六十五話 『――ごめんなさい』
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――病院受付の奥、おそらく事務室だったであろう部屋。
そこの机をベッドの代わりにして聡美を寝かせていた。
トニトゥルスに喰いちぎられた左ワキの激痛に耐えられず、暴れもがいていた彼女が突然、まるで糸が切れたかのように力を失った。
「聡美? どうしたの聡美っ!?」
その突然の変化に一颯は青ざめた。
机の上だけでなく、床にまで大きな血だまりをつくっている出血の影響なのだろう。彼女の顔に生気はなく、目も虚ろで浅く短い呼吸を小刻みに繰り返している。
「真治……真治はー―どこ……?」
聡美は焦点の合わない目で、恋人である真治の姿を探す。
「坂木原くん? 大丈夫、きっとすぐに戻ってくるよ! だから、聡美も頑張って!」
一颯はそう言って聡美を励ました。
真治が武瑠たちと部屋を出てまだ二分も経っていない。
おそらく今の聡美には、一秒が十分にも一時間にも感じるのだろう。
「そっか……、あいつ大丈夫かな? 神楽たちの――迷惑に――なってないかな?」
聡美は途切れ途切れそう言って、真治たちが出て行ったドアへ目を向けた。
「もうっ! いつも聡美は人の事ばっかり心配して……少しは自分の心配もしなさいよ」
涙声の貴音に、聡美は青い顔で微笑んだ。
「こ、こればかりは性格だからね……。だから、みんなに煙たがられちゃうのかな?」
自虐的な笑みが寂しそうだ。
「みんなは篠峯さんの優しさを理解していないだけだよ。篠峯さんの言葉や行動はいつも正しいし、僕は感謝しているよ」
聡美には見えないように、止血しているタオルの血を机の下で絞っていた和幸が立ち上がった。
クラス委員長である聡美も、心臓の弱い和幸のフォローをしていた。
女子に世話されてしまうという男のプライドを考慮して、直接支えるような事はしなかったが、常に和幸の顔色を確認し、些細な異変でもすぐに佳菜恵や武瑠に報告していた。
その優しさは和幸にも伝わっていたのだ。
「高内は優しい――ね。でも、私はー―真治と付き合ってるって知ってる?」
「あらら。高内ぃ、気落ちしかけている女の子への口説き文句みたいだよ?」
こんな時でも場を和ませようとするのが聡美らしい。
その冗談に、あえて貴音も乗っかる。
「ええ~っ!? ぼ、ぼくはそんなつもりじゃ……」
恋愛事に免疫のない和幸は、顔を真っ赤にして口ごもった。
その様子に微笑んだ聡美だったが、小さく咳込んだとたんに大量の血を吐いた。
咳込むたびに口から血が溢れてくるが、吐ききれない血液が口の中に溜まってしまう。
彼女が暴れるのをやめたのは自分の意思ではなく、身体を動かす事も出来ないほど弱っていたからだった。
「聡美ッ、身体を横にするからねッ!」
このままでは血液で窒息してしまうと思った一颯は、聡美を横に寝かせる。
そのおかげで溜まっていた血液を吐き出しやすくなり、呼吸も出来るようになったようだが、聡美の状態はさらに悪化していた。
傷口からは変わらずに血が流れ出ており、呼吸もさらに激しくなって喉が笛のように鳴っている。
「聡美ごめんねっ! 私のせいで……本当にごめんねッ!」
泣きながら頭を下げる一颯。聡美はその手を優しく握りしめた。
「泣かないで、一颯の――せい――なんかじゃー―ないよ。友達だ――もん、た、助け合うのはあー―あたりまえでしょ?」
どこまでも気丈に振舞おうとする聡美だが、自分に残された時間は僅かしかないと悟っているようだ。
「それよりもね。真治に――伝えてほしいことが――あるの……」
おそらくはこれが聡美の最後の言葉になるであろう。
それを感じ取った三人は息を飲む。
「いつも、いつでも、わ、私の傍に――いてくれて、味方になって――くれて、あ ありがとうって……」
聡美は、ゆっくりとした瞬きの間に真治と付き合うことになったキッカケの日を思い返していた。
◇
篠峯聡美は絵にかいたような優等生だ。
その生真面目な性格ゆえに周りから疎ましく思われることも少なくなかった。
今でこそ一颯や貴音などといった心を許せる友人たちに囲まれてはいるが、小学校の高学年くらいから一颯たちに出会うまで、聡美に同性の友人はおらず孤独を抱えていた。
教室でも部活でも利用されるだけ……。
クラス委員や部長、生徒会では行事ごとに繰り返される教師たちとの打ち合わせなど、誰もやりたがらない仕事を「聡美になら安心して任せられるよ」と体の良い言葉で押し付けられていた。
そんな聡美の傍にいつもいたのが、幼馴染の坂木原真治だった。
到底ひとりでは捌ききれない仕事を押し付けられ、黙々と作業している彼女を黙って手伝っていたのだ。
もともと引っ込み思案で口数の少ない真治だが、聡美は長年一緒にいるだけあって大抵のことは目を見れば何を言いたいのかが解ってしまう。
時には、無言で手伝ってくれる真治にあたってしまうこともあった。
それでも真治は遅くまで学校に残って手伝ってくれる。そして、作業が終わると「がんばったね!」とでも言いたげに頭をぽんぽんしてきた。
真治の事はどちらかといえば好きだったが、当時の聡美にとってこれは我慢できないほど神経を逆なでする行為だった。
「いい加減にしてよ真治ッ、私は子供じゃないんだからねッ!」
『人に厳しくするからには、自分にはもっと厳しくあるべきだ』
誰にも弱さを見せてはいけないと思っていた聡美は、こんなことで「うれしい」と思ってしまう顔を見られたくはなかった。
しかし、何度怒っても真治は頭を撫で、恥ずかしそうな笑顔を見せる。
ある日、聡美は孤独に耐えきれず真治の前で涙を流してしまった。
自分の居場所なんてどこにもない
聡美の生真面目だと言われてしまう性格は、先生などの大人たちには好評でも、同級生からは悪評だった。
本当は、時には自分も同性の友人たちとバカ騒ぎをしてみたいとは思っている。でも、それは性格上出来なかった。
そんな自分の性格が恨めしいと愚痴ってしまったら、それが止まらなくなったのだ。
真治は黙って聡美の愚痴を最後まで聞いていた。そして――
「まだ本当の意味で気の合う人と出会っていないだけで、聡美ちゃんが悪いわけじゃないよ。だから、聡美ちゃんの良さを解ってくれる人が現れるまで、聡美ちゃんが一緒にいて心から楽しいと思える友達に出会えるまで、僕が……」
そこまで言った真治は聡美の頭に手を置き、
「僕が聡美ちゃんの居場所になってあげる」
恥ずかしそうな笑顔で、いつものようにぽんぽんと頭を撫でた。
それは聡美の神経を逆なですることはなく、あれほど荒れていた気持ちが静まって、心が穏やかになる心地よさだった――。
◇
「もういちど、真治の顔が見たかったな……」
微笑む聡美の目じりから、ひとすじの涙がこぼれ落ちた。
「きっともうずぐ帰ってくるさ! だからがんばってよ。一緒におかえりって言ってあげようよっ!」
黙っていられなくなった和幸が聡美を励ます。
貴音も何か言いたげに口を動かしているが、溢れ出てくる涙で言葉が詰まり、声になっていない。
「無理だよ……。だって、もう――目の前が真っ暗で――なにも――なにも見えないんだもの……」
聡美は、一颯の手を握ったままゆっくりと腕を上げた。
「か、一颯、どこ? まだそこにいる?」
不安気な声で一颯を探す。
触れているという感覚もなくなってきているのだろうか。
「いるよ聡美っ! 私はここにいるよっ!」
一颯は手を思い切り握りしめ、大きな声で聡美を呼んだ。
「よかった……」
聡美は安堵の表情をうかべた。
「真治に――伝え――て。あなたはとても――居心地が良かったっ――て。真治のおかげで――私は幸せだったって。そ、それと……」
聡美はスカートのポケットに手を入れる。そして――その身体から力が抜けた。
その顔は嬉しそうに微笑んでいる。
聡美が何を思い浮かべているのか、一颯はそれを知っている。
「聡美……? だめだよ聡美ッ、死んじゃだめえッ!」
一颯は友の身体を揺らし、何度も名前を呼ぶが、それに篠峯聡美が答えることはなかった。
三人は懸命に蘇生を試みるものの効果はなく、痛々しい傷口から血液が流れ出るだけだった――――。
★
真治は口をはさむことはしなかった。
黙って一颯の話に耳を傾けて、涙を流している。
先程まであった強烈な殺気もすでになく、そこにいるのはただの男子学生。
愛しい恋人を喪い、八つ当たりで友人を殺し殺そうとしてきた、憐れなただの男の子だった。
「坂木原くん。聡美が、これを渡してほしいって……」
一颯がスカートのポケットから取り出したのは、手の平ほどの大きさの、くしゃくしゃになってしまった紙袋だ。
真治は震える手でそれを受け取る。
「これは?」
戸惑う真治に一颯は微笑む。
「聡美の代わりに、私が言ってもいいかな?」
「な、なにをさ……?」
「HAPPY BIRTHDAY、坂木原くんっ!」
「……え?」
場違いだと解りつつも照れながら笑顔で手を叩く一颯に、真治は面食らう。
「今日は、坂木原くんの誕生日なんでしょ?」
「あ」
ようやく理解したらしい。
「それはね、今日の為に聡美が用意したプレゼントなんだよ。聡美から……」
一颯は言葉を詰まらせて涙を拭う。
「この修学旅行の前にね、聡美からプレゼントは何がいいかなって相談されて、買うのにつき合わされちゃった。でも、選んだのは聡美だよ。あれがいいかな、これがいいかなってすごく――悩んで。大好きな、坂木原くんを想って……」
その時の聡美を思い出した一颯から、再び涙が溢れる。
紙袋には「誕生日おめでとう!」と手書きのメッセージが書かれてある。
それを見つめる真治が、固く目蓋を閉じてうつむいた。
「ぅ――そだ……」
その低い声はよく聞き取れない。
「真治……?」
その様子に、嫌なものを感じた武瑠が一歩踏み出す。
「うそだ……。嘘だッ、そんなの嘘に決まってるッ!」
顔を上げた真治は一颯を睨みその肩を突き飛ばした。
短い悲鳴をあげて倒れる一颯。
「三島さん危ないッ!」
武瑠が駆けつけるよりも早く、真治は一颯の髪を掴んで引き起こしいた。
「そういう作り話をすれば、殺されずに済むと思ったのなら……、それは甘すぎるんじゃないのかな!? 三島さんッ!」
真治は眼前で一颯を睨む。
「その手を離せ真治ッ!」
武瑠は真治に掴みかかるが、あっさりと避けられてしまう。
だが、避けた真治は一颯を手放していたため、この隙に二人の間に割って入る。
真治は回し蹴りを放ってくるが、脳震盪の影響が尾を引いているのか鋭さが全くない。それでも武瑠には避けるだけで精一杯だ。
武瑠は真治の顔を目がけて拳を放つ。
まともに当たるとは思わないが、動けない一颯から離すためには手を出さなければならない。
「え!?」
派手に弾かれた真治に、武瑠は我が目を疑った。
「な、なんで……?」
右手に残る感触が信じられない。まさか、まともに当たるとは思っていなかったのだ。
「まだだッ、誰も逃がすものかッ! みんなこの島で死んでしまえばいいッ!」
体勢を立て直して叫ぶ真治に、武瑠は戸惑う。
鋭い眼光はそのまま。だが……なんと言えばよいのか、今の真治からは殺気を感じない。
身体中の産毛が逆立ち、心を突き刺してくるような強烈な殺気が消えている。
「真治、おまえ……」
武瑠の言葉を遮るように、真治が突っかかってきた。
「うわっ! とと……」
繰り出される拳や蹴りを武瑠は躱す。
やはり、動きにキレもなければ気迫もない……それどころか、武瑠が殴り返せる隙を与えているようにも見える。
「どうしたのッ、なんで殴り返してこないのさ!? 僕はもうすぐちゃんと動けるようになるんだよッ!? もう神楽くんの頭突きだって通用しないし、誰もこの島から出してあげるもんかッ! 僕に止めを刺すのなら、今しか機会はないんじゃないのっ!」
大きな動作で振りかぶった真治の拳を――――武瑠はあえて避けなかった。
「なッ!?」
驚きの声を発した真治の拳は――武瑠の顔前で止まっていた。
真っすぐ自分を見据えてくる武瑠の眼差しを、真治は震えながら受け止めている。
「……やっぱりな。 真治、おまえ死にたがっているんじゃないのか?」
武瑠の言葉に真治は後退る。
それは、武瑠の直感を裏付けるには十分な反応だった。
「真治、一緒に帰ろう。俺たちは生きなきゃだめなんだ、生きて……」
「帰れるわけないよッ!」
真治が叫ぶ。
「僕が何をしたか解ってるでしょ! 高内くんを殺したんだよ? 彼だけじゃないッ、武東くんだって殺したし……、神楽くんたちのことだって殺そうとしたんだよッ!」
叫ぶたび、涙が流れるたびに、真治の心に巣食っていた〝悪鬼〟が追い出されていくようだ。
「人殺しの僕はここで死んだ方がいいんだッ! 帰っていいわけないッ、生きていていいわけないよッ!」
そこへ人影が走り込んできた。そして――乾いた音とともに真治の頬が打たれた。
唖然とする真治の前には佳菜恵が立っている。
「死んだ方がいいなんて……そんな、そんな悲しいこと言わないでッ!」
彼女の哀しい瞳が真治を射抜く。
「みんな……生きていたかったんだよ? 友達と笑ったり、泣いたり、恋をしたり……。これからいくらでも楽しくできる人生があったはずなのに、全ての可能性が奪われちゃったんだよ? なのにッ、なんで自分は死んだ方がいいなんて言えるの!? 坂木原くんはまだ生きてるじゃないッ、みんなが奪われちゃった可能性が、あなたには残されているじゃないッ!」
佳菜恵に胸を掴まれて乱暴に揺らされるが、真治に抵抗の意思はなく、されるがままになっている。
「逃げないでよっ! 死んで苦しみから逃れようとするなんてただの甘えよッ! 悪いと思っているのなら、本当に申し訳ないと思っているのなら、これからどう生きるべきなのか……それを一生かけて考え続けなさいッ!」
涙を拭おうとした佳菜恵がそのまま崩れていく。
「お願い坂木原くん……。もう誰にも 死んでほしくないの……」
地に手をついた佳菜恵は大声で泣く。
「せ、先生……」
真治も膝をついた。そして――
「若狭先生……僕は……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
泣きながら土下座をし、何度も、何度も謝る……。
佳菜恵は地面で頭を擦るように謝り続ける真治の肩に触れ、もう片方の手で声を押さえながら何度も頷いた。
聡美や和幸たちがこの光景を見たらなんと言うだろうか? そんなことを考えていた武瑠の手を一颯が握った。
武瑠はバランス悪く立つ一颯を支えようとしたが、彼女は「大丈夫だよ」そう言って少しだけ握る手に力を入れる。
「きっと、聡美たちも喜んでいるよね」
一颯は佳菜恵と真治の姿に目を向けながら、涙を拭って微笑んだ。
「うん。俺もそう思う、きっと……いや、間違いなく喜んでいるよ」
武瑠もそう確信している。
そして、微笑みをくれる一颯の――その温かい手を力強く握り返した。
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