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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第一章 シェルターの天使たち
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第1話 天使が空から降ってくる ③

 庭の上空を旋回していたエンジェルたちは、得意の空中戦を諦めて地上の人間を襲うことに目的を変えた。まだラウラのシールドで守られていないエイジとその養父は、いつの間にか見失ってしまったスミレを探し、大声でその名前を呼ぶ。だが次々と着地するエンジェルがこちらに向かってくるのに気づき、エイジは火炎放射器の燃料カートリッジを急いで交換した。


「あなたたちも建物の壁沿いに寄ってください! そこは危険です」


 ラウラがボードで接近しながら叫んだ。それに気づいたエイジは、強い怒りを表した。


「やっと来たか! 遅えんだよ。おっさんが一人死んじまったじゃねえか!」


 ラウラの指示には応えず、エイジは養父の腕を取ったまま上空のエンジェルを睨みつけている。


「死者は一名も出ていません。重症の男性は、すぐにB.A.T.が治療に当たります。さあ、早く避難してください」


 熱傷を負った男が生きているとラウラから聞き、エイジと養父は少し安心した。だが、本来の目的はスミレを助けることだ。


「俺たちも避難するけど、小さな女の子が庭に取り残されてたんだ。みんなはその子を助けるために外に出たんだよ。でも、その子がいつの間にかいなくなって……。この辺にいたはずなのに。まさかエンジェルの奴らにさらわれたりしてないよな? あいつらを殺すより先に、その子を探してくれ。スミレっていうんだ。たぶん、五歳くらいの」

「わかりました。全員に伝えます」


 エイジに短く返事をすると、マイクに向かって話しながらもラウラは二人のためのシェルターを準備していた。


『全員聞いて。五歳のスミレという女の子が庭から行方不明になりました。エンジェルにさらわれた可能性も含め、大至急探してちょうだい。女の子を抱いて飛んでいるエンジェルがいるかもしれない。火炎弾その他の武器での攻撃の際は、対象が女の子を連れていないかよく確認すること。最優先すべきは、彼女の命よ』


 隊員の耳に、緊張気味のラウラの声が届く。ラウラには、シアラの息を呑むような気配が伝わり、エルは低く唸った。レイは「はい」と短く答え、イザークは「ちくしょう!」と怒る。カルマは口笛を吹き、ブリクサは……「了解」と舌打ちをしてから言った。


『隊長、怒ってますね』


 シアラが、ラウラにだけ聞こえるようにマイクを切り替えて言う。


『そうね。ブリクサは子どもが犠牲になるのをたくさん見てきたから、余計に許せないのだと思う』


 ラウラが応えると、「わたしも許せないです」とシアラは辛そうに言った。


『スミレちゃんを全力で助け出しましょう!』


 シアラは全員に向けて言うと、周囲のエンジェルの全身を注意深く見る。人間の子どもひとりを、身体のどこかに隠すなんて出来ないはずだ。さらったとすれば、あの赤い腕に抱いて飛ぶしかない。あいつらの胸をよく見なくては。


 敵の一体一体を確認してから攻撃するのは、効率が悪いことだと初めて知った。何十体もまとめて焼き払ったり爆破したりが出来ないのだ。これは参ったと、全員が感じた。発見するのが遅くなれば、それだけスミレの生存確率は低くなる。早く見つけ、早く救出しなければ戦いも不利になるのだ。


『おい、みんな聴いてるか? 子どもを抱いたエンジェルを発見した。建物の裏手だ。今から奪還しに行く』


 焦りと不安が頭をもたげそうになったとき、隊員の耳にブリクサの不機嫌そうな声が届いた。


『隊長、他の敵は何体ほどいますか? 応援は?』


 エルはスミレが発見されたことに安堵しつつも、ブリクサを案じて問う。


『十体程度だろうな……。応援なんかいるかよ。俺一人で充分だ』


 隊長はきっと、唇の端をあげて微笑っているはずだと、皆が想像した。そんな時のブリクサは、最強の上をゆく最強なのだ。


『ブリクサ、ではスミレちゃんのことは任せるわ。私たちは他の奴らを処理します』


 ラウラが言うと、スミレが捕らわれていると想定した、不自由な戦い方をしなくて済むと解った全員は、弾丸のようにボードで散っていった。


「あなたたちは、こちらへ!」 


 エイジとその養父をシェルターに入れるため、ラウラは建物の外壁に寄るように指示する。熱傷を負った男のシェルターにはレイが入っていった。


「B.A.T.です。この場で応急処置をします。一番辛いところはどこですか」


 きびきびと機械的に話すレイだが、男は医療従事者に対する絶対的な安心感のようなものを持つ。遠のきそうな意識の中、途切れ途切れながらも応えるが、顔を酷く焼かれているため、溶けて癒着した皮膚で口がうまく開かなかった。


「うぅ……、さっき、内臓を口から引き出されて、すごく苦しいです。胸が……吐き気もします」

「顔は痛みますか?」


 レイの問いに、男は手を伸ばして自分の顔に触れる。


「……あぁ、いえ、火炎放射器で焼かれたはずなんですが、特に痛みはありません。私の顔はどうなってるんですか」

「Ⅲ度の熱傷です。皮下組織にまで損傷が及んでいるので、痛みを感じなくなっています。膏薬を塗りますので動かないでください」


 男の顔は、普通の人間ならとても直視できるものではない状態だ。顔面に壊滅的な熱傷を負ったにもかかわらず、レイが腰の装備から取り出した膏薬を塗ると、次第に苦しそうな呻き声を発しなくなっていった。それどころか、溶け落ちて黒く変色した皮膚が垢のように剥がれ、その下には薄いピンク色のバージンスキンが生成されている。


「胸を楽にする薬を飲んでいただきます。OD錠なので水なしで飲めます。どうぞ」


 手のひらに乳白色の錠剤を載せられ、男はそれを口に入れた。唾液で溶かし、ゆっくりと飲み下す。何度か深呼吸すると、胸の痛みと悪心がすっとラクになっていった。


「あぁ、すごくスッキリしました! ありがとう! ありがとう! あなたは命の恩人です!」


 大袈裟に感謝し、レイの手を取ろうと延ばした男の手をサッとかわし、レイはシールドを一部解除する。


「では」


 そのままボードに乗って、レイは飛び去る。男は唖然としながらもすぐ横のシールドに収まっている仲間たちに笑顔を向けた。



「さあ、急いでください!」


 ラウラはエイジたちを急かすが、脚を引きずって歩く養父は、エイジの肩を借りていても歩みが遅い。彼らが今いる場所にシールドを張った方がいいのか、ラウラは迷った。

 その時、上空から急降下してくる数体が目に入り、ラウラはその敵に火炎放射器を向けるが、巧みにかわされて焼くことができない。さらに数体に囲まれ、ラウラはまずその敵を処理するべきだと判断する。


「身体を低くしていてください」


 エイジたちに言うと、ラウラはボードに乗ってエンジェルへの攻撃を始めた。高速で飛びながら火炎放射器を撃つ。だが二十体ほどに増えた敵に囲まれ、ラウラの動きは鈍くなった。

 エイジは養父を屈ませようと身体を支えるが、彼は上空に視線を移すと、ラウラから逃げ回るエンジェルに向けて両手を広げ、必死に何かを叫びだす。


「聞け! 我が兵士たちよ!」


 それは、エイジの知る彼のものではなく、初めて聞くような力強い声だった。


「聞け! 我が兵士たちよ! 君たちの活躍でこのエリアは守られた。見るのだ、この庭を。花々が咲き乱れ、木々は大いに芽吹いている。これが本来の地球だ! 同志たちよ、ここは守られた!」


 エイジはそんな養父の姿に混乱しながらも、地面に伏せなくちゃ、と彼を促す。だが養父は、上空のエンジェルに向けて微笑み、奴らを歓迎するように両手を広げている。


 いまのは何だよ? もしかして父さんは頭がおかしくなったのか?

 養父は、エンジェルを「同志」と呼んだ。それはどういうことだ? エイジの頭の中は真っ白になるが、今はそんなことを考えている余裕はない。いつ奴らが襲ってくるかわからないのだ。この記憶喪失の養父は、過去に一体なにを見たというのだろう。今は雑念にしかならない思考を振り切るように、エイジはいっそう強く、養父の腕を引いた。


「早く、父さん! いいから伏せて!」


 エイジが養父の肩を抱き、身体を低くさせようとした瞬間、背後から飛んできた一体の大きなエンジェルによって、養父の身体は無残にも横一文字に切り裂かれた。あの白く大きな翅の縁は、文字通り白刃のように切れ味が鋭いのだと、エイジは間近で知る。


「父さん! 父さん! あのクソ野郎、殺してやる!」


 養父は裂けた腹を手のひらで押さえるが、腹壁が破れ、中から押し寄せ溢れてくる内臓と血液は、緑の草の上に凄惨にぶちまけられた。


「うわあっ! 父さん、動いちゃダメだ。こんなに血が……。クソッ、止まらない。押さえてもムダか。誰か、誰か……B.A.T.! デビル! 助けてくれ! エンジェルに襲われた! 酷い怪我なんだよ。早く来てくれ!」


 エイジは父親の腹を押さえ、さきほどの男のように傷を修復してもらおうと、声を嗄らしてB.A.T.の誰かを呼ぶ。養父はしかし、ごぼっと喉の奥から溢れでる血でむせながらも、穏やかな表情でエイジを見上げ、その頬に血まみれの手を添えて言う。


「エイジ、聞いてくれ。世界をこんな状況にしたのは私なんだ。今はまだ、私が何を言っているのかわからないだろう。でもな、私が元凶なんだ。頼む、エイジ、私を……、どうか私を止めてくれ」

「父さん? なに言ってんだよ、全然意味がわからないよ。なんで父さんが悪いってことになるんだ? ああ、でも今はいい。喋らないでじっとしてて。頼むから。B.A.T.に治してもらうんだ。大丈夫だから」


 養父の顔は、みるみる血の気を失くしていった。そして、彼の腹を切り裂いたエンジェルが空中で旋回して戻ると、ふたたび翅を大きく振るい、その首をバッサリと切り落とした。エイジの足元に、父の首がごろりと転がる。エイジの目と、その首の目が合った。その瞳が何を語りかけていようとも、エイジには受容することも理解することも出来なかっただろう。


「わあーっ! 父さん! 父さん!」


 半狂乱になってエイジは叫ぶ。エンジェルへの怒りと憎悪は最大限に増幅され、身体からは炎が立ちのぼっているようだ。エンジェルが攻撃の体勢を取る。エイジは火炎放射器を構えてじりじりとそれに対峙する。


「この野郎、殺してやる。ぶっ殺してやる。俺の家族を二度も奪いやがって。お前ら全員ぶっ殺してやる!」


 養父を殺したエンジェルは、翅を大きく広げながら口吻を伸ばしてエイジに襲いかかる。咄嗟に避けるが、広げた翅はアッパーシーツのようにその身体を包み込み、エイジは翅の中で身動きが取れない。


「くっそ、放せよ、おい!」


 いつしか口も圧迫され、エイジは声を出すことすらできなくなった。

 なんて力なんだ。蛾の翅のくせに、大蛇に絞められているみたいだ。くそっ、トリガーにかけたままの指だけでも動かせれば、内側からこいつを焼き殺すことができるのに!

 長く伸びたエンジェルの口吻は、執拗にエイジの口元を探して蠢いている。その不気味さに吐き気をもよおしながらも、この拘束から逃れようと、こいつを焼き殺してやりたいと、エイジは焦った。そして必死に何かを訴えようとした養父の顔を思い出し、一瞬弱気になる。ここで自分の命も潰えてしまうのか。こいつらに復讐することも出来ずに自分も死ぬのか、と。


 そのとき、エイジを包んでいたエンジェルの翅が切り裂かれ、大量の鱗粉が舞った。それは陽の光を反射して極彩色に輝き、たいそう美しかった。

 たったいま自分の父親を殺した敵の死に様に見惚れているエイジの頭の中に、彼の声がよみがえる。


『私が元凶なんだ。私を止めてくれ』


 まさに死んでいくその瞬間にいう言葉が『止めてくれ』ってのはどういうことだ? もう父さんの命は終わっちまうじゃねえか。父さんの意識は、もう残ってねえじゃねえか……。

 養父の顔が、スローモーション再生のように浮かぶ。

 あれは、あのときの顔は……もしかして記憶が戻ったんじゃねえか? 記憶が戻って、なにか重大なことを思い出したんじゃねえか? 記憶が戻った瞬間に死ぬなんて、父さん、あんまりだろ! 


 翅を切断されたエンジェルは、空を振り仰ぐようにして自分を襲ったB.A.T.を見つけようとする。残骸と化した右側の翅を大きく振り上げ、B.A.T.に向かって怒りを露わに咆哮する。だがトランスフォームした武器によって激しい炎を浴びせらられ、エンジェルの胴体は焼け焦げた。熱で溶解した胴体からは、青くどろりとした内容物が草の上に垂れ、奴の翅も崩れ落ちる。ラウラが戻ってきたのだ。


「大丈夫ですか! 怪我は?」

「……怪我? 俺は無傷だよ。でも、父さんは……死んだ」


 放心したようにエイジが呟く。ラウラは息を呑み、次の言葉を発することが出来なかった。


「あ……、お父さまが、亡くなった?」


 エイジの身体の震えはまだ収まらない。怖かったのだ。目の前で誰かが殺されるのを見たのは何年かぶりだ。シェルター内での生活に慣れるため、そんな恐怖は意識の外へと追いやって暮らしてきた。それなのに、父親代わりで、自分を愛してくれた人が殺されたのだ。血の繋がった肉親ではない。他人ではあったが、本当の家族のように可愛がってくれたやさしい男の凄惨な死に、エイジはまだ現実を受け入れきれない。

 ずっとエンジェルを憎んできた。こんな世界にした奴らを全滅させたいと思ってきた。だが、いざ奴らを目の前にしたら、自分は何も出来なかった。その惨めさと悔しさに、エイジは打ちひしがれていた。


「本当の家族はエンジェルに殺された。この人は俺たちの面倒を見てくれてる他人だ。だけど、本当の家族のようにここで暮らしてきた。……俺たちが何したっていうんだ。なんでこんな世界になっちまったんだよ。なあ、あんたは知ってんのか? B.A.T.は何がどうなったからこんなでかい蛾が発生したのか知ってるんだろ? クソッ、クソッ、クソッ!」 


 ラウラは沈痛な面持ちで立っていた。目の前で一般人が死んでゆくのは、何十、何百と経験していたが、助けようとしていた人が、自分がその場を離れたほんの少しの隙に犠牲になったのは初めてだった。

 自分の責任だ。ラウラは俯いて唇を噛む。


「あんた、なんで離れてったんだ! 俺たちのことだって、あのシェルターに入れてから行けばよかったんじゃねえのかよ! その時間が惜しかったのか? そんなにあいつらを殺して成績を上げてえのかよ!」


 ラウラの腕を掴みかけていた手をきつく握り、養父の亡骸のそばでかがんだ。一人で置くのは危険だとラウラは思っていたが、今のエイジにそんな言葉をかけるのは無駄だろうと、悔しげな背中を心配そうに見つめたあと、わずかに俯いてから目を伏せた。

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― 新着の感想 ―
三話まで読ませていただきましたが、とても興味深い作品でした。 特にエイジが罵倒した大人達と同じような事を期せずして発してしまったこの話の最後に、なんだかやるせない気持ちになりました。 文字が詰められ過…
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