存在不確定
「例ひばこのカフェーにて、茶を嗜むあの男。あの男の正体はなんだと思う?」
「そのやうに問いかけるという事は、人間ではないのだろう。なにかの犯人かあるいは物の怪か」
ぷうかりと、煙草をふかした男は問う。答えたところ、くっくと嘲笑って答えを述べた。
「さぁてな、知らぬ」
「回答を知らぬのであれば、それは問題ではなくなる」
「私は君に問題を渡したのではない、問いかけを渡したのだ」
夕暮れも過ぎ行く時間帯。ガス灯にはとうに火は灯され、橙色の光がちんまりと辺りを照らしている。小さな光と嘲る輩も一人や二人もいたかもしれぬが、提灯を持たずとも外出できると言うのはとても便利なものだ。なにせ強盗に襲われても、身を守るための刃が持てる。
狭いカフェーの店内では、可愛らしい女給が所狭しとお盆を手に駆け回っている。男は片手を挙げて、珈琲のおかわりを頼んだ。女給の去り際に自然に臀部に手を回していたが、女給は慣れ切った様子で何事もなかったかのやうに振る舞った。
「して、問いかけならばその意図は?」
「…………我々は彼の正体をあずかり知らぬと言うところだ」
「そうだろうな、君も僕も、彼についての正体は知らぬ。もしや彼は軍部の人間である可能性も考えられる」
「そもそも彼は人間なのか」
「さて。神かもしれぬ」
「妖怪かもしれぬ」
妖怪だとしても、皆一様に人間離れした格好をしているわけでもあるまい。もしかすると僕の首は途端ににゅうるりと伸びる可能性だってあるのだから。我々は彼に確認するまでは、彼の存在が一体なんであるのかを確認することはできない。
「なんにも決めることができないのではないでせうか」
「そうだな」
男は、さは重き事実であると頷いた。煙草は珈琲を嗜むために火を消した。残りの煙が細々と上がっている。会話が、問答が止まってしまったが、それではカフェーに来ている意味がなくなってしまう。一人でただ喉を潤すだけならば、そこらの水たまりにでも頭を突っ込んでおけば済むという話である。思考を泥のままに保つのは面白くはない、泥のような同じように濃い色合いでも、香りも多種多様である珈琲を啜る方が何千倍もマシだろう。空が美しいのは、ただ一色の絵具を塗りたくったからではないのだ。
「意図が存在の不確定性と言うのならば、現は見渡す限り幽霊にて埋まっているのに等しいのではないでせうか」
「それもそうだ、微動し続ける存在など醜くて仕方がない。水につけた絵具のように曖昧模糊だと印象しか残らない」
「否定するわけではないですよね?」
「もちろんだとも、唯物にしろ唯名にせよ、その存在はまず必要だとは思わないかね」
すべてを否定するわけではない。存在はまず存在しなければならない。一つも確かでないならば、僕は誰だ、貴方は誰だ。
「名前も知らぬ、存在も知らぬ。今のままでは箱の中」
「まずは聞かねばならぬか」
このまま存在を存在するとも言えぬまま存在について語ろうとも、ただの尻尾巡りにでもなりそうで、さやうなことは、僕は二つの時に卒業したために彼の言葉に賛同した。沼の中から現れた保証すらどこにもないのだから。
二つ離れた机にて、存在不確定要素は新聞を読んでいた。いくつか黒塗りのそれは、近頃のものにしては黒が少ないようで尻尾を振る記者が多くなったのだろうかと残念がる他僕にはない。
「申す申す」
男が声をかけると、存在不確定要素は新聞を折りたたみ、僕らの方を向き、人差し指で人を指した。
「ああ、君たちは少し声量を押さえばいい。ここは山奥ではないのだから。顔を突き合わせて囁くがよい」
「それはたいへん申し訳ない。物の怪と疑ってはいたが、本意ではないのだ。しかし聞いていたのならば話は早い。貴方は何者なのだろうか」
声の大きさを注意され、男と僕は顔を見合わせて、頬を掻いた。存在不確定要素は、えへん、と偉そうに咳払いをして僕らの注意をひきつけると、尊大なる面持ちで告げるのだ。
「某は、ただの神だ。ほんの数分の神社にて、縁結びを生業としておる」
「……神様も、女性の臀部に興味があるやうで」
様子を伺っているときに、こっそりと行っていた右手の無礼を揶揄すると、神様は照れ笑いをした。照れ笑いをするついでに口から花を出したが、これはいわゆる神通力といふものか。
「見られてましたか。縁を結ぶ仕事をしていると、自分自身、寂しくなってしまいましてねぇ」
女給の冷たい目に居心地が悪くなったのか、神様は立ち上がり金を置いて出て行った。ふ、と机の上を見てみると、置いたはずの金は、ただの葉と化していた。
神なのか狐だったのか、あるいは手品師だったのか。はてさて、目で見て耳で聞いてもわからないことはあるのである。
人里に下りてきてよかったと、僕はそっと臀部を押さえた。あるはずのない尻尾がそこにはある。
読みづらいと感じられましたら、まことに申し訳ございません、とわたくしめはただただ謝ることぐらいしかできません。
ぎうぎうと詰め込まれた文字といふのは、紙ならばともかく液晶ならば滑ってしまうことでせう。媒体にあった文字の書き方といったものがあるとございますので、次からは今までどうりに書き連ねていきたい所存でございます。