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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第一章 シェルターの天使たち
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第1話 天使が空から降ってくる ③

「聞け! 我が兵士たちよ! 君たちの活躍でこのエリアは守られた。見るのだ、この庭を。花々が咲き乱れ、木々は大いに芽吹いている。これが本来の地球だ! 同志たちよ、ここは守られた!」


 エイジはそんな養父の姿に混乱しながらも、地面に伏せなくちゃ、と彼を促す。だが養父は、上空のエンジェルに向けて微笑み、奴らを歓迎するように両手を広げている。


──いまのは何だよ? もしかして父さんは頭がおかしくなったのか?


 養父は、エンジェルを「同志」と呼んだ。それはどういうことだ? エイジの頭の中は真っ白になるが、今はそんなことを考えている余裕はない。いつ奴らが襲ってくるかわからないのだ。この記憶喪失の養父は、過去に一体なにを見たというのだろう。今は雑念にしかならない思考を振り切るように、エイジはいっそう強く、養父の腕を引いた。


「早く、父さん! いいから伏せて!」


 エイジが養父の肩を抱き、身体を低くさせようとした瞬間、背後から飛んできた一体の大きなエンジェルによって、養父の身体は無残にも横一文字に切り裂かれた。あの白く大きな翅の縁は、文字通り白刃のように切れ味が鋭いのだと、エイジは間近で知る。


「父さん! 父さん! あのクソ野郎、殺してやる!」


 養父は裂けた腹を手のひらで押さえるが、腹壁が破れ、中から押し寄せ溢れてくる内臓と血液は、緑の草の上に凄惨にぶちまけられた。


「うわあっ! 父さん、動いちゃダメだ。こんなに血が……。クソッ、止まらない。押さえてもムダか。誰か、誰か……B.A.T.! デビル! 助けてくれ! エンジェルに襲われた! 酷い怪我なんだよ。早く来てくれ!」


 エイジは父親の腹を押さえ、さきほどの男のように傷を修復してもらおうと、声を嗄らしてB.A.T.の誰かを呼ぶ。養父はしかし、ごぼっと喉の奥から溢れでる血でむせながらも、穏やかな表情でエイジを見上げ、その頬に血まみれの手を添えて言う。


「エイジ、聞いてくれ。世界をこんな状況にしたのは私なんだ。今はまだ、私が何を言っているのかわからないだろう。でもな、私が元凶なんだ。頼む、エイジ、私を……、どうか私を止めてくれ」

「父さん? なに言ってんだよ、全然意味がわからないよ。なんで父さんが悪いってことになるんだ? ああ、でも今はいい。喋らないでじっとしてて。頼むから。B.A.T.に治してもらうんだ。大丈夫だから」


 養父の顔は、みるみる血の気を失くしていった。そして、彼の腹を切り裂いたエンジェルが空中で旋回して戻ると、ふたたび翅を大きく振るい、その首をバッサリと切り落とした。足元にごろりと転がる父の首。エイジの目と、その首の目が合った。その瞳が何を語りかけていようとも、エイジには受容することも理解することもできなかっただろう。


「わあーっ! 父さん! 父さん!」


 半狂乱になって叫ぶエイジ。エンジェルへの怒りと憎悪は最大限に増幅され、身体からは炎が立ちのぼっているようだ。エンジェルが攻撃の体勢をとる。エイジは火炎放射器を構えてじりじりとそれに対峙する。


「この野郎、殺してやる。ぶっ殺してやる。俺の家族を二度も奪いやがって。お前ら全員ぶっ殺してやる!」


 養父を殺したエンジェルは、翅を大きく広げながら口吻を伸ばしてエイジに襲いかかる。咄嗟に避けるが、広げた翅はアッパーシーツのようにその身体を包み込み、エイジは翅の中で身動きが取れない。


「くっそ、放せよ、おい!」


 いつしか口も圧迫され、エイジは声を出すことすらできなくなった。


──なんて力なんだ。蛾の翅のくせに、大蛇に絞められているみたいだ。くそっ、トリガーにかけたままの指だけでも動かせれば、内側からこいつを焼き殺すことができるのに!


 長く伸びたエンジェルの口吻は、執拗にエイジの口元を探して蠢いている。その不気味さに吐き気をもよおしながらも、この拘束から逃れようと、こいつを焼き殺してやりたいと、エイジは焦った。そして必死に何かを訴えようとした養父の顔を思い出し、一瞬弱気になる。ここで自分の命も潰えてしまうのか。こいつらに復讐することもできずに自分も死ぬのか……と。


 そのとき、エイジを包んでいたエンジェルの翅が切り裂かれ、大量の鱗粉が舞った。それは陽の光を反射して極彩色に輝き、たいそう美しかった。

 たったいま自分の父親を殺した敵の死に様に見惚れているエイジの頭の中に、彼の声がよみがえる。


『私が元凶なんだ。私を止めてくれ』


──まさに死んでいくその瞬間にいう言葉が『止めてくれ』ってのはどういうことだ? もう父さんの命は終わっちまうじゃねえか。父さんの意識は、もう残ってねえじゃねえか……。


 養父の顔が、スローモーション再生のように浮かぶ。


──あれは、あのときの顔は……もしかして記憶が戻ったんじゃねえか? 記憶が戻って、なにか重大なことを思い出したんじゃねえか? 記憶が戻った瞬間に死ぬなんて、父さん、あんまりだろ! 


 翅を切断されたエンジェルは、空を振り仰ぐようにして自分を襲ったB.A.T.を見つけようとする。残骸と化した右側の翅を大きく振り上げ、B.A.T.に向かって怒りを露わに咆哮する。だがトランスフォームした武器によって激しい炎を浴びせられ、エンジェルの胴体は焼け焦げた。熱で溶解した胴体からは、青くどろりとした内容物が草の上に垂れ、奴の翅も崩れ落ちる。ラウラが戻ってきたのだ。


「大丈夫ですか! 怪我は?」

「……怪我? 俺は無傷だよ。でも、父さんは……死んだ」


 放心したようにエイジが呟くと、ラウラは息を呑み、次の言葉を出すことができなかった。


「あ……、お父さまが亡くなった?」


 エイジの身体の震えはまだ収まらない。怖かったのだ。目の前で誰かが殺されるのを見たのは何年かぶりだ。シェルター内での生活に慣れるため、そんな恐怖は意識の外へと追いやって暮らしてきた。それなのに、父親代わりで、自分を愛してくれた人が殺されたのだ。血の繋がった肉親ではない。他人ではあったが、本当の家族のように可愛がってくれたやさしい男の凄惨な死に、エイジはまだ現実を受け入れきれない。ずっとエンジェルを憎んできた。こんな世界にした奴らを全滅させたいと思ってきた。だが、いざ奴らを目の前にしたら、自分は何もできなかった。その惨めさと悔しさに、エイジは打ちひしがれていた。


「本当の家族はエンジェルに殺された。この人は俺たちの面倒を見てくれてる他人だ。だけど、本当の家族のようにここで暮らしてきた。……俺たちが何したっていうんだ。なんでこんな世界になっちまったんだよ。なあ、あんたは知ってんのか? B.A.T.は何がどうなったからこんなでかい蛾が発生したのか知ってるんだろ? クソッ、クソッ、クソッ!」 


 ラウラは沈痛な面持ちで立っていた。目の前で一般人が死んでゆくのは、何十、何百と経験していたが、助けようとしていた人が、自分がその場を離れたほんの少しの隙に犠牲になったのは初めてだった。自分の責任だ──。ラウラは俯いて唇を噛む。


「あんた、なんで離れてったんだ! 俺たちのことだって、あのシェルターに入れてから行けばよかったんじゃねえのかよ! その時間が惜しかったのか? そんなにあいつらを殺して成績を上げてえのかよ!」


 ラウラの腕を掴みかけていた手をきつく握り、養父の亡骸のそばでかがんだ。一人で置くのは危険だとラウラは思っていたが、今のエイジにそんな言葉をかけるのは無駄だろうと、悔しげな背中を心配そうに見つめたあと、わずかに俯いてから目を伏せた。




 養父の無残な死の前で立ち尽くしていたエイジとは対照的に、庭でのB.A.T.の活躍を見て、わあっと喜ぶシェルターで暮らす人々。ガラスに張り付いては歓声をあげている。


「あぁ、よかった。本当によかった。もう生きた心地がしなかったわよ」


 子どもたちが無事に戻ったことを、抱き合って喜ぶ母親たち。その中で、一人の女が半狂乱で泣きながら子どもの名を呼んでいる。


「スミレ! スミレはどこ?」

 

 そもそも、男たちはスミレを助け出すために建物を出ていったのだ。中から見守っていた人々も、エンジェル対デビルの戦闘に夢中で、草の上で恐怖に震えていた少女の存在を失念していた。


「そうだ、あの子は?」


 ラウラに少々悪態をついたあと、エイジも同様にスミレの存在を思い出す。庭を見回して探すが、どこにも姿が見えない。


「子どもがひとり行方不明なんです。探してください!」


 ラウラに言ったように、近くに降り立ったエルに訴えた。


「きみはコロニーの住人か? なぜここににいる? みんなはシールドの中に避難しているぞ。早く中に戻るんだ。シアラ、この少年を中に連れていってくれ。まだエンジェルは残っている」


 一般人であるエイジが、いまだ戦闘の場にいることに驚いたエルは、すぐに他の大人たちのようにシールドに入るか、中に戻れとエイジを一喝し、シアラにエイジを誘導するよう指示する。


「スミレという少女のことは、現在我が隊の隊長が奪還中だ。必ず無事に連れ帰るから安心しなさい」


 エルの言葉にエイジはわずかに安堵するが、たったいま養父を目の前で殺されたばかりなのに、B.A.T.のことなど信じられないと、黙ってエルに横顔を向けた。


『ブリクサ、少女はどうですか? やっぱり応援はいりませんか?』


 エルは、ブリクサへの通信をエイジに聞かせ、大丈夫だと無言で頷いて見せる。


『いらねえよ。もう追いつくからこのあとは俺に話しかけるなよ』


 通信を終えたエルは、少し心配そうな表情をしながらも、隊長であるブリクサの「命令」なら仕方ないと、シアラにアイコンタクトをとり、ふたたびボードを繰ってエンジェル撃破のために上空へと戻っていった。

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