第1話 天使が空から降ってくる ⑥
ボードの上に立ち、ブリクサに肩を支えられながらベルトで身体を固定したスミレは、振り向いて言う。
「あのね、スミレね、すごくこわかったけど、ぜったいに助けに来てくれるってしんじてたよ」
あまりの恐怖から解放された反動で、なにかしら喋っていたいのだろうが、ブリクサには子どもを安心させられるような語彙が備わっていない。ましてや子どもに好かれる笑顔を作ることも出来なかった。
「……そうか、よかったな」
視線をスミレの高さにおとし、ぶっきらぼうに応えるブリクサだが、それでもスミレは「うふふっ」と嬉しそうだ。あとはこの経験がトラウマにならないよう、本部からコロニーにメンタルケアラーを派遣するよう、上官に要請するだけだ。
コロニーの本棟をぐるりと回るようなかたちで飛んできたが、最後のカーブを過ぎるとき、ブリクサの目は外壁にへばりつく十体ほどのエンジェルをとらえた。
「俺につかまれ」
上体を屈ませてスミレの身体に巻き付けたベルトを緩めると、ブリクサは小さな身体を右腕でしっかりと抱いた。そして正面を見据えると、エンジェルたちは外壁から飛び立って、ホバリングしながらブリクサに襲いかかろうとしていた。それらの顔に順番に視線を固定すると、ブリクサは腕の中のスミレのまぶたに手のひらをあて、ゆっくりとそれを閉じた。
「怖いからな。見なくていい」
およそ十体のエンジェルに囲まれたブリクサは、すぐ近くで待機している仲間に応援を求めるべきだが、面倒がってそれをしない。ブリクサ一人なら、十体のエンジェルを処理するなどなんでもないことだが、今回はスミレがいる。早くラウラに連絡し、スミレの安全だけでも確実なものにしなければならない。そのとき、エルから通信が入った。
『ブリクサ、ドローンがエンジェルの姿をとらえていますが、二、三人で応援に行った方がいいのでは?』
『ああ、悪い。いまラウラに連絡したところだが、とにかく子どもの安全が最優先だからな』
『では、チーム全員で向かいます。コロニーにはギデオン班に残ってもらってますから』
エルは含み笑いをしているような口調だった。またブリクサが子どもっぽくて、とラウラがこぼしていたのかもしれない。
エンジェルたちは、じりじりと距離を詰めながら空中を進んでくる。メンバーが到着するまでには一分とかからないだろう。ブリクサはスミレの身体への衝撃を極力軽減させるため、火炎放射器を使った。これなら撃った反動でブリクサの身体が跳ねることもない。その一撃で、三体のエンジェルが焼け落ちていった。
その向こうから、頼もしいメンバーの姿が見えてくる。ブリクサは口許が緩むのを隠し切れず、思わず声を洩らして笑った。
残りの七体が一斉に飛びかかろうと翅を大きく振るわせたとき、イザークが『ブリッツゼーレ』を放った。静謐で精倒な光は、安息ともいえる死を三体に与え、その隙にシアラがブリクサの腕からスミレを受け取った。
突然あらわれたメンバーに慌てた残り四体のエンジェルは、ばあっと四方に散ると、四方向からブリクサめがけて突進してきた。
「クソッ、めんどくせえ蛾だな」
小さく毒づくが、スミレの安全を見送ったブリクサの顔は晴れ晴れとしていた。これでもう、一切の拘束から解き放たれたのだ。何十、何百体のエンジェルが来ようとも、皆殺しにしてやると、火炎放射器をボードに置き、両手にデビルスウォードを構える。エンジェルが一斉に襲いかかる。ブリクサは笑っていた。たった四体のエンジェルを、さも物足りないと言いたげに切り刻み、舞い散る翅のかけらに向けて火炎放射器を向ける。
『ブリクサ! 無駄撃ちはやめて! 総指揮官に小言を言われるのは私なのよ!』
常日頃から、「ブリクサ隊長は殺しすぎだ」とゲンシュウに嫌味を言われていた。「彼は何故、死んだエンジェルに対してまでしつこく攻撃するんだね? 弾や燃料、装備だってタダじゃないんだ」と。ラウラはつい先日も呼び出されたことを思い出し、ブリクサに怒りを向けた。
『ドローンの映像は本部にも送信されているし、すべて保存されてる。もうやめてちょうだい』
姉のようなラウラの物言いに呆れた顔をするが、ブリクサはゆっくりと武器をもとの位置に戻すと、ボードを発進させながらみなに声をかけた。
『戻るぞ』
その背中を見て、ラウラとエルは顔を見合わせる。イザークとカルマも苦笑いだ。
『ほんとに子どもっぽいわよね? ねえエル、私間違っていないわよね』
訊かれたエルは返答に困り、イザークの顔を見た。イザークは肩をすくめ、カルマも両手のひらを上に向ける。
『私だってあいつらを滅茶苦茶に切り刻んで苦しめて焼き殺してやりたいのよ。でも、それはB.A.T.の仕事とは言えないわ。ブリクサには隊長の自覚が足りてない』
頬に手を添えて溜め息交じりにこぼすラウラを、三人はやさしい目で見守っていた。
ブリクサが本棟の近くまで来ると、強化ガラスの内側ではシアラが送り届けたスミレを抱きしめ、母親らしき女が号泣していた。スミレを囲んだ少女たちも一緒に泣いている。その光景を眺め、ブリクサはやっとB.A.T.の任務も一段落だとひと息ついた。ボードのスピードを落とし、玄関前に着地しようとしたとき、どこから現れたのか、手負いと思われるエンジェルが二体いることに気づく。それは憎悪をむき出しにしたように翅を立て、伸びっぱなしの口吻からはドロドロした粘液をボタボタと滴らせていた。
「汚ねえな」
ブリクサは顔をしかめ、建物内の民間人たちに目を遣る。シアラがこちらを見ていたので、子どもたちを奥へやるよう目で指示した。
「ブリクサ、あとは俺たちがやります。中へ入ってください!」
追いついてきたエルが叫ぶ。ラウラも専用武器『パニッシュ』を取り上げて構えた。
「そうもしてられねえ。こいつらが待っててくれると思うか?」
ブリクサが左手を突き出す。ギミックのその腕は瞬く間に形を変え、二体のエンジェルに照準を合わせた。その銃口が発したのは、毒々しいまでに赤く、凶々しいまでの怒りと憎悪を可視化したような弾だった。その赤黒い弾は至近距離にいるエンジェルの翅を打ち抜くと、空中で向きを変えて戻ってくる。高速で何度も往復する弾は、エンジェルの翅にも胴部にも無数の穴を開け、奴らが紙屑のように倒れるまで止まらなかった。元の形などまったくわからないまでに崩れたエンジェルの身体は、自らの内からあふれ出た体液にまみれながら、爆発に巻き込まれたようにところどころ焦げていた。
三重の扉を開けてブリクサが建物内へ入ると、憔悴した幼いきょうだいたちを守るようにエイジが座っていた。気配に気づいたエイジが顔を上げ、ブリクサを真っ直ぐに見据える。犠牲者の家族か、とすぐにピンときたが、ブリクサはエイジにかける言葉が見つからない。エイジが立ち上がる。そしてブリクサの前まで来ると、ギラギラと燃えるような瞳で言い放った。
「俺は、あなたの隊に入ります」
それを聞いたブリクサも、真っ直ぐに視線を返した。ギラギラとやる気をみなぎらせるエイジの靱いまなざしがブリクサを射るようにとらえ、それを真正面から受け止めたブリクサもまた、そんなエイジの顔を冷たい炎のような眼で見つめた。互いの瞳に相手が映る。
「そうか、せいぜい頑張るんだな」
ブリクサの部下として働きたいと言う少年に対し、それは冷ややかな物言いだったが、唇の端を微かに上げたブリクサの横顔を見ていたシアラは、ブリクサもまんざらではないのだと感じて胸を高鳴らせた。
B.A.T.ジャパン本部に戻ったブリクサ班は、総指揮官であるゲンシュウの部屋へと招集された。
「突発的な戦闘にもかかわらず、犠牲者は一人という結果は評価すべきだが、本来ならば犠牲者は常にゼロでなければならない。これは我々軍部や政府、あるいは富裕層といった者がシェルターより安全だと考えられるここで暮らす以上、市民の持つ不公平感や不安、そして恐怖といった感情をできうる限り取り除きたいという、ボスの気持ちだ。これを常に念頭において任務に当たってくれ。しかし、子どもが全員無事だったことはよかった。これ以上、人類の数を減少させることは絶対に避けなければならない。我々はすでに『絶滅危惧種』なのだから」
『絶滅危惧種』と言ったときのゲンシュウは、口角をわずかに上げた。が、次の瞬間には何もなかったように表情を固め、「しかしな……」と続けた。
「総指揮官」
ゲンシュウの言葉を遮り、ラウラが発言の意思を表す。
「なんだね、ラウラ」
ゲンシュウが顔をしかめた。ラウラの真剣な顔を見つめると、やれやれ、と小さな溜め息をついて発言をうながす。
「今回は検体用のエンジェルを捕獲できませんでしたが、前回の出動から、なにか判明したことはありませんか? 化学班の研究報告によると、採取した鱗粉から猛毒を含む物質が見つかったそうですが、その成分によっては、デビルスーツの材質等を再考する必要もあると思うのですが」
ラウラの言う通り、これまでに採取したエンジェルの体組織から、有害物質がいくつか発見されている。それは人間を攻撃する際に発動されるのか、そうだとしたら防御策を講じる必要があるのではないか。だが、B.A.T.にも予算というものがあり、それはゲンシュウを悩ませる問題のひとつだった。
「今回のことは、現在各国から情報を集めている。シェルター内にエンジェルが現れたという前例がないだけに、みな衝撃を受けている。最強のステルス性を誇るアウターウェブで囲まれたシェルターは、本来エンジェルたちに見つからないはずなのだ。いや、それは知っての通りだが、それを見ることが出来、なお且つ侵入することも可能な新種の敵が発生したとなると、これは厄介だ。市民の安全をどうやって守ってゆくか、また世界会議を開かねばならんし、新たな装備を開発する必要もある」
自分が言ったことへの返答はこれか、とラウラは不満げな顔をした。
「アウターウエブ自体を防御と攻撃の双方の役割を併せ持つ素材で作り変える必要も出てくるだろう。その費用を考えると頭が痛いが、その辺りはまた財団に頼るしかないな」
ゲンシュウは本当に頭が痛いとのかと思わせるように顔をゆがめ、小さく首を振った。そんな中、デビルスーツが新しくなるなら、スカッツみたいにひらひらを付けてもらおうと、新調されたキュートなデビルスーツで戦う自分を想像し、シアラはふふっと一人で笑った。
コロニーの庭にエンジェルが大量に来襲した「あの日」、早速エイジはB.A.T.ジャパンに連絡を取り、入隊志望だと告げた。養父が目の前でエンジェルに惨殺され、心は張り裂けそうだったが、なぜかそれ以上に高揚している自分をみとめていた。あのブリクサのように、文字通り悪魔のようにエンジェルを殺し、殄戮し、滅亡させ、何十年かかろうと元の世界に戻すのだと、デビルスーツを着た自身の姿をも想像していた。
だが、訓練校に入れば一年間はきょうだいと離れることになる。訓練校は宿舎で生活することも入学条件の一つなのだ。小さなきょうだいをコロニーに残していくのは心配が尽きないが、この子たちを守るためにも、養父の仇を取るためにも、自分が絶対にやらなければならないと、使命感にも燃えていた。エイジの気持ちは揺るがなかった。
「じゃあ、行ってくるよ。一年経ったら必ず迎えに来て、そのあとはみんなで一緒に暮らせるから、大人の人たちの言うことを聞いて、待っててね」
弟妹の頭を一人ずつ撫で、エイジはコロニーの扉を押し開ける。訓練校のバスがピックアップしてくれるはずだ。バスの中には同年代の入隊希望者が多くいるだろう。彼らと共に一年間、どうやって自分を鍛えてゆこうかと、エイジは大きな荷物を肩に担いで不敵に笑っていた。




