第七十九話 『鉄臭い来訪者』
「……何だこれ……?」
本拠地アデレイドのマックスギルド空き部屋で朝を迎えた俺は、まず最初に我が目を疑った。
重い瞼を開くまでは、妙に寝苦しい感覚を不思議に思っていたが、今こうして目を覚ますとその正体が何であったのか明瞭となる。
まず、俺はベッドに拘束されていた。別に鉄鎖とかで貼り付けにされていた、とかそんなハードなものではない。
これはそんな物理攻撃よりも精神攻撃に近い。だが、あまり異性に耐性の無い俺にとっては、ソレでも十分に過ぎるダメージであった。
「コレ……は私……の、ゆーしょー賞品ダカラ……ナ。テト、ルカ……君達にはアゲナイゾ……」
仰向けの俺に覆いかぶさる南国風の少女が、もぞもぞと寝言を呟いた。股に片脚を入れられ殆ど絡みつくような体勢なものだから、動く訳にもいかない。加えて、パンティに胸覆い用のシャツとかいう扇情的スタイルだから、ますます凶悪。
「ルーニィ……!」
上半身にムギュと押し付けられたるのは、褐色で豊満なモノ。弱冠19歳にして、童帝たる我にとっては生き地獄そのものであるぞよ。
何とか腕を動かして、乳攻撃を仕掛けてくる敵を払い除けたい……が。
「Shit……! 腕も固められたか」
新しい絞め技ですか?とジャッジに尋ねたくなる程のマウントを取られている。
具体的に言うと、二人の人間が両腕に抱きついているのだ。
左腕に小柄な狐娘が頬を擦り寄せている。若草色のネグリジェがしゃわしゃわと気持ちの良い感触を左脚に残した。彼女は先ほどから尻尾をぱたぱたと緩慢に動かしているが、しかし意識は無いようである。ふと、彼女の手が動いた。俺のシャツをきゅっと握り締める。
「ゆ……とさん……すぅすぅ……」
一体どんな夢を見ているのだろうか。今すぐ起して、仔細をネットリ尋ねたいが、俺は紳士だからな。ちょっと悪戯するだけに留めておこう。紳士だからな。
そう思って彼女の前髪に息を吹きかけ動かしてみた。
「んん……ん……」
顔の違和感に眉をひそませ、むずがる姿は、妙にこちらの諧謔心をそそられる。
「あー可愛ええのう……」
こんなに純真無垢な少女を隣にして、自分が何故、据え膳食わぬのやら。それは多分、こうしてずっと鑑賞していたい、という欲の表れなのだろうか。
俺はため息をついて、右横に顔を向けてみた。
右腕も何者かによって固定されている。
「すぁー……すぁー……」
少年……のような少女がそこには。黒のホットパンツに肩口の開いた白シャツ。ルーニィほどではないが、やはり露出が多い。しかも、そいつの太ももが俺の脚に密着しているもんだから色々とマズイ。
そんな俺の動揺をよそに彼女は、上腕部に顔を乗せて無垢な寝顔をこっちへ向けていた。
こいつもこんな顔するのか。
驚きと共にじっと見ていると少女の顔が僅かにしかめっ面ぽくなり、その口元が小さく動く。
「こ……れは……お前がテト……に手を出さないよう……監視ぃしてるんだから……な……別に違うんだから……な……くぅくぅ」
若干、眉に険を寄せ威嚇でもしているつもりなのだろうか。しかし、それとは矛盾して相変わらず無防備に寝つく様子はちょっと可愛いなと感じました。まる。
――どんどんどん!
「ぬおっ」「ひゃっ!」「何だ!」「ウワッ」
突然、叩かれた扉に俺を始めテト、ルカ、ルーニィの順で跳ね起きる。
『アンタ! お客が来てるわよ! はよ起きんね!』
くぐもったダミ声が木製扉の向こうから響いた。女ギルド長のデイジー・マックス夫人だ。
『そんじゃ、ウチはこれで……』
彼女は外側で誰かにそう言うと、でかい足音を共に階段を降りて行った。
『アハハ、ご案内ありがとうございますぅー』
もう一人デイジーさんではない誰かの声もした。
「来客……? 誰だ?」
顔を見合わせ気まずそうな表情を浮かべる三人の夜這いたちを尻目に、俺は入口へと向かった。ぎぎぃっ。若干ガタのきてるノブを引く。
「よっす、おはよ。古谷くん」
隙間から大きな瞳を覗かせたのは、結構久しぶりに見た顔だった。
セミロングの黒髪ストレートに、色白の肌に目立つ泣きぼくろ。今日はセーラー服でこそないが、愛用の工具用デカバッグは肩からしっかりかけている。
「メル……。何の用だ……?」
にひーっと笑む彼女を通路外に押し出しながら問うた。後ろ手で扉を閉める。
コイツに女三人はべらせて、一緒に寝てましたなんて知られたら世間体とかが色々マズイ。
「はぁーっ?? 何、その反応。ちょっとは嬉しそうな顔しなさいよ! こんな美少女に朝から『おはよう』を言ってもらえるなんて最高だろっ★ オイオーイ」
俺を肘で突っつき、手をピストル形にして、胸元を『ばーんっ』と稚拙な擬音と共に撃ち抜いてくる。
……ぶん殴りてぇ。しかも、可愛い子ぶった仕草では誤魔化しきれない鉄と石炭と油の臭いが鼻をツンと刺してきやがる。
「分かったから。で、何の用? まだ朝の九時だぞ。平日の早朝に起こしに来るんだから、それなりの用なんだろうな?」
「平日の九時に仕事をしてないのはどうかと思うけど……。まぁいいや……。用ってのはね、この前のお礼だよ」
礼?と片眉上げる俺に、メルは人差し指立てて「そ、お・れ・い」と言って糸目に笑んだ。
「いやぁ、君がトバコから持ってきてくれた布地のお陰で、ようやく仕事に戻れるんだよ」
「いや、あれはもう報酬貰ったから良いんだが」
俺は手を横に振りつつツッケンドンに返した。
そう、俺たちがトバコまで出向いたのも、元はと言えばコイツが俺に依頼したからである。
台無しにした服を弁償するために、特殊な布地が必要だと。しかし、牢屋の中からじゃ用意できないから、代わりに買いに行ってほしい、と。
その道中で色々あってルカとルーニィという新たな仲間も増えたが、しかしトラブルにも巻き込まれた。
それでも、メルから貰った多額の報酬金でその埋め合わせは成っていたのだが……。
「ほんの気持ちよ気持ち! ったくこれだからドーテイは……もーちょっと素直になりなさいよねー」
やれやれ、とため息をこぼすメル。今、純潔の話は関係ネーダロ。
濁った眼になる俺をメルはぐいっと押し退ける。
「まっ、積もる話は中でしましょ。ホラホラ、部屋入れて」
「わっ! ダメだ! 今部屋に入ったら!!」
脇を通ろうとしたメルの前に立ちはだかる。今、部屋の中に入られると、三人もの女と寝ていたことがバレてしまう。
「ぬはは、だいじょぶだいじょぶ。ちょっとくらい部屋がイカ臭くても、アタシ気にしないから」
その綺麗な顔でそんな豪快なこと言わないでください、と失望しながらもガードは緩めない。
「もー、しつっこいわねぇ!! このッ――おりゃ!」
「はう?!」
腋刺しチョップをぶち込まれ、行動不能の状態異常を入れられる。
「ぐあぁあ……」
「甘いよ古谷くーん。さーてさて、男の子の汚部屋におっ邪魔しまーす」
強烈な一撃に悶絶する俺を尻目に、メルは扉を開けてしまった。
「ふわぁっ」「あうっ!」「ワァァ」
同時に、どちゃどちゃっと廊下側に三人の人間が倒れてくる。
どうやら部屋の中から聞き耳をたてていたらしい。
「待ってくれ、メル。別にいかがわしいことなどしていない。昨日の夜は一人で寝ていたはずなのだが、いつの間にか――」
メルの顔を見ると、ただただ唖然と床に倒れた三人の少女たちを見つめている。いや、よく見るとその注意は三人全員に向いているのではなく、その内の一人だけに。
「あ、アンタもしかして……ルカ?!」
そして、突如驚き声を上げるメル。
名前を呼ばれ、うつ伏せになっていたルカが、おもむろに顔を起こした。
藍色の瞳が俺の隣に立つ来訪者を捉え、瞠目した。
「め、メル姉っ?!」
瞳が大きく揺れ、彼女も驚愕の悲鳴を洩らしたのだった。