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スーツケースは開けない

 正月にも帰省したのだが、半年もたたずにまた帰省することになろうとは思わなかった。

 余裕を持つために早めに出たが、早く家を出すぎた、と駅のホームで少し後悔した。時計を見上げる。特急がくるまでは、まだ二十分もある。なにも食べるつもりはなかったのだが、こうなると話は別である。特急の中で食べる朝食を探しに駅をさまよった。

 がらがらと小さなスーツケースを引きずりながら、構内を歩き回る。今日はとくになにもない平日で、ラッシュ時間とはずらしたとはいえ周りはスーツの奴らばかりだ。そんななか、ラフな格好の俺は浮く。いつもならスーツ側の俺だけれど、有給休暇を取ったのでスーツではない。

 コンビニで、おにぎりを一つ、水を一つ、そして煙草を購入した。昨今、煙草がどんどん高くなっていくため、一つ買うだけで財布が小さな悲鳴を上げる。ライターは……持っていない。ぱたぱたと全身を軽くはたいて、ついいつもの癖でスーツのポケットに入れっぱなしであることを思い出した。スーツケースの中からわざわざ引っ張り出すのも億劫だしな、と一端諦める。それに、実家になら大量のマッチがあるからな。

 買い終わるとちょうどいい時間になったため、ホームに降りる。降りて、自分の予約席の車両が来るであろう場所に立ってしばらくすると、特急がブレーキ音を響かせてやってきたので、乗り込んだ。

 窓際の席。隣の人が来るまではいいだろう、とスーツケースをそこに置く。窓は閉めずに、左肘を乗せた。そうこうしている間に特急は走り出す。

 しょっちゅう遅延が起きる沿線を利用しているため、用心して朝早くに出過ぎたせいで、異様に眠い。あくびをしつつ、せめて切符拝見までは、と頑張る。景色が尾を引いて飛んでいく。色とりどりの屋根。屋根。ソーラーパネル。屋根裏部屋はああいう家にはないのだろうか。俺の部屋にはあったけれど。


 その屋根裏部屋は、物置部屋と化していて、家族は滅多にあがらなかった。あそこを一番知っていたのは俺だろう。一番最初は、屋根裏部屋、という存在自体にテンションがあがった。なんせ小学生だったからな、屋根裏部屋なんてちょっとした冒険の匂いがするもんだ。親にばれないようにこっそりと忍び込んでは、なにがあるのか段ボールの中やら厳重な箱の中を覗いたもんだ。なにも壊さなかったのは、本当に幸運だった。中学生になる頃にはすっかり飽きていた。

 高校生になってから唐突にその屋根裏部屋の存在を思い出した。

 どうして思い出したんだっけな、ああそうか、先輩だ。高校の一つ上のマネージャーだった先輩。あの人が泣いていたんだ。なぜ泣いていたのかついに俺は知ることはなかったけれど、それでも泣いていたのが辛くて、俺になにができるかと考えた結果、見なかったことにした。きっとそのあとすれ違った副部長がなんとかしたに違いない。数日後に、副部長とマネージャーが仲睦まじく歩いて帰るのを見たのだから。

 彼女以内歴イコール年齢。そんな俺には荷が重いというものだ。ああ……もうすぐ魔法使いじゃないか、嫌になる。愛と青春のサッカー部。俺にあったのは、汗と疲労。夕焼けに目を焼かれながら、虚しさををときとして抱えつつ、帰路につくのはいつものこと。それは今も変わらないかもしれない。ただちょっとばかし、今の方が帰る時間も遅く、夕焼けではなく、蛾の集る街灯が俺の目を点滅させる、それだけの違いしかない。


 ふ、と気付くと手元に握っていた切符がいつのまにか引き抜かれて、チェックがしてあった。いつのまにか意識を思い出に飛ばしてしまっていたらしい。

 ちかちかと目元に頻繁に刺さる日光が眩しい。すぐに寝るのは少し難しい。俺は駅で買ったおにぎりと水に手を伸ばす。ぼそぼそとしたおにぎりも、ペットボトルの水も、既製品で、ああそういえば母さんの料理食べてない気がする、と思ってしまった。正月だって、おせちは買ってきたものだったしな。

 腹も満たされ、ついでに朝早かったこともあり、がたんごとんと揺れる電車と体を同調させるように舟をこぎ始めてしまう。昼食用に昨日スーパーで別に買っていた弁当が無駄になりそうな予感がする。コンビニの弁当は彩りはよいが、どことなく寂しい気がしてしまう。中学、高校と俺が毎日母さんに手作り弁当を作ってもらっていたからかもしれないけれど。いつものクラスのメンバーと飯をかっ食らって、急いでグラウンドに出てサッカーやらバスケやら遊べることをとにかく遊んだ。今の俺からしてみれば、食べてすぐによく動けるもんだ、と置いてきてしまった若さの尊さをしみじみと感じずにはいられない。

 朝に鳴いている鳩の鳴き真似コンテストやら、バカをやっていた思い出も、どことなくよかったと思えてしまうのはなぜだろう。修学旅行では覗きに行くメンバーのために見張りをするような奴だった。


 駅名のアナウンス。次の停車駅、ハッと体を震わせて意識を今に戻す。思ったよりも眠り込んでいたらしい、あるいは、おにぎりをゆっくりと食いすぎたらしい。まだ数駅の余裕はあるとはいえ、驚かされた。しかしすぐに降りる駅のアナウンスが響くことだろう。固まった足をぐにぐにと回して、軽い痺れを取る。ごみはコンビニの袋にまとめた。アナウンス。次の駅だ。俺はスーツケースの取っ手を手に取る。隣の席には、誰も座ることはなかった。

 駅について、切符を捨てた。無人の駅だし、自動改札機なんて豪勢なものはない。駅には誰も迎えには来ていない。知ってた。ちちち、と鳥の鳴く真っ昼間。俺はスーツケースを引きずりながら歩くのだ。

 がらがら、がらがらとタイヤが騒ぐ。重い用具入れを運ぶ音に比べればマシだが、それでも無人の道に音は響く。高校生の時は、うるせー、うるせー、と同級生と騒いだが、一緒に騒ぐ奴がすぐ隣にいるわけでもないし。俺は黙って歩き続ける。あいつは元気だろうか、それからあいつは、と思い出しても、若い頃とは顔も変わってるんだろうなぁ、と。十年の壁は大きいものだ。十年経って、俺たちは成長できたのだろうか。あの人の泣き虫癖は治ったのだろうか。……いや、治っていないんだろうな。


 受験が怖いと涙をこぼし、試合に負けたときに誰よりも大粒の涙を流したあの人は。きっと明日も泣くのだろう。まったく変わってないですねぇ、そうだなぁ。そう言って、みんなと暖かく笑うのだろう。俺は、泣かない奴だから、きっと、大丈夫だ。

 進学が不安だ、と泣いて訴えてきたあの人。誰もいない土地での勉学や生活が予想できなくて、不安で、怖いのだという。


「ねぇ、どう思う?」

「わかります、そうですよね」


 嘘だった。口から出任せに肯定しただけであった。それでも、その返答は正解らしく、涙でぼろぼろの顔が、へにゃりと微笑みに変わった。それからまたあの人は、今度は静かに涙を流し始めた。俺はなにをするというわけでもなく、背中を軽く叩くこともできず、ただ周りでおろおろと、大丈夫ですよ先輩なら、完璧にする必要はないのですから、不安に思わなくても大丈夫ですよ、とか、とにかく言葉を咀嚼する暇もなく垂れ流したのだった。

 単に忘れ物を取りに来ただけだったのに、俺は夕方の薄暗い中庭で、先輩と近づけた気がしたんだ。


 ただいま、と横開きの扉を開けると、母さんがエプロンで手を拭きながらぱたぱたとスリッパを鳴らして迎えにきてくれた。


「あらあら、おかえり」

「ただいま。父さんは……仕事か」


 そう言うと、ええそうよ、と母さんは頷きながら、俺用にとスリッパを用意してくれた。


「お腹は空いている?」

「いや、空いてない。普通に晩ご飯の時でいいよ」


 スーツケースの取っ手を小さく縮めると、持ち上げる。荷物を広げたかった。


「荷物広げるよ。場合によってはアイロン貸して。いつものところ?」

「えぇ、変わってないわ。晩ご飯できたら呼ぶからね」


 ああ、と返事をしてスーツケースを片手に階段を上る。俺の部屋は、二階の端。荷物はだいたい俺のアパートにあるからだけど、やっぱり殺風景だった。なんだかんだで母さんが掃除しているらしく、すぐに使うことができた。スーツケースからシャツやスーツを取り出して、伸ばして、ハンガーにかける。うん、大丈夫だろう。明日も着れる。

 早くもやるべきことがなくなってしまい、俺は手持ち無沙汰になってしまった。もう一度寝てもよかったのだけれど、そうはせず、部屋を出てもう一つ、狭い階段を上った。


 屋根裏部屋。

 頭をぶつけないよう、かがまなければいけなかった。忘れていたが、体は覚えていたようだった。

 屋根裏部屋、俺の秘密の部屋。秘密を抱えた俺が訪れる部屋。

 かつて灯りも点けずに薄暗い木の床に寝ころんだ。夕空の下で泣いたあの人を思いだして、息をもらして、自分のシャツの胸元をつかんだ。あのとき、触れられなかった弱虫の右手と左手は、暖かくもなんともない宙を握った。あの気持ちは何だったのだろうか。あの波のような虚しさは何だったのだろうか。ここには、かつての俺の気持ちは残っているのだろうか。顔を上げる。

 空っぽの、埃がうっすら積もった狭い部屋だけがそこにはある。


「……だよな」


 さすがにここまでは母さんも掃除をしなかったらしい。歩くたびに埃が舞い、喉を刺激しようとしてくる。小学生のころは気にはならなかったが、屋根裏部屋と言うだけあって天井は低く、今の俺ではまともに立つことができない。高校生の時でも、ずっと膝立ちで移動していたのだ。あのときみたいなジャージの部屋着ではないので、残念ながら膝立ちはしなかったが、身を屈めて、窓の方へと歩いていく。

 大量のダンボールや木箱の並ぶ屋根裏部屋は、小学生の時よりもずっと狭く、高校生の時よりもずっとボロっちく感じられる。俺は、錆び付いた鍵のついた机までたどり着いた。窓に面するように置かれた机。さすがにスタンドライトのコンセントは埃で危ないと判断したのか抜かれていた。机と同じ木製の椅子に座る。

 あのころよりもずっと増えた体重に椅子が泣く。人差し指で机の表面をなぞり、ついた埃をふっと息を吹きかけて飛ばす。しかしあまりにも埃臭いので、観念して窓を開け放った。まだどことなく肌寒い風が吹く。しかし寒いと身を縮こまらせるほどではない。母さんには荷物を広げると言ったものの、何もする気が起きなかった。惰性のままに何度も机の表面をなぞって、何度も埃を吹き飛ばして。何本もの線が机に描かれ、そして飽きる。ぼんやりとただ机の上に書いた線を眺めているうちに、夕焼け空で、机は赤く染まっていく。


 どこからかカレーの匂いも漂ってくる。我が家だろうか、それとも隣の家だろうか。もうそんな時間か。

 小さな女の子たちが家の前の道を駆けていくのが見えた。影踏みでもやっているのだろうか、お互いにぴょんぴょんと間を保ちながら走っている。あるいはなにか本人たちにとっての願掛けかもしれない。願いをそっとなにかに込めたり、願いをそっと隠したり。

 先輩はきっと俺に言うことで、願いを隠したんだと思う。

 そして俺は、ここに隠した。

 手を出さずにいた、机の引き出しを開ける。引き出しの奥の端。


「先輩のことが好き」


 じんわりと何か熱いものが、お腹の奥から染み出してくるような感覚がした。そのまま頬に熱が伝わり、そして熱の塊は涙となって零れ落ちた。

 ああ、ダメだなぁ、泣かないつもりだったのに。人のこと、泣き虫だなんて言えないじゃないか。

 何度も瞬きすることで、水分には乾いてもらうつもりだった。しかしどうにもどんどんあふれ出て止まってくれそうにない。困ったな、まだ、いっぱいやるべきこととか、残っているのに。母さんと父さんに心配させちまう。荷物広げや明日の式の準備など、様々な心配や不安が頭を駆け巡る。ああしまった、ご祝儀袋を持っているか母さんに聞かないと。そのためにも泣き止まないと。もうすぐ夕飯だし、怪訝な顔をされてしまう。

 白い葉書に、薄桃色の薔薇が描かれた招待状。

 幸せそうな彼女は、俺にどんな言葉をかけるのだろうか。

 今、全部の熱を零してしまえば、あのころの自分が流せなかった分まで出してしまえば、明日は笑えるだろうか。

 白いドレスを着た先輩はきっと誰よりも綺麗なんだろうなぁ。


お久しぶりです。

また投稿させていただきます。

終わってないのを終わらせれるようにも少しずつ書いています。

短編ばかりですが、楽しんでいただければ幸い。

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