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五十六話  誰も傷つけたくないから・・・

 □◆□◆


 ◇



 昔は資材運搬用のフォークリフトが何台も入っていたのだろうか。

 港まで来た皆本は、薄い鉄板の扉が崩れ落ち、大きな入り口が開いている建物へと桃香が入って行くのを見た。


 それに続いて中へ入ろうとする由芽の後ろ姿。


 しかし建物の中からは、桃香と入れ違いにあの『ギガンストルム』が現れてしまう。

 由芽は急ブレーキをかけるが足はすぐには止まらず、最悪な事にギガンストルムの目の前で止まってしまった。


 右腕を振り上げたギガンストルム。

 その長い爪に絡んでいる、血に染まったワイシャツがはためく。


「由芽ッ、そこでしゃがめッ!」


 後ろからの声に反応した由芽は、頭を抱えてその場にしゃがんだ。


 振り下ろされたギガンストルムの爪を、追いついた皆本の木刀が弾く。


  ぐッ!


 皆本の左腕に激痛が走った。

 傷が開いたのだろう、包帯代わりのワイシャツにじんわりと血が滲んでくる。


「今だッ、下がれ由芽ッ!」


 皆本は連続した攻撃を繰り出して、ギガンストルムを由芽から離す。


「ありがとう皆本ッ、桃香は私が連れてくるからッ!」


 立ち上がった由芽は建物の中へと駆けて行った。



 木刀を避けたギガンストルムが、皆本を切り裂こうと左の爪を振り下ろす。

 身を引いて躱した皆本だったが、相手はそれを読んでいたかのように右の爪を構えていた。


  速いッ!


 受け止められるような半端な力ではない。

 皆本は力を逃がそうとそのまま後ろへ飛んだが……避けきれそうになかった。


 そこへ――


「皆本おおおッ!」


 走ってきた勢いそのままに飛び上がった武瑠が、ギガンストルムへ棒を振り下ろす。しかし――――


 ガチっと皆本への追撃を止めた爪が、武瑠の棒を止めていた。

 ギガンストルムは手首を返して棒を掴むと、あっけなく半分に折ってしまう。


「離れろ神楽ッ!」


 地面に背中をついた皆本が青ざめる。


 ギガンストルムは次の攻撃の為、すでに左腕を振りかぶっていたのだ。


「まだ終わんないんだよッ!」


 躱すことは出来ないと悟った武瑠は、半分になった棒をギガンストルムの左眼に突き刺す。と同時に――


「ぐぁッ!」


 振られた左手に吹っ飛ばされ地面に転がった。


 追撃はない。


「ガアアアアアッッッッッ!」


 両手で顔を覆ったギガンストルムは、痛みで暴れもがいている。


「くっそ、脳までは届かなかったかッ!」


 武瑠は、わき腹を押さえて立ち上がり舌を打つ。


 左眼に刺さった棒を引き抜こうとするギガンストルムに、


「そうはさせないッ!」


皆本が追撃をかけた。



  神楽とならコイツを倒せるッ!


 皆本は木刀を握る手に力を込めた。

 考えたことは武瑠も同じだったようで、棒の片割れを拾い上げると、防戦一方のギガンストルムへと向かう。


  先にこのバケモノを殺るッ!

  それまで無事でいてくれッ―――― 由芽っ!


 しかし、建物内から響いてきた由芽の悲鳴が、そんな皆本の願いを壊した。


 焦る皆本の剣筋が鈍りだす。それは、動きを取り戻しつつあるギガンストルムの前では致命的になりかねない。


「神楽ッ! 頼むッ、由芽を 由芽を助けてやってくれッ!」


 叫ぶ皆本の声に、ギガンストルムへ向かう武瑠が足を止めた。


「コイツは俺が引き付けて離しておく……いや、コイツは俺が倒すッ! だから、神楽は由芽を……由芽を守ってくれッ!」


 本当は自分が行って由芽を助けたかったのだが、武瑠の方が入り口に近い。

 それに、行きたくてもこのギガンストルムが相手では簡単に行かせてくれそうもない。


 武瑠は戸惑いを見せたが、それも一瞬の事。


「わかったッ、そっちは任せたぞ皆本ッ!」


踵を返して建物の中へと駆けて行った。


「さ~てと、場所を変えようか~? ちゃんとついて来るんだぞ~」


 横目で武瑠を見送ると、皆本は交戦しつつ移動を始めた。



「このトニトゥルスを倒す!」という気合いは十分だが、結果が伴うとは限らない。

 自分が敗れてもみんなが――――由芽が逃げられる時間を稼ぐために、少しでもこの場から離れたかった。



 思惑通り、ギガンストルムは皆本を追い始める。


「よ~し、いい子だね~……」


 口もとが弛む。

 力のある爪をいなし、皆本は少しずつ港から離れるスピードを上げていった。



 ◇



 桃香が入って行った建物。


 壁伝いに走った桃香は階段を駆け上がり、その後を由芽が追う。

 途中で散乱するゴミに足を取られて何度か躓いてしまったが、由芽は桃香を見失わないようにと懸命に走った。


 4階分も上がっただろうか。左右に会議室・休憩室・仮眠室などと書かれたプレートが下がる廊下に出た。


 その一部屋に入った桃香は引き戸を閉める。

 追いついた由芽が戸を引くが開かない。室内からカギをかけられてしまったようだ。


「桃香ッ、開けて! ここを開けてよ桃香ッ!」


 戸を激しく叩く由芽。


「来ちゃダメぇぇぇッ! 由芽、お願いだからみんなのところへ戻ってッ!」


 引き戸越しに、桃香の悲痛に満ちた叫びが響く。


「良かった、正気に戻ったんだね! 戻ろう。私と一緒に、みんなのところへ帰ろうよ!」


 我を失ったかのように走り出した桃香だったが、会話が出来ることに由芽はとりあえず安堵した。


「……もう無理だよ」


「え?」


 桃香の涙声に、由芽の表情がくもる。


「……私ね、モウ違うノ。ワタシじゃない何かにナッチャったの……」


「そ、それはトニトゥルスのせいだよ! 大丈夫っ、私が助けるからッ、あんなバケモノは、私が桃香から取り出して見せるからッ!」


 涙声を詰まらせた由芽はさらに続ける。


「お願い、ここを開けて……桃香がいなくなっちゃうなんて、そんなの……そんなの嫌だよっ!」


 親友を想う心が滴となって溢れ出し、汚い床に幾つもの輝く染みをつくった。


「……ありがとう、由芽。でもね、もう無理なの――」


 か細い桃香の声。

 由芽が何かを言う前に、引き戸越しの桃香は衝撃の告白をつげた。


「――だって私のお腹からはもう……トニトゥルスの手が出ているんだもん」


 由芽は頭を鈍器で殴られたような感覚に襲われる。


「だ、だったらなおさらだよ! 神楽が言ってたよ、トニトゥルスを取り出した弥生は、元の弥生に戻ったって! きっとまだ間に合うんだから、早くここを開けてっ!」


 引き戸を取り外そうとするが、カギがかかっているため上手く外せない。

 焦る由芽は、なんとか戸を外そうと体当たりを始めた。



 中から引き戸を押さえる桃香は、


「由芽っやめてよッ、こっちに来たらモウ自分ヲ押さえきれなイ! 血がホシイのッ、由芽の血が欲しくてタマラナイぃぃぃッ! いやッ! 違うッ、そんなこと望んでないッ! あア゛ア゛ア゛……血が……血ガアアア……」


 別のモノに変わってしまう自分と戦いながら必死に訴えた。


  死にたくない、助かりたい……


 桃香は泣いていた。


 由芽がトニトゥルスを取り出してくれるなら、こんなに嬉しいことはない。


  でも由芽の顔を見ちゃったら、きっと襲いかかっちゃう……


 実を言えば拘束を解いた時、桃香には自我が残っていた。


  それでも由芽を突き飛ばしてしまった……


 さらに、首筋に噛みつきたくなる衝動にも襲われた。

 喉は唸るだけで言葉を出してはくれない――だから逃げたのだ。


 誰も傷つけたくないから、大好きな由芽や『仲間たち』を困らせたくなかったから……。

 自分の事は、自分で決着をつけようとここまで来た。


  なのに……


「なんデわかッテくレナイのよぉッ!」


 桃香は吠えるような声で叫んだ。と同時に、不意に体当たりの振動が止んだ。

 代わりに引き戸の向こうから争うような音が聞こえる。


「――ゆ、由芽……?」


 桃香が戸に耳を当てた時、廊下に由芽の絶叫が響き渡った。


 慌ててカギを外し、引き戸を開いた桃香は息を飲む――。

 ヒト型のトニトゥルス『ルベルス』が、由芽を襲っていたのだ。


「出て来ちゃダメッ、部屋に戻って桃香ッ!」


 噛みつこうとしてくる顎を手で押さえ、そう叫んだ由芽の右の太ももが血に染まっていた。


 突然現れた桃香に驚いたのか、ルベルスは由芽から離れてうなる。

 その爪からは血が滴っていた。


「由芽も部屋に入ってッ!」


 桃香は後ろから由芽を抱え、引きずりながら部屋へと戻っていく。

 そこへ、ルベルスが牙を剥いて追ってきた。


「あなたまで来なくていいのッ、あっちに行ってよッ!」


 桃香は引き戸を閉めようとしたが、ルベルスは割って入って来た。

 その勢いで戸は外れてしまったが、桃香は倒れてくる戸の向きを変えてルベルスへと倒す。


「今よ由芽ッ、逃げてッ!」


 倒した戸でルベルスを押さえる桃香。


 しかし、由芽は太ももを押さえて身を縮めている。

 引きずった時に傷が開いてしまったのだろう。足から流れる赤い血が床にまで広がってきていた。


 押さえられていたルベルスが戸から抜け出す。

 そのまま由芽へ向かおうとするが、


「行かせないんだからッ!」


 その前に桃香が立ち塞がった。


 そんな桃香を避けるように、回り込んで由芽へと向かおうとするルベルス。


 桃香は腕を広げてトニトゥルスと向かい合い、由芽を守った。



 桃香の腹部からはトニトゥルスの手が突き出ている。


 ルベルスは動きを止め、桃香の腹部を見ながらクンクンと鼻を鳴らし、「なぜ仲間に邪魔をされてしまうのか?」と言いたげに首を捻った。



 なんとしてでも由芽を守りたい桃香だったが、その気力もすでに限界だ。

 不思議な事に、腹部を破られているにもかかわらず痛くはない。

 それに、身体もまだ動く――。

 ――限界なのは欲求を押さえる精神力の方だ。


 後ろから、由芽の香ばしい血の匂いが鼻腔をくすぐる。

 ちょっとでも気を抜いてしまうと、ふり返って由芽を襲ってしまうだろう。

 血をすすり、柔らかい肉をむさぼってしまいそうなのだ。


  いやッ! そんなこと絶対にしないッ!


 その心とは裏腹に、桃香の狂気は由芽を欲している。


「も、桃香――に、逃げて……。動けるなら、今すぐ、今すぐ逃げてッ!」


 搾り出す由芽の声に、思わず桃香は振り向く。



 由芽はその姿に言葉を失った。


 桃香は――――泣いていた。

 腹部から右腕らしきものが突き出ている桃香は震え、真っ赤な血で染まったかのような赤い眼からはとめどなく涙が溢れ出ている。


「由芽――ワタシもう――無理……」


 そんな桃香に、厳しい視線を送った由芽は、


「何度も言わせないでよ。帰るのよ……。ふたりで、みんなのところへ帰るんだからッ!」


足の激痛に耐えて立ち上がった。

 助かる事をあきらめかけている桃香にも奮起してほしかったのだ。しかし――――


「ごめん、ごめんね由芽……」


 唇を噛み、謝りながら微笑む桃香。


 嫌な予感が走った由芽は手を伸ばす――――が、


「わあああああああああッ!」


走った桃香はタックルでルベルスを捕らえた。

 そのまま肩で持ち上げると窓へと向かう。


 そして――――ルベルスを抱えたまま、桃香は窓を突き破った。



 ◇



 上から由芽の悲鳴が聞こえたが、


  これでいい……


 桃香は満足気に微笑んだ。



 お腹のトニトゥルスが産まれた場合、まず手近な母体を喰らって成長するのだということは〝本能〟のようなもので感じていた。

 あの場を切り抜けられたとしても、自分はもう助からないとわかっている。


  あのままだと、由芽まで死なせることになっちゃう……


 自分を助けようとしたために、美砂江が犠牲になってしまった。由芽までも犠牲にしてしまっては死んでも死にきれない。


 外へと投げ出されたルベルスは桃香から離れ、空を掴むようにもがいている。


 高さを考えればルベルスも桃香も、そしてお腹のトニトゥルスも即死だろう。

 これで、このルベルスや自分が仲間たちを襲う心配はない。


  ありがとう。由芽……


 目を閉じようとした桃香の目に――――恋する直登の姿が映った。


 直登は政木に肩を貸しながら、顔を上げて桃香を見ている。

 その悲痛な表情に、


  直登くん……


赤い眼から溢れた涙が舞い上がる。

 彼には言いたいことが沢山あったのだ。


  ごめんね直登くん

  怒られて当然だったね……仲間を傷つける事を言ってごめんなさい

  本当は、私も佳菜恵ちゃんや高内くんを大切な仲間だと思っているんだよ


  それとね……


 地面まではあとわずか。先に落下したルベルスが血飛沫を撒き散らす。


 桃香に恐怖はない。

 ただ哀しげな笑みを浮かべ、心で想いを伝えていた。


  わたし七瀬桃香は

  あなたを……直登くんのことが好きでした――――。


 ◇



 なんとか立ち上がる由芽。

 窓枠に手をかけた時に、外から伝わった鈍い音と振動。


「も、桃香……。い、いやぁぁぁぁぁぁッ!」


 由芽は外を見ることが出来ず、その場で泣き崩れた。



 桃香がああしなければ、ふたりとも死んでいたに違いない。

 それでも桃香を助けたかった。生きていてほしかった……。

 涙がとめどなく溢れ、心のままに由芽は泣く。




 桃香は少し臆病で、優しい女の子だった。

 それ故に、バトミントンの試合でも今一つ結果を出すことが出来なかった。

 強豪選手と対戦すると、どうしても気後れしてしまうのだ。


「部活で一緒に練習している時はもっと強いのに……」


 と由芽は何度も喝を入れたり、時には強く叱ったりもした。


 そのたびに桃香は、困った顔をしたりねたりする。


 競い事には向かないが、由芽は桃香の女の子らしい可愛らしさが大好きだった。




「桃香ぁぁぁ……」


 親友が死んだなんて信じられないし、信じたくもない。

 だから、窓の外を見ることが出来ないでいる。



「物部さんッ、七瀬さんッ、どこだ!? 返事をしてくれッ!」


 廊下から武瑠の声が近づいてきたが、今の由芽にはそれに答えられる気力はなかった……。


 □◆□◆


読んでくださり ありがとうございました。

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