19話
土曜の昼前。
咲は玄関の前で、一度だけ鏡を見てから鍵を取った。
いつもより少しだけ気合いを入れた服。
でも、“頑張りすぎた”って思われたくないから、ちゃんと普段っぽさも残している。
(……別に深い意味はない)
そう言い聞かせながら、ドアを開けた。
「さきー」
すぐ隣から声。
振り向くと、優がすでに自分の家の前に立っていた。
いつも通りの格好。
いつも通りの無頓着そうな顔。
「早いんだけど」
「お前が遅いんだろ」
「普通だし」
咲は少しむっとしながら言う。
すぐるはそのまま、さきを見た。
一拍。
二拍。
そして、軽く口を開く。
「……今日、なんか違うじゃん」
さきの動きが止まる。
「は?」
「いつもと」
優は少し首を傾ける。
咲は無意識に服の裾を触った。
「別に、いつも通りだけど」
「いや、違う」
優は一歩近づくでもなく、ただその場で言う。
「なんか……可愛いじゃん」
一瞬、空気が止まる。
咲の頭が真っ白になる。
「……は?」
やっと出たのは、それだけだった。
優は特に悪びれた様子もなく、軽く肩をすくめる。
「似合ってるってこと」
「そっちで言いなよ」
「同じだろ」
「同じじゃないし」
咲は即座に否定する。
でも、声が少しだけ上ずっていた。
優はその反応を見て、小さく笑う。
「はいはい」
そして、そのまま歩き出した。
「行くぞ」
「……うん」
咲も後ろからついていく。
いつも通りの距離。
なのに今日は、少しだけ違う気がした。
(今の、なに)
ただの一言。
ただの感想。
なのに、頭の中で何回も繰り返される。
“可愛いじゃん”
咲は前を向いたまま、メガネの位置を直す。
でもその指先だけ、ほんの少し落ち着いていなかった。
一方で。
少し前を歩きながら、優も小さく息を吐く。
思ったまま口にしただけだった。
でも、言った瞬間の咲の顔が、思ったよりずっと破壊力があった。
固まって。
耳まで赤くして。
でも、照れてるって認めたくなくて、必死にいつも通り返そうとしてる顔。
優は前を向いたまま、少しだけ口元を押さえる。
(……やば)
なんか、普通に可愛かった。
いや、前から知ってた気もする。
でも今日は、変に目につく。
服とか。
髪とか。
笑ってないのに落ち着かない顔とか。
全部。
優は小さく息を吐く。
(ほんと、なんなんだろ)
前と同じはずなのに。
隣にいるのなんて昔から普通だったのに。
今日はやけに近く感じる。
咲はそんなこと知らずに、少しだけ早足で前を向いて歩いている。
優はその横顔を見て、また少しだけ笑った。




