第7話 穂乃花は芹沢と下校する
後日、クラスにて国語の授業が始まるときに粕谷先生自身から噂について説明があった。
「芹沢くんとは昔、親子の関係でした。彼のお父様とは訳あってお別れしましたが、芹沢くんのことは今でも私にとって大切な子供です」
そう語る先生の目は優しく芹沢を見つめていて、彼は恥ずかしそうに俯いていた。
それから、芹沢に対する同級生の態度は手の平を返したように変わった。
気さくに話しかけるようになり、噂をしていた同級生たちは「誤解してごめんな」と彼に対して謝っていた。
噂を通じて彼の存在が広まっていたため、一気に彼はクラスの中で人気者――とまではいかなくても、みんなに受け入れられていた。
「芹沢くんって、よく見るとカッコいいよね?」
同じクラスの女子の間でそんな会話が流れたときには、穂乃花は激しく同意した。
「あと、芹沢くんって、優しいよね。教室のゴミも自分から捨てに行ってくれたし」
彼の良さがみんなに広まっていく。中学と同じように彼の魅力に気づいていく女子が増えていく。
「芹沢くんって、彼女とかいるのかな? 工藤さん昔からの知り合いなんでしょ? 何か知ってる?」
「うーん、どうだろう? そこまでは知らない」
芹沢の事情を知ってしまったために迂闊に彼の恋愛話はできなかった。
「そっかー。もし彼女がいないなら、告白してみようかな~?」
芹沢の周りにはいつも他の人がいて、だんだんと穂乃花が近づく隙が無くなっていた。
(でも、誤解が解けたんだから良かったんだよね。)
一抹の寂しさを胸にいつものように穂乃花が下校しようとしたときだ。今度は下駄箱で芹沢から「工藤さん!」と声をかけられた。
「どうしたの?」
何か用があったのだろうと思って穂乃花が尋ねると、芹沢は照れくさそうに「一緒に帰らない?」と誘ってきた。
「う、うん。いいよ」
彼と帰るのは、久しぶりな気がした。
一緒に改札を通り抜け、同じ電車に乗り込む。
窓を背にして向かい合わせに客席が並んでいる。まばらに乗客がいたので、人が少ない席に並んで座る。
「噂のときは、気にかけてくれてありがとう」
「ううん、全然お礼を言われることじゃないよ」
芹沢から改まってお礼を言われて、穂乃花は逆に恐縮してしまう。
「それに、ごめんね。僕、工藤さんのこと誤解していた」
「誤解って?」
「僕が不倫したんだって、工藤さんが誤解したと思っていたんだ。あのときの工藤さん、何も言わなかったから」
「あれは――」
あのときの穂乃花が感じた気まずさは、間違ってはいなかった。やはり、穂乃花の対応のまずさのせいで芹沢を傷つけていたのだ。
「本当にごめんね。実は、先生と抱き合っていたって聞いて、予想外だったから驚いていただけだったんだ。誤解されるような反応して、私こそごめんね。だから、近づくなって言ったの?」
「——それは、工藤さんに僕のせいで迷惑をかけたくないって思ってたからなんだ」
あのとき、他の生徒に嫌な感じで二人とも注目されていたからと説明される。
「でも、ごめん。焦っていたから、”今は”って言葉が抜けちゃって、感じ悪い言い方になっていたね」
ただ単に言葉足らずだったらしい。
あのときの「近づかないで」が、彼に嫌われたわけではなく、彼の配慮からだったと知れて良かった。
「ううん、いいの。こうして無事に芹沢くんと仲直りできて良かった」
穂乃花は彼を安心させるように微笑んだ。彼も以前のように優しい眼差しをこちらに向けてくれる。
「あのさ、どうして僕のためにこんなに親身になってくれたの?」
「どうしてって……」
改めて質問されて穂乃花自身が言葉に詰まった。まるで何か悪いことをしたみたいにドキドキと緊張する。
「ただ、芹沢くんが困っているのを見過ごせなかったの。芹沢くんは私の恩人だから」
「恩人?」
「うん、中学校のとき環境整備の委員会で一緒だったじゃない? そのとき、困っていた私を芹沢くんが助けてくれたの」
穂乃花は芹沢にあのときの出来事を詳しく説明した。
「え、それだけで恩人なの?」
芹沢が大きな目をさらに丸くしている。
「それだけじゃないよ! そのあと、勝手に男子がホースを使って水遊びしだしたときに、女子は可哀そうだって盾になってくれたのでしょ?」
「確かに助けたことはあったけど、そんなこと全然気にしなくていいのに」
「でも、助けてくれて嬉しかったの。その他にも――」
穂乃花が切々と芹沢に訴えると、彼の顔がどんどん赤くなっていった。
「そ、そうか、分かったよ。それにしても、工藤さんの恩人だなんて、照れるね」
芹沢は言葉どおり恥ずかしそうにしていたけど、にこにこと嬉しそうに笑っている。
それを見て、仲直りできて良かったとしみじみ穂乃花は感じた。胸の中が以前のように温かい気持ちに包まれる。まるで窓から差し込む春の陽気のように。
「そういえばさ、工藤さんって付き合っている人っているの?」
芹沢の唐突な質問に穂乃花は面食らった。パチパチと瞬きして相手を見つめる。
芹沢は先ほどとは違って、緊張した面持ちをしていた。
「え、いないけど、どうしたの? 突然」
急な彼の変化と振られた話題についていけず、穂乃花が戸惑いながら訊き返すと、彼はますます顔を赤くさせる。耳まで染まっている。
「いや、同じ中学だったからって、聞かれることが多くて。工藤さん、コンタクトに変えたらずいぶん印象が変わったよね? その、あの、とても可愛いっていうか……」
「え?」
急に芹沢にそんなことを言われて、穂乃花までも顔が熱くなってくる。
「いや、僕は前から工藤さんの良さは知っていたけど、後から近づいてきた奴にかっさらわれるのも嫌だなぁって」
「え?」
「あのさ、よ、良かったら付き合ってくれない? 実は前から工藤さんのことが好きで……」
「え?」
ガタンゴトンと車輪が揺れる音が、一際大きく聞こえた気がした。




