九話 疑いの代償
□◆□◆
◇
武瑠たちは身を隠すため、定食屋跡へと戻った。
あれだけ騒いだのにバケモノが現れなかったのは、本当に幸運としか言いようがない。
「いろいろ言わなきゃいけないんだけど、まずは言わせてほしい。俺と直登を信じてくれてありがとう」
武瑠は、協力してくれることになった
七瀬桃香・物部由芽・皆本理
に、頭を下げた。
皆本はあくびをしている。
そのとなりで桃香と目配せしていた由芽が、こめかみを掻きながら武瑠へと向いた。
「神楽。正直に言えば私も桃香も、『バケモノ』の話を全部信用してるわけじゃないの。でもね、あんたと相模の必死な様子から、何か危ないコトが起きているっていうのは信じる。だから、あんたたちが知ってること、見てきたことを全部教えてくれる?」
「もちろんだ。キツイ話もあるけど……全部教えるよ」
苦い顔をする武瑠。
その辛そうな表情に気を使ったのか、桃香は話題を武東たちとのやり取りに戻した。
「神楽くん。さっきは島を脱出するとか言ってたよね。私たちは何をすればいいのかな?」
「さっきも言いかけたけど、俺と直登は船のカギを探してる。それを手伝ってほしい。 船長の中森さんも生きていてくれればいいんだけど……。もし中森さんの身に何かあったとしても、カギだけは回収しないと、島を脱出することも出来ないんだ」
武瑠は皆本の前まで行くと、持っていた木刀を渡した。
「なに? これで『バケモノ』と戦うの~?」
皆本は、手にした古い木刀から武瑠へ視線を移す。
「皆本は剣道部だったよな。だったらそれは、皆本が持ってた方がいいと思う」
皆本は剣道部たが試合には出たことがない。
マイペースというか、何事にもやる気を示さない彼は、部活を決めるのも鉛筆を転がして決めたという噂があるくらいだ。
だが武瑠は、クラスメイトで皆本と同じ剣道部の野宮一成から話を聞いたことがあった。
はっきりいって、皆本は全く剣道に興味はなく部活もさぼりがち。しかし、大した稽古もしていないにもかかわらず、部では1・2を争う強さなのだと。
試合に出ないのは、めんどくさいと言って逃げ回っているらしいのだ。
「ふ~ん。バケモノって、これで撃退できる程度のヤツなの~?」
それに答えたのは直登だった。
「気休めにしかならないかもな。アイツらは身体を光らせて……」
直登は、自分たちが見てきたバケモノの特徴を話し始めた――。
★
船までの帰路。武東良樹は苛立っていた。
ひとをバカにしやがって、なにがバケモノだッ!
頭に浮かんだ武瑠と直登に唾を吐く。
正直に言うと、武東は武瑠が苦手だった。
自分が短気なのは自覚している。なので、誰かと言い争うのは珍しいことではなかったが、そこに武瑠が絡んでくると気が気ではない。
『喧嘩両成敗』
そう言われて喰らうことになる頭突きの威力は殺人的だ。
だから、普段は武瑠に強く出ることが出来ない。
先程は直登と掴み合いになりそうになったが、内心は冷や汗ものだったのだ。
七瀬と物部も勝手なこと言いやがって、何様のつもりだッ!
俺は班長だぞッ!!
自分に反抗した桃香と由芽にもイラつくが、いま一番イラつくのは、まとわりつくようにして後ろを歩く兵藤だった。
「兵藤、あんたキョロキョロし過ぎよ。ウザったいからさ、いい加減やめてくれない」
武東よりも先に我慢できなくなったのは弥生だった。
「何度もいってるだろ? どこにバケモノがいるのか判らないんだ、本当に安全だと判るまでは、警戒しすぎるってことはないんだよ……」
ビクつく兵藤に、弥生は自分を落ち着かせるように深い深呼吸をした。
兵藤は武瑠たちと別れてからも常に周りを警戒していた。大袈裟過ぎると、武東や弥生が何度も言ったのだが、兵藤は聞く耳を持たなかった。
そんな態度が余計にふたりを苛立たせている。
「――きゃッ」
武東たちが建物の角を曲がったところで、最後尾にいた才賀名美が短い悲鳴を上げた。
「名美? 転んだの?」
弥生が立ち止った。武東たちも足を止めて、角を曲がってくる名美を待つ。
しかし、建物の影から名美が現れることはない。
「名美。ふざけてるならやめてよね、置いてくわよッ!」
弥生が声を荒げるが名美の応答はない。
「おい才賀ッ、面白くないんだよッ! いいかげんにしないと……」
瀬良勝徳が怒りながら角を戻り――その声が消えた。
ついに武東も我慢の限界を超えた。
「瀬良ッ お前までなにやってんだッ! ふざけるのもたいがいにしろよッ!」
怒り心頭で角を戻った武東は、信じられない光景を目にすることになった。
な、なんだ――コイツら……?
実際に見ているのに、その存在が信じられない。
大型犬ほどの黒い体に、不釣合いな長い腕と長い尻尾。
見たことのないバケモノが、瀬良の身体をがっちり抱きかかえており、その首から血を啜っている。
武東を見上げたその顔は、額に長い触角が生えたコウモリによく似ていた。
血の滴る鋭い牙で武東を威嚇したバケモノは、再び動けない瀬良の首筋にかぶりつき、ジュルジュルと音をたてながら血を吸いだした。
こ、コイツが、神楽と相模が言っていたバケモノー―なのか?
まるでB級ホラー映画のワンシーンのような光景に、武東は呆然と立ち尽した。
「むー―どうぐん……たずげで」
助けを求める擦れ声で、武東は我に返った。
「さ、才賀。おまえ……」
名美はバケモノによってうつ伏せに倒されていた。
太く長い尻尾。その針のような尖端が、スカートの上から名美の尻部を突き刺している。
バケモノの尾が動くたび、名美は苦痛に顔を歪ませた。
「い、痛いッ、いだいよぉ……。おねがい、だずけで、むどうぐん……」
バケモノを背負いながらも身体を引きずり、名美は涙と鼻水を流しながら必死に手を伸ばす。
到底届くはずもないその手が、すぐ傍まで来ているように感じた武東は、
「あ、ああ……。こ――に――くるな。こっ、こっちに来るんじゃねぇよッ!」
足をもつらせ、転びそうになりながら逃げ出した。
「み、道信っ、宇津木、バケモノだッ! に、逃げ……ひ、ひぃぃぃッ!」
曲り角を戻った武東。だが、驚きで尻餅をつく。
兵藤と弥生も、バケモノに襲われていたのだ。
「う、うそよ……こんなの夢に決まってる。ほんとうにこんなバケモノがいるわけ――ない……」
虚ろな目で空を見つめる弥生。彼女もまた、あおむけに倒されて下腹を刺されていた。
弥生は自分に言い聞かせるように「これは夢よ」と繰り返す。
それは、受け入れ難い現実だった。
兵藤はなんとか逃げ回っていたが、体を光らせたバケモノに体当たりされると同時に動けなくなる。あとは倒れたところをされるがまま、首から血を吸われてしまう。
それでもまだ死んではいないようで、口をパクパク動かしながら武東を見つめてくる。
「ひ……だ、だれか――ぁ。ひひ……ひひひひひひひ……」
武東は卑屈に笑っているかのような声を出し、四つん這いになって逃げ出した。
自分の獲物を確保しているからだろうか、幸いにも武東を追うバケモノはいなかった。
一颯や貴音、和幸のいる船まであと少しだったが、いまの武東は何も考えることができない。
自分がどこに向かって逃げているのかもわからない。
とにかくバケモノのいない場所。
耳について離れない弥生と名美の悲痛な声が聞こえなくなる場所を求め、ひたすら手足を動かすだけだった――――。
□◆□◆
読んでくださり ありがとうございました。