第六十六話 『カベドン』
「てめっ?! 何しやが――」
昼食をルカに台無しにされたと分かった途端、掴みかかっていた。
だが、俺の剣幕に対しルカは至って冷静だった。
「毒だよ、ユウト」
「…………は?」
意味の分からぬ返答に、動きが止められる。束の静寂。そんな所に誰かが駆け寄って来る足音を聞いた。
「……ひゃっ?! ゆーとさん!」
「っ……?!」
階段を登り切った所に息せき切って肩を上下させるテトが。
彼女の目には、ルカにほとんど殴りかかっている体勢の俺が映っていることだろう。
理由はメシを台無しにされたことへの、全うな行動なわけだが、そのシーンを見ていないであろう、彼女には誤解を与えかねない。
「いや、テト……! これは違うん――」
と、言いかけた所、テトの金髪が大きく跳ね上がる。
小柄な体躯が階段上から大胆な飛び込みを披露。その着地点にはちょうど俺が。
「ぬぉっ!!」
体重の軽いテトだが、十分な位置エネルギーを持ってのしかかられたので、バランスは容易く崩壊する。
「ゆゆゆゆーとさん!! さっきのオソバ食べてないですよね??!!」
息つく暇もなく、口に指を突っ込まれた。彼女の翠眼が、いつになく見開かれている。額には凄い汗、キツネ耳が緊張で直立している。
「だ、たべえあいよ……さっきルァが川に……! おぇ――」
危うく、色々リバースしそうになった寸前で、ルカがテトの首ねっこを引っ張った。
「テト、大丈夫だ。間に合ったよ。ユウトはさっきの市場のモノ、何も食べてない」
「うえぁっ?! そうなんですか! ホントですかっ?!」
まだ興奮覚めやらぬテト。ルカが襟を離せばまた飛びかかられそう。
息を整えるので、精一杯な所を無理してコクコクと頷いた。
「そ、そーなんですかぁ……ふぁぁ……よかった、ですぅ…………げほっけほっ」
ルカが解放すると、テトはへなへなと地面にくずおれた。その変わりようが先の切羽詰まった様子を際立たせる。そして、急な運動が災いしたのか、テトは何度も咳き込んでいた。
「説明してくれ、何があった」
テトの背中をさすっていたルカに、問う。その藍眼は全く動かず、しばらく反応がなかったが、やがて重々しく口を開いた。
「臭いだよ……」
「臭い?」
予想外の答えにオウム返しで聞き返してしまう。
すると、ルカはこっくり頷いた。声量に乏しい説明が力無くなされる。
「ああ。あの界隈の出店からは、なんか……こう、変な臭いが漂ってたんだ……」
「そうだった、か……??」
思い出す。数十分前、鏑木一行と出会った露店街を。街の食通が集うストリートというだけあって、様々な飲食店が軒を重ねていた。そんな故もあってか、色々な臭いが立ち込めてはいたが……。
「うーん、別段気になるような所はなかったけど」
「そりゃー、そうだろうさ。アレは一度嗅いだことが無いと、判別なんて難しいだろうし」
ルカは小さく肩をすくめた。俺はテトの方に目を向け、彼女が気が付いていたか無言で問うてみた。テトは、首を落としてかぶりを振った。
「私もまったく分かりませんでした……。ただ、ルカさんの様子が途中からオカシかったことには気付いてたんですけど……」
「ボクも最初は何の臭いか分からなかったさ。でも、あそこで売ってるものは、食べたらヤバイって感じて――」
と、そこまで言った瞬間、ルカの口の動きが止まる。次いで出てきたのは「そうだ……あの臭いは頭領が吸ってたモノと同じ……」という呟き。
「頭領? お前が前いた盗賊団が何か関係あんのか??」
気になる発言に追及するが、ルカはただ一人合点に終始している。
「そうか……! そういうことか……! だから、だから、あそこの露店はあんなに行列が……!!」
「おい、ルカ。何が何だってんだ? まったく意味分からん。説明してくれ」
ルカの肩を掴んで揺らす。
「いや、このことは……テトの前では、とても…………」
その瞳は何かを迷うように揺れ動いていた。
歯切れの悪い対応に若干、腹立たしくなる。
「はぁ?? んだよ、別にいいじゃんか!」
思わず、身体が前に出た。瞬間、ルカが小さな悲鳴を上げた。
きゃぅ、とかいう冗談みたいな声だった。
ふと、誰かの視線を感じる。横を向けば、茫然自失でこっちを凝視するテト。
「ん? ――んぐぁ……!」
喉の奥から変な声が出てしまった。原因は俺の手で壁に追い詰められた人物に気付いたから。
「く……あう……うぁ……」
耳まで真っ赤にして口をパクつかせる様には、不覚にも心が揺れ動いてしまった。
「――ハハハ、センパイってケッコー大胆なんですねぇ。でも、女の子相手に少々乱暴じゃないっすか?」
その様を随分可笑しそうに笑いながら近づいてくる人物が。
ロボットみたいな動きで首を動かすと、そこに居たのは数十分前に顔を合わせた金髪、もとい鏑木。後つけてたのか、という驚きが過ぎるが、それよりももっと重要な発言が引っ掛かる。
「お、おんなぁ……?」
ルカの足から頭までさっと目を走らせる。その不意な視線に、ルカは「ひっ!」と身を震わせ、唐突に我が身をかき抱いた。座り込むと、わななきながらこっちを睨み上げる。
「わっ、悪いか! この変態ユウト! しねっしねっ!!」
返事はイエスだった。
「あは……あははは…………」
テトが、乾いた笑い声を上げながら卒倒した。