第十三章 学
朝六時に起きて、朝十時五十分ごろ家を出る。母さんは「そんなに早く起きなくてもいい」と言っていたが、僕としては何か失敗があってはいけないと、いつも以上に格好に気を配っていた。前までの僕なら、決してそんなところに気を配ることなどなかったのだが、彼女の存在に気付いてからというもの、妙に気になってしまっていた。なぜなのだろう? 今まで僕が知らなかった、何かが始まったような気がする。
昨日慌てて買ってきた洋服とスカーフは、ある芸能人がすすめていた店のものだ。全身鏡の前に立って、ポーズを決めてみる。ふむ、なかなか似合う。
「あら、あんたもそんなことするようになったの。好きな子でもできたの?」
母さんに見られていたと知ると、赤面して洗面所へ向かった。
「真っ赤な顔しちゃって。どんな子なのかしらね」
ふん、好きな子だと? 恋などという人生において全く必要のないもの、僕がするわけがないじゃないか。
でも、本当に、僕らしくない。鏡の前でポーズを決めるなんて。
僕は冷たい水で、ぱしゃぱしゃと顔を洗い、目を覚ませ、というように何度も顔を叩いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。好きな子とうまくいくといいわね」
母さんがリビングからそう言った。
長野とあの、あの女の子……福山 佐奈恵と言ったか、福山
さんはまだ来ていないだろうな。
「森沢ー」
驚いた。もうあいつは来てたのか。噴水の前でポケットに手を突っ込みながら僕の方を向いた。
「やあ……」
答えようとそう言うと、なんだか眉間がかゆくなって、少しかいた。
「もう来ていたのかい。早いな」
すると長野はにやっとしながら答えた。
「あぁ。今は十時五十五分くらいだ。お前は必ず五分前には指定された場所に来る男だからな」
感心した。
「前よりだいぶん賢くなったな」
褒めたつもりだったが、長野は顔をしかめた。
……まだ福山さんは来ないのか。
心配になって長野に聞いてみた。長野はもう少しで来るだろうよ、と言い、それから五分経った。
「長野さーん!」
彼女だ!
動機が速くなっていた。こんな気持ち、初めてだ。なんだろう……。
キラキラした笑顔で、彼女は長野に何かをたくさん話している。その笑顔に見とれて、話など全く耳に入らない。それに、制服以外の彼女はとても、かわいい。あまり派手に飾らず、「流行」という言葉を全く知らないような、浮世離れしたような服装、雰囲気だ。一つ結びは相変わらずで、藍色のきれいなリボンのゴムをつけていて、やはりそれもかわいい。かわいい? いつから僕はそんな思いを持つようになったんだ?
「森沢さんも、一緒なんですか?」
不意に名前を呼ばれ、少しうろたえたが、なんとか答えた。
「あぁ……」
少し無愛想に映ってしまったか。だが、そんな心配もよそに、彼女は相変わらずキラキラした笑顔で、
「じゃあ今日はよろしくお願いします。さっ、行きましょ!」
と言って、長野の手を引いた。
その瞬間、妙にカッと顔が熱くなった。なんだろう、この複雑な感情は? 僕が彼女の隣にいたいのに。……なぜ? 自分が自分でわからなくなるなんて。まったく、ばかげた話だ。なんてことだ。
……それからしばらく、森沢は自分の感情をわからずにいた。……