9.魔神官モナ
気が付くと、洞窟とは別の薄暗い空間に立っていた。
「あら、やっと次の候補が来たの? 随分時間がかかったわね」
目の前に現れたのは、黒いドレスを身に纏い、綺麗な赤い角を持った魔族の女性だった。
妖艶な雰囲気を纏い、すぅと赤い唇を歪めて笑う。
「アタシはモナ。先代の魔神官よ」
「先代……? 先代の魔神官って……もしかして、フライの――!」
サツリは、フライが死んだ魔神官に惚れていたと言っていた。
モナはいかにも、フライが好きそうな『大人の女性』だった。
フライの名を聞いて、モナが呆れ顔で長い前髪をかき上げる。
「あぁ、フライが我侭言ったか何かで、次の魔神官候補が現れなかったってワケね。もう、随分待ちくたびれたわ。まだアイツ、アタシに未練があるの?」
「はい、多分あなたに未練たらたらです」
「ふふ。……ホントに馬鹿な男」
即答をすると、モナは楽しそうにクスクスと笑った。
この祠は『初代魔神官を祀る祠』とされているけど、魔神官の意思は初代から代々引き継がれているので、実際にここに眠っているのは先代の魂という事だった。
モナは私の魔力と知識を測ると、「人族なのが勿体ない程に、魔神官として文句なし」とすぐに合格を出してくれ、師事を仰ぐと、「もちろんよ」と快諾してくれた。
文書に残されていない魔神官に伝わる魔法もあるようで、その日からすぐに修行と勉強が始まった。その妖艶な見た目からは想像できない程、モナは人当たりも面倒見も良く、魔法指導も分かりやすかった。
◇ ◇ ◇
数日に渡る修行が終了した頃、私はモナとすっかり打ち解けていた。
修行中は日課となっていたティータイムも、今日が最後。対面に座るモナに、思い切ってフライとの関係を聞いてみる。
「モナは、フライの恋人なんですよね?」
「は……恋人ですって?」
モナが目を丸くして、ケラケラと笑う。
「やぁね。竜に番がいるように、魔族にも対が決まっているの。魔族は匂いで、すぐに相手が分かるのよ。アタシは、フライの対でもないし、恋人でもないわ。
匂いがわからない人族には、少し難しい話かもしれないけどね」
そういえば、出会った時に聖女は異様に臭いと言われた。魔族は、人族とは違う『匂い』を感じているという。
「聖女は敵対する神の力が強いから、魔族にとって臭く感じるのよ。魔神官はその逆。魔族にとって、甘美で、とてもいい匂いがするわ。
フライは対がいなかったから、その魔神官の匂いを、対だと勘違いしただけ。ホント、いい迷惑だったわ。本物の対なら、嗅いだ瞬間に冷静さを失うくらいすごいのよ」
モナは立ち上がるとテーブル越しに体を伸ばし、私の額に人差し指をそっと当てた。
「折角だから、アタシの記憶を見せてあげるわ。あのフライの姿を見たら……対じゃなかった事に感謝したくなるんだから」
額に触れるモナの指先から、知らない記憶が流れ込んでくる――。
◇
モナの記憶に残る光景は、壮絶なものだった。
――古に繰り広げられた、勇者と魔王の戦い。
勇者を倒し、標的を失って暴走した魔王フライは、我を忘れて殺戮を楽しんでいた。
人族も魔族も見境なく、殺戮を繰り返すフライ。誰の手にも負えない魔王を止めようとしたのは、当時の魔神官、モナだった。
我を忘れたフライは、対だと思い込んでいたはずのモナの存在すら忘れていた。制止するモナを玩具のように甚振り、致命傷となる深手を負わす。
魔神官も、自身の怪我だけは回復させることはできない。死期を悟ったモナは、最期の力で自らの命と引き換えに、地上の半分を巨大な結界で覆う事にした。
結界は、魔族の闘気を吸収し、吸収した闘気を原動力に、再び魔族から闘気を吸収する。
モナの命の灯が消え、その魔力が失われた後も、結界に魔族がいる限りそれは永遠に作動できる。
暴走していたフライも、殆どの闘気が結界に吸収され、冷静さを取り戻した。
冷静になったフライの目の前にあったのは、息絶えたモナの姿。自分が対と信じていたモナを殺した事に、嘆き、深く後悔をしたフライは、自らを結界に封じる事にした――。
◇
「結界って……モナが、フライを止めるために――」
それは、以前サツリが少し言っていた通り。人族に伝えられていた結界の成り立ちや目的とは、大きく異なるものだった。
「ね、見たでしょう? あの殺戮を楽しむ姿なんて、アタシはゾッとするわ。あんなのと恋人なんて、頼まれても無理ね」
「そ……そう、無理……ですか?」
挙動不審に視線を泳がせて苦笑いをする私に、モナが驚いて目を開く。
「うっそ。アンタ、フライが好きなの? ……物好きね?
アタシにまだ未練があるって事は、どうせまだ対が見つかってないんでしょ? 今の内に、既成事実でも作っちゃいなさいよ」
モナはクスクス笑うと、大きく両手を広げた。
「じゃ、先代の役目は、これにて終了。魔神官の意志は、アンタに引き継ぐわ。アンタも死んだら『次の先代』になるから、その時は後輩指導を頼んだわよ」
「はい、ありがとうございます」
モナが満足したように、にっこり微笑み、その体が光輝いた。光は霧のように空間に溶け、大きく渦を巻くように私の体へと流れ込んで来る。
体を流れる魔力の質が、変わっていく。
神より与えられて、魂に植え付けられていた聖女の称号が、魔神官へと書き換えられるのがわかる。
――全てが終わった時、真っ白な空間で独り、一冊の小さな本を握って立っていた。
「……本?」
パラパラ捲ると、白紙のページから魔神官の意志が読み取れた。
本から、モナの意志も伝わって来る。
「魔族なら称号と一緒に、魔神官の意思を魂に植え付けられたんだけど。人族には魂にそこまで容量がないみたい。本になっちゃった。ゴメン」
「平気です。大事にします」
本を大事に抱きしめると、モナの笑い声が伝わる。
「ふふ。戻ったら、あの馬鹿に言っといてよ。
もう殺された事なんて気にしてないし、アタシはフライの対でもなかったのよ。アタシの事は忘れて、好きにやんなさいってね」
モナの声が遠くなり、視界がぐにゃりと歪む――。
◇◇◇
気が付くと、薄暗い洞窟の奥――祠の前に立っていた。
修行をしていた空間と同様に、祠の外でも数日が経過しているようで、横たわるバジリスクがかなり傷んでいる。
「お、もどったか」
「……え、フライ?」
驚いて振り返ると、フライが壁にもたれ掛かるように座っていた。昼寝をしていたのか、眠たそうに大きく欠伸をする。
「もしかして、ずっとここにいたんですか?」
「んー……さぁな?」
実は本当にバジリスクの毒が効いていて、この場から動けなかったのかもしれない。慌てて駆け寄り、牙が刺さった箇所に魔力を当てる。フライの体から、毒を取り出そうと――。
「……完全に、体内から毒が消えていますね」
「なんだ、残念」
やはりバジリスクとはいえど、魔王に毒なんて効かなかった。ほっと安堵すると、何かに気付いたようにフライが大きく目を開き、私の髪を一房手にして、その匂いを嗅いだ。
「この匂い……懐かしい。本当に、魔神官になったんだな」
「あ、はい。モナさんに修行もつけていただきました」
「お前……モナに、会ったのか」
フライは驚いて、何か言いたげだったけど……無言のまま、片手で私の体を引き寄せ、深く匂いを嗅いだ。
「あ、あの……」
こんなに体の匂いを嗅がれた事なんて、生まれて一度もない。
流石に恥ずかしすぎて、視線が泳ぐ。
「そ、そうだ。モナさんからの伝言です。何も気にしてないから、好きに生きなさい、だそうです」
「ん。わかった……すまない」
それは、私に言ったのか、モナへの謝罪だったのかは分からなかった。
しばらくの間、フライは私の匂いを嗅ぎ続けた。
あまりにも長い時間嗅がれるので、フライから離れようともがいてみたのだけど。逆にフライは私を逃がさないように抱え込んで、首元に顔を埋めてしまった。
吐息が首筋にあたって、くすぐったい。
「あ、あの、そろそろ本気で恥ずかしくなってきたので、できればやめて欲しいのですけど。あ……ちなみに、聖女の匂いは消えていますか?」
「そうだな。臭くねぇし、いい匂い。もう少し、このままがいい」
私には、魔族の感じる匂いというものは分からない。
でもきっと、私はモナと同じ『魔神官の匂い』がしている。フライは、その匂いに、モナが対ではなかった事に気が付いたと思う。
それでもフライは、私から漂う魔神官の匂いを、長い間懐かしそうに嗅いでいた。