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第8話 穂乃花は彼女に会いに図書館に行く

「無事に謎は解けたんだろう? どうしてまた相談が必要なんだ?」


 桜井は不思議そうな顔をして、穂乃花が今日も自販機で買ったお茶を飲んでいる。


 以前と同じ図書館の休憩スペースで穂乃花は桜井と会っていた。

 今回は約束をしていなかった。でも、日曜日なら彼女がいると思って会いに行ったら、案の定彼女は定位置で本を読んでいた。

 その彼女に声をかけて、わざわざ付き合ってもらっている。

 休みなので席は混んでいたが、テーブルの一つを穂乃花たちが占領して座っていた。


「実は、その……」


 穂乃花は言おうとしたが、恥ずかしくてなかなか口に出せない。


「あっ、そうそう!」


 なので、別の話題から尋ねることにした。


「どうして桜井さんは、芹沢くんの謎は私の過去にあるって分かったの?」


 桜井が穂乃花から話を聞いただけで、すぐに真実にたどり着いたことに非常に驚いていた。


「え、どうしてって、不倫以外の別の理由で抱き合っていたと推測しただけだよ? 芹沢くんは不倫はしていないと証言していた。それに先生のほうは処分されていない事実から、何も先生にはやましいところがなかったと考えたんだ」

「なるほど。それで、別の理由を考えたんだ……。でも、そこからよく思いついたよね」

「あまり日本人は他人と接触する文化じゃない。でも、たまに抱擁するときがある。それはどんなときだと工藤さんは思う?」


 急に尋ねられたので、穂乃花は慌てて考え始める。


「えーと、試合に勝って嬉しいときとか、誰かが亡くなって悲しいとき? あとは、小さい子供を抱っこするとき?」

「そう。ただ、今回の場合は、遊園地という場所だったことから、悲しいときは除かれると思った。だから、嬉しいときや、子供を抱きしめたという理由が推測された」


 穂乃花は言われて、条件がかなり絞られていたことにやっと気づいた。


「そっか。今時、離婚なんて珍しくないよね。だから、離れていた親子が、久しぶりに再会したから、抱き合ったと桜井さんは考えたのね!」

「そう。でも、それなら芹沢くんはすぐに理由を話したと思うんだよ。でも、彼は言わなかった。そこから、さらに芹沢くんの複雑な家庭環境が推測されたんだ」

「だから、桜井さんは憶測で言えないって、あのとき説明していたんだね」

「そのとおり。だから、昔の彼を知っている工藤さんなら、何かしら彼の事実に触れていたと思ったんだ」

「そっかー。桜井さん、やっぱりすごいわ~!」


 穂乃花は桜井の能力の高さに感心する。両手を握りしめて、目を輝かせて彼女を見つめた。


「そうかい?」


 でも、当の本人である桜井は、軽く首をひねり、特に気にもしなかった。


「で、ところで、君の今日の本題はなんだい?」


 桜井は穂乃花のためらいにとっくに気づいていたのか、芹沢の謎の説明が終わると、速攻で尋ねてきた。


「う、うう……」


 穂乃花は思わず口ごもるが、桜井は興味を失うとすぐに本の世界に戻ってしまう。早く言わなければと、自分で自分の背中を後押しした。


「……じ、実は、芹沢くんに告白されたの。でも、いきなりだったから、どう返事したらいいのか分からなくて」


 恥ずかしいが、相談内容を伝えないと話は進まないので、意を決して口にしていた。


「おお! ついに! やっとヘタレを返上したのか!」


 桜井はやたら興奮気味に反応していた。目をキラキラと輝かせている。

 今日の彼女の格好は、アルファベット柄のトレーナーと綿パンだ。美少女が男装しているような雰囲気がある。


「え、ヘタレってどういう……」

「彼が君に片思いしているって、モロバレだったよ。だから早く告白すればいいのにって、ずっと思っていたけど、そうかーやっとかー。フフ、コンタクト効果に焦ったか」


 桜井はやたら楽しそうだ。


「えーと、もしかして、あの噂になった芹沢くんの相手って、私だったの?」

「ああ、そうだよ」

「そ、そうだったんだ……」


 全然気づかなかった。みんなは芹沢の気持ちに気づいていたのに。

 自分の鈍さに穂乃花は少しだけ凹んだ。


「でも、それがきっと君の良いところだと思うんだよ」

「そ、そうかな……」


 思いがけず桜井に褒められて、穂乃花はくすぐったい気持ちになる。彼女はお世辞なんて言わないと思っていたから、余計に嬉しかった。

 彼女と見つめ合って微笑み合う。

 眼鏡越しに見える彼女の目が優しい。にっこりと笑う唇は、張りがあって健康的な朱色をしている。


「だから、私に恋愛相談なんて愚かな真似は止めたまえ」

「えっ、どうして!?」


 そんな残酷なことを言いながら、桜井は女神のように慈愛深い笑顔を浮かべたままだ。

 突然の拒絶に穂乃花はかなりショックを受けた。


「だって、仮にだよ? ここで芹沢くんの悪い点を言って付き合うのは止めたほうが良いって言ったら、彼に刺されるのは私だ」


 桜井をよく見たら、彼女は微笑んでいなかった。恐怖のあまりに顔が強張っているようだった。


「ちょ、ちょっと! 仮に言ったとしても、優しい芹沢くんは刺したりしないよ」

「おっと、すまない。言葉のあやだ。気にしないでほしい」

「気になるよ!」

「じゃあ、私は馬に蹴られないうちに口を閉じたいと思うよ」

「そ、そんな……」


 桜井なら客観的に判断してくれると思っていただけに、彼女に見捨てられたくなかった。

 しょんぼりしていたら、桜井はちょっとだけばつの悪い顔をした。


「そうだな……。じゃあ、お茶のお礼に少しだけ前向きなアドバイスをしよう」

「う、うん」


 穂乃花は気を取り直し、姿勢を正して、彼女の助言を待つ。


「工藤さん、君はさ、どうして私に相談したんだと思う?」

「え、それは桜井さんが名探偵だから……」

「いや、そういう理由ではなくて」

「じゃあ、どういう理由?」


 穂乃花が改めて聞き直すと、桜井はテーブルに肘を乗せて、さらにこちらに身を乗り出してきた。


「多くの場合、相談といっても信頼できる人か、親しい人間にすると思うんだよね。でも、君と私はそんなに仲良くはなかった。それなのに君は私を相談相手に選んだ。謎なら私が解けると思ったから。君がそうせざるを得なかったのは、そこまで君を駆り立てたのは、何だったと思う?」


 穂乃花はそう指摘されてみて、そこまで自分が追い詰められていた心境に初めて気付いた。

 確かに穂乃花は謎を解かなければならないと、かつてないほどに強く考えていた。


「なぜって……。芹沢くんと仲直りしたかったの。前みたいに仲良くしたかったから。彼に冷たくされてショックだったの」

「そう。工藤さんにとって、芹沢くんは失くしたくない人だったんだよね?」


 桜井の率直な言葉が穂乃花の胸にすとんと落ちる。


「そっか……。そうだよね」


 先日見ていたアルバムの中で、いつも芹沢がいた。

 穂乃花の脳裏を彼の笑顔がいくつも過ぎ去っていく。

 そのとき一緒に穂乃花の胸の中が、ポカポカとお日様みたいに温かくなるのを感じた。

 明るくなるような前向きな気持ちになれる。

 

 だから、やっと気がついた。

 思い出とともにあった、かけがえのない大切な想いに。


 告白の返事を深く考えるまでもなかった。


「私は自分の気持ちをミスリードしていたみたい」


 穂乃花がそう言って肩をすくめると、桜井は目をぱちくりさせた。


「……確かに、君にとっては、そうかもしれないね」

「でしょう?」


 穂乃花が苦笑すると、桜井も目を細めてクスリと笑う。


「一人の人間をずっと思い続けるなんて、なかなかできることじゃないよ」

「え?」


 桜井の声が小さすぎて、よく聞こえなかった。


「うん、芹沢くんが報われて良かったって思っただけだよ。じゃあ、相談は終わりってことで」


 桜井はあっけらかんと微笑むと、本をバッグから取り出して、そこで読み始めた。


 切り替えが早すぎる。

 そんな変わりのない彼女を見て、可笑しさがこみ上げてきた。


 穂乃花は立ち上がって、彼女に近づく。


「ありがとう。また、会おうね」


 桜井の耳元にそうつぶやいた。

 邪魔するつもりはなかったからだ。

 ところが、彼女の視線がチラリと向けられる。


「君も物好きだね」


 彼女の柳眉と、健康的な唇の端がわずかに上がる。そして、すぐに彼女の視線は本に戻った。


 穂乃花は美しい彼女の読書姿を焼きつけるように見つめる。


「じゃあね」


 手を振って桜井と別れた。





 休日、桜井はいつも図書館にいる。

 次にここで彼女と会うときは、芹沢も一緒に連れて行こう。

 そう考えると、少しだけワクワクした。

 

 エントランスホールを抜けて自動ドアをくぐると、五月の抜けるような青空が広がっている。

 爽やかなそよ風が、前を進む穂乃花を優しく撫でるように吹いていた。




終わり。

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