
「圭太が楽しそうにバイトの話をするのは、俺も嬉しかった。けど、そばにアルファがいるかもしれないと考えたら、すぐにでも帰国したかった」
「そうだよな……。俺、もっと泰雅の気持ちを考えればよかった。本当にごめんな」
俺は、ずっと泰雅の顔を見れずに話を続けていたけど、静かに顔をあげ泰雅をじっと見つめた。
泰雅がいつもと違った理由がわかって安心したけど、どうしても気になることがあった。
泰雅は、俺が気づけない環境だと最初から分かっていたはずだ。それなら――。
「でもさ、なんで泰雅はあんなに『本当にそいつはベータなのか』って、しつこく聞いてきたんだ? アルファかもしれないと思っても、様子を見てくれていたんだろう? それなら、なんで何度も確認するようなことを言ってきたんだ?」
俺の問いかけに、泰雅がぴくりと肩を揺らした。
泰雅は一度目を伏せ、そして絞り出すように言った。
「……もしアルファなら、運命の番の可能性もある」
「え? 運命の番?」
泰雅は拳を握りしめ、溢れそうな何かを堪えるように、掠れた声で呟いた。
「もし、圭太に運命の番が現れたらって思うと、俺は……」
そこまで言って、泰雅は言葉を詰まらせた。
そうか、泰雅はずっと『運命の番』への不安を感じていたんだ。感情だけではどうにもならない、遺伝子レベルの繋がりへの不安。
確かに俺だって、考えたことはある。もし泰雅の『運命の番』が目の前に現れたらって。
けど――。
「じゃあさ、泰雅は俺に運命の番が現れたらどうすんの? 諦めるの?」
俺は、黙ったまま俯いてしまった泰雅に向かって、ちょっと意地悪な言い方をしてしまった。
「諦めるわけない!」
泰雅は一瞬にして顔をあげ、間髪入れずに声を強めた。
「じゃあ大丈夫じゃん。俺だって、そんな見ず知らずのやつに、遺伝子だけで惹かれ合うなんて、やなこった。俺は泰雅がいいんだ。泰雅しかいらない」
「俺だって、圭太しかいらない」
さっきまで俯いたままで、力なく声を震わせていた泰雅は、俺の目をしっかり見て力強く言った。
「問題なしだな! それにさ、後天性の中途半端なオメガに、運命の番なんていないと俺は思っている。だから平気だ」
そもそも、運命の番だって都市伝説だと思っている。出会った瞬間にビビッとくるだなんて、そんな漫画やアニメみたいな話があるか。
俺は信じない。信じられるのは、泰雅と一緒に過ごしてきた時間だけだ。
「もし仮に、泰雅の前に運命の番だと名乗るやつが現れたら、俺が追い返してやるよ。泰雅は俺のもんだって」
「圭太……」
「だからこの話はもうおしまい! あー、腹減ったなー」
俺は重くなってしまった空気を吹き飛ばすように、パンパンと手を叩いた。
運命の番のことは、もう悩むことはない。俺たちの気持ちはずっと変わらないんだから。
けど、大地くんのことは、マスターにも相談してちゃんと話をしなきゃって思った。
「今度バイトに行ったら、マスターに相談してみるよ。泰雅は心配だろうけど、俺、まだバイト続けたいんだ」
「俺は、圭太がバイトの継続を望むのなら、やめろとは言えない」
「ごめんな、ありがとう。泰雅は、俺のことを一番に考えてくれるもんな」
俺は、にっと笑って泰雅に抱きついた。
ああ、久しぶりの泰雅の匂いだ。やっぱりこの匂いだよ、俺が安心するのは。
一ヶ月半離れていた分を取り戻すかのように、俺はここぞとばかりに泰雅の匂いを吸い込みまくった。
しばらく吸い込んだ後、あ! っと俺は思い出した。
「そうだ。土曜日って言ってたのに、なんでもう帰ってきてるんだ?」
「圭太に一日でも早く会いたかったから」
「そっか……。バイト先で泰雅のフェロモン感じた時、すげーびっくりしたよ。でも、明日だと思ってたから、めちゃくちゃ嬉しいサプライズだ!」
帰国前はマジで忙しそうだったし、もしかしたら帰国を早めるために無理をしていたのかもしれない。
だから本当は、今日はゆっくり休めって言いたいけど、俺はわがままを言いたくなってしまった。
「なぁ、泰雅。……今日、泊まっていっていいか?」
懇願するように見上げて言うと、泰雅はふっと笑って俺の唇を奪った。
「もちろんだ。圭太のご家族には悪いけど、今日は帰すつもりはない」
「サンキュ」
俺は、再び泰雅に抱きつき、胸元に顔を埋めた。




