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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第一章 シェルターの天使たち
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第1話 天使が空から降ってくる ①

──天使が空から降ってくる──


 あまり遠くへ行ってはいけないと、大人たちから言われていた。

 少女たちはその言いつけを守り、門を出て百メートルほど歩いた場所にある雑貨屋で、シールと髪飾りをそれぞれ買うと、立ち止まって輪になった。


「まだおこづかい残ってるひと!」


 その中で一番年長のカオリが言うと、他の四人はぱあっと顔を輝かせ、嬉しそうに手のひらを開いて見せた。


「みんなひゃくえんずつは持ってるね。じゃあ、アイス食べるひと!」


 雑貨屋の二軒隣にはコンビニエンスストアがある。昔のように品ぞろえが豊富なわけではないが、少女たちが好きな丸いキャンディのようなアイスや、うずまき状に絞られたソフトクリーム、チョコレートを挟んだもなかアイスなど、百円で買えるものはいくつもあった。


「あの、あのね……」


 少女たちが嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている中で、エミリだけがもじもじと俯いている。


「どうしたの、エミリ」


 カオリが顔をのぞき込むと、エミリはもじもじしたまま小さな声でこたえた。


「明日のおこづかいも、今日もってきちゃったの」


 エミリは両親と血が繋がっていない。本当の両親は一昨年、大量のエンジェルが来襲した際に死亡していた。養父母はあまり裕福ではないが、よその子どもたちと同じように育ってほしいと、エミリを大切にしている。だが、経済的な問題は愛情が深くても良くはならなかった。


「そっか……。じゃあ、みんなで二十円ずつ出し合って、みんなで同じアイス食べよう」


 カオリの提案に、少女たちは笑顔で肯く。


「ほんと? わぁっ」


 エミリが歓声を上げ、全員で空を見上げた。


「こんなにいいお天気なのに、もっとお外で遊びたいよね」


 可愛らしい溜め息をつきながら、少女たちは顔を見合わせた。もっと遊びたい。遠くまで歩いて、お花や木の実を集めて首飾りを作ってみたい。野外でしたいことはいくつもあった。だが、大人たちは子どもだけで出かける場所に制限を設けていた。門を出て、右は文房具店まで。左はカフェの前まで。真っ直ぐの道を進んではいけない。


「まっすぐの道って、どうして行っちゃいけないんだろう。カオリちゃん知ってる?」

「お父さんは、『隠れる場所がないからだ』って言ってた。まっすぐ行くと、すぐ公園があるのにね。公園、行ってみたいなぁ」


 カオリがコンビニエンスストアの自動ドアの前に立つと、厚い透明の扉は音もなく左右に開いた。後につづく少女たちは、顔を見合わせてなにか囁き合っている。


「じゃあ、アイス食べたらちょっと公園に行ってみようよ。ブランコもあるよね?」


 スミレがみんなの代表のように胸を張って言う。年長のカオリは少し考えたあと、唇に人差し指を当てながら答えた。


「本当に少しだけだよ。大人の言うことを守らないとすごく怖いことが起きるかもしれないって、みんな知ってるよね? おうちに帰っても、誰にも言っちゃいけないんだからね」


 カオリの言葉を聞きながら、少女たちは鼻息を荒くしてうんうんと頷いた。


──アイス食べたら公園! ブランコに乗って滑り台で遊ぶんだ!


 全員が同じ光景を思い描き、頬をピンクに染めて笑っていた。

 コンビニエンスストアの外にあるベンチに並んで腰かけ、それぞれ選んだアイスを食べる。誰も何も話さずに、時折り「ふふっ」「くすくすっ」と笑う声だけを発している。


「みんな食べた? じゃあ行こう」


 カオリが立ち上がる。みんなもそれに続く。来た道をいったん門の前まで戻り、門を背にして正面に伸びる道をゆくのだ。「大人が中から見てたらどうしよう」という声に、「見つからないように急いで行けばへいきだよ」と誰かが返す。


 外から門の中を覗くと、さいわい庭には誰も出ていないようだった。建物の玄関付近や、二階や三階の窓にも大人たちの姿は見えない。


「だいじょうぶみたい。なるべく道のはじっこを歩いて行こう」


 カオリを先頭に、五人の少女は列をなして公園を目指す。本当は、楽しくて嬉しくて、そしてちょっと後ろめたくて、きゃっきゃっとはしゃぎたかった。でも、大人に見つかったら連れ戻されてしまうことがわかっているので、そこは我慢して静かに歩いた。


 五十メートルほど進むと、左側に花屋が見えてきた。店先では若い女性が霧吹きで鉢植えに水をかけている。可愛い隊列に気づいた彼女が「こんにちは」と声をかけたが、カオリたちは女性の顔を見上げると、全員が唇に指を当てて「しぃーっ」と笑顔で応えた。


 公園が見えてくると、カオリはみんなを振り返ってもう一度念を押す。


「だれにも内緒だからね。そして、公園の中でもおっきい声を出したらダメだよ。あと……、」


 時間を計ろうと思ったのか、カオリは空を見上げて太陽がどこにあるか探した。みんなも空を見上げる。いいお天気の下で、髪飾りを買ってアイスを食べて、公園で遊べるなんて。こんなに素晴らしい日は、生まれて初めてだ。


「……ねえ、あれ、なんだろう」


 カオリが見ていた太陽とは別の方向を指して、ジェニーが不思議そうな声を出した。


「たんぽぽの種じゃないの?」


 空の高い位置に、ふわふわと漂うように揺れる何かがある。


「えー、だってあんなに遠いのに? もっと大きいものだよ」


 全員が同じ方向を見あげ、じっと瞳をこらす。やがてそれは、白くて羽のある生きものだと判別できるようにまで近づいてきた。


「……鳥?」

「そうかな? 公園にお水のみにきたのかな?」


 初めて実物の鳥を見ることが出来るかもしれないと、少女たちは色めき立った。


「鳥さーん! ここだよー!」

「ここだよー!」


 全員で合唱するように鳥を呼ぶ。白くて大きな鳥は、図鑑で見た白鳥だろうか。鳥からは、少女たちが振る小さな手のひらがどんなふうに見えているのだろう。

 突然、背後から女性の悲鳴が聞こえ、みんなはビクッと首をすくめながら振り返った。


「あなたたち、コロニーの子でしょ? 急いで帰りなさい! 大人と一緒じゃないの? 早く! 急いで!」


 怒っているのか、さきほどの花屋の女性が、怖ろしい顔をしながら早口で言った。カオリたちは訳がわからず、その場でおろおろと立ち尽くす。


「エンジェルよ! エンジェルが飛んできたの! どうしているの? どうしてエンジェルが入ってくるのよ! 早く、早く逃げなさい!」



──少女たちは、いつか大人が読んでくれた童話のように、白く美しいほんものの天使がまばゆい光とともに地上に降りて来、ひとびとを救ってくれる日を夢見ていた──



「エンジェル……?」


 エンジェルという単語をきいても、どうにもピンとこない。大人たちがいつも話している『エンジェル』が本当に飛んでくるなんて、現実に自分たちの目の前に現れる日が来るなんて、少女たちは想像することもなかったのだ。


「私は中に入るから、早く帰って建物の中に避難しなさい。早く! 走って!」


 その間、彼女はじっと空を睨み続けていた。エンジェルはまだ上空にいる。ここに飛んでくるまでにはまだ時間があるはずだ、と考え、子どもたちを避難させようとしたのだ。


 足がすくんだように動けずにいた少女たちは、「走って!」という彼女の声に弾かれるように走り出した。いくつかの店や住宅の前を通りすぎ、コロニーの門が見えると安心してスピードを緩めた。あの人はだいじょうぶだろうか、ちゃんとおうちの中にはいれただろうか、と気になって振り返る。するとその時、本当に白い鳥が舞い降りるような優雅さで、エンジェルが花屋の入り口に降り立った。よせばいいのに、彼女は外に出してあったプランターを出来るだけ中にしまっておきたいと思ったのだろう。まだ屋内に避難せず店先にいたのだ。鋭い悲鳴が聞こえたと思う間もなく、彼女の着ていたオフホワイトのニットの腕が地面に落ちた。少女たちには、それがなんなのかわからなかったが、鮮血がシャワーのように噴き出して地面を赤く染めだすと、喉が破れるほどの悲鳴をあげながら門を開け、コロニーの庭を走った。


「きゃあーっ! エンジェルが!」

「エンジェルが来た!」


 少女たちは叫び声をあげ続け、建物へと急ぐ。いつもはこの庭に咲いている草花を摘んで花冠を作っていたのに、その草の茎に足首を取られてスミレが転んだ。


「あっ! 待って! たすけて!」

「スミレちゃん!」


 恐怖に泣き叫びながらも、カオリは絡まった茎をほどこうと必死になった。エミリはスミレの手を握り、茎がほどけたらすぐに走り出せるようにと、立たせてワンピースについた土を払ってやった。だが、目の前で人間の腕が切断される瞬間を見てしまった衝撃は、激しい恐怖となって幼い心を襲った。


「やだ、やだ、やだ。こわいよぅ」


 ジェニーが大声で泣き出すと、カオリもエミリも、ユリアもそしてスミレも、身体がこわばって動かなくなってしまった。ただ大声で泣くことしか出来ない。早く建物に入りたいのに、入らなければさっきの人みたいに、腕や脚や首や、お腹を切られて死んでしまうのに。


 庭の中央で泣きわめく少女たちに、ひとりの大人が気づいた。


「なにやってんだ? 誰か怪我したのか?」


 男の独り言に気づいた別の男が、ちょうど近くにいたカオリの父親に告げる。


「あれ、カオリちゃんだろ? なんだかみんなで泣いてるんだが、怪我でもしたのかもしれない。見に行こう」


 ガラス越しに庭を見る男と目が合うと、カオリは泣きながらも必死にうったえた。


「エンジェルが来た! エンジェルが!」

「なんだって!」


 ロビーでくつろいでいた大人たちは、弾かれたように立ち上がる。少女たちの上空に、数体のエンジェルが円を描くように飛んでいる。


「本当だ! エンジェルだ」

「ここには入って来られないはずだろ」

「いや、絶対にそうだ。エンジェルだよ。子どもたちがあんなに怖がってるじゃないか!」


 悲鳴を聞いて外に出てきた大人たちは、スミレだけが動けない状態だとみて、カオリたちに走って戻るように叫ぶ。そして取り残されたスミレを救いだそうと、武器を手にした。


「さあ早く! みんな急いで中に入って」

「畜生。こんなところまで来やがって。デビルを待っていられない。みんな火炎放射器を取れ!」

「くそっ、お前らみんな焼き殺してやる!」

「エミリ、みんな中に入ったか? スミレちゃんを助けに行くから、絶対に外に出るなよ」


 一般人に配給されているのは、軽量化された火炎放射器だ。B.A.T.が使っているものよりも明らかに威力はない。その炎を空に向けて噴射して威嚇するが、「エンジェル」と呼ばれる巨大な蛾の群れは、脆弱な攻撃を嘲笑うように軽くかわしてしまう。


「くそっ、当たらない」

「火力が弱くて飛んでるエンジェルに届かないじゃないか」

「こんなもん支給されたって、奴らに勝てるわけないだろう!」


 十人ほど出てきた大人たちは、役立たずの武器に苛立ち、焦っていた。そのうち、一人の男が蛾に飛びつかれる。


「ぎゃああああ! くそっ、放せ! 放せよ、このやろう」


 大きな翅を広げて男の全身を包み込んだ蛾は、男と正面から向き合い、真っ黒く大きな眼で男を見つめる。「ククク……」と笑い声に聞こえるかのような声で啼き、その口吻を伸ばして男の口に挿し入れると、胃の内容物を吸い取ったあと、十二指腸ごと男の臓器を引きずり出した。それを見た別の男は、蛾を焼き殺そうと火炎放射器を構える。


「待て! いまこいつを焼き殺す。頑張れ」


 焦った男はトリガーを弾く。するとそれまで背後を見せていた蛾が身体をずらし、翅を焼くはずだった炎の先に、捕らわれた男の顔があらわれた。

 あっと思ったときには、もう遅かった。火炎放射器の炎は一瞬で捕らわれた男の顔を包み、男の髪が燃え上がる。


「大丈夫か! クソッ、まずい、こんな酷い熱傷に。ちょっと待ってろ。すぐに冷やすものを持ってくるから」 


 急いで建物に戻ろうと、男は武器を担ぎ直して走った。

 焼かれた男は、引きずり出された内臓を苦しみながらも懸命に呑み込むと、熱傷で皮膚がずるずると剥け落ちる顔で敵を睨みつける。それでもエンジェルとの戦闘を諦めてはいないのだ。


「誰かやられた!」

「デビルはまだ来ないの? 誰か連絡した?」


 怒号が飛び交う中、さっきまで外にいた少女たちは、部屋の隅に固まって「スミレちゃん、スミレちゃん……」と震えながら泣いていた。


 建物の中からは、外の様子を心配そうに見つめる人々が強化ガラスに張り付いていた。焼けただれた男を見て悲鳴をあげる人たち。その中で、まだ少年といえるほど若いエイジは、B.A.T.に出動要請するため、軍本部に通信していた。エイジの父もまた、スミレ救出のために出ていったのだ。


「なんであいつらがここに近づけるんだ? どんどん数が増えてきてんだよ! ここはアウターウェブで守られてるんじゃねえのか? 子どもがひとり、コロニーの庭で動けねえんだ! 大人たちが助けに出たけど、勝てるわけなんかない。このままじゃ外にいる奴らは全滅だ。子どもは絶対に死なせちゃならねえんだろ? 頼むから早く来てくれ!」


 エイジが通信ボタンから手を離す直前、エンジェルがやってきた同じ空に、七つの黒い点がコロニーを目指して急降下してくるのが見えた。


「くっそ! まだ増えんのかよ! これじゃ奴らが中に押し入るのも時間の問題だ。俺が行ってくる。父さんを助けてくるからな」

「お兄ちゃん、パパ大丈夫?」

「お兄ちゃん、パパを助けて」

「おにいちゃんもきをつけてね」


 泣きそうな顔で、口々に言う弟妹。


「大丈夫だよ。心配しないで待ってろ」


 三人の頭を順に撫で、エイジはやさしい笑顔を見せる。そして壁から火炎放射器を取り外すと、ストラップを肩から斜めにかけて開錠のスイッチを押す。不安そうな顔で庭での惨劇を見守っていた人々は、エンジェルに侵入されたらどうするつもりだ、とエイジが扉を開けるのを阻もうとした。


「このままじゃみんなやられちまうって! 子どもだけでも助けなきゃならねえだろ! あんたらそれでも大人かよ!」


 自分の身の安全しか考えられない大人たちには、いつもながら反吐が出そうだと苦々しい顔で睨み返すエイジだが、庭に降り立ったエンジェルを見てヒステリックに叫ぶ女もいた。


「ちょっと待ってよ! 扉を開けてエンジェルが入ってきたらどうすんの! あんた責任とれるの?」


 庭にいる人たちは今にも殺されるかも知れないというのに、こんな身勝手な人間がいるからエンジェルが発生したのではないかと、エイジは女を睨み返した。


「そうだ、俺たちは一般人なんだぞ。戦うよりじっとしているべきだ」

「だからってただ待ってるなんてできねえよ! 俺たちの父さんも外にいるんだ。助けに行くに決まってんだろ! 揃いも揃って腰抜け野郎が……。それから、小さい子たちに外の様子を見せないようにしてくれ。リビングに集合させて、まともな大人がついててやってくれ」


 エイジは手のひらを叩きつけるようにして開錠スイッチを押した。三重の扉が一枚ずつ開くのももどかしいというように、瞳をギラギラさせて庭へ飛び出す。そして、少女たちを助けようと外に出た男たちに目を遣り、自身が「父さん」と呼んでいる父親代わりの男を見つけると、彼を助けるために猛然とダッシュした。彼は、もともと左脚を引きずっているのだ。そんな身体で助けに向かっても足手まといになるだけだと、誰もが思うかもしれない。だがきっと彼は、エイジの弟妹たちにスミレの顔が重なったのだ。そして、自分をおとりにしてでもスミレが助かればいいと、そう思ったに違いないのだ。


「父さん! いま行くから動かないで」

「エイジ! 来なくていい。子どもたちと一緒にいてやってくれ」


 だが、降下中の、新たな脅威となる黒い点が地上に近づいて来ると、エンジェルたちの動きがいっそう騒がしくなった。七つの点は白いエンジェルではなく、B.A.T.の隊員だったのだ。エイジは火炎放射器のトリガーから指を離し、B.A.T.を目指して次々と庭から飛び上がるエンジェルたちを見つめた。

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