48. 破廉恥ですわ
「お嬢様、アーガイル大公がお見えです」
いつものように感情が見えないドロシーに、「わかったわ」と大きく返事をする。水色のストライプ柄に小さなフリルをあしらった春の装いに身を包み、鏡を覗き込む。緩やかに波打つ朱金の髪をまとめた、ヘーゼル色の瞳が楽し気にこちらを見つめていた。
慌ただしかった冬が明け、再び社交界シーズンが始まろうとしていた。
エントランスに続く階段を降りる途中で、藍色を装った青年に出くわした。ユージーン・アーガイル大公だ。数カ月前に19歳を迎えた彼は、また身長が伸びたらしい。身体つきも去年より厚みが増したようで、なんだか少し悔しい。
「今日も可愛いな、俺の天使。今日こそはアーガイル家に一緒に帰ろう」
「……また、婚約が伸びますわよ」
実は二人の関係に進展はない。大見得を切ってプロポーズをしたのはいいものの、やはり世間体を鑑みて、ユージーンからお父様に婚約の許しを得ることにしたのだが――。
天下のユージーン・アーガイル大公が断られたのだ。
「貴方の本気が見えない限り、娘との結婚は認めません」
あんなに大公家との縁を切望していたはずのお父様が、頑なに首を縦に振らないのだ。交際中の転落事故、半強制的な招待、そして王女との婚約――と、ユージーンの株はすっかり暴落してしまったらしい。
当時は契約交際だったし、むしろこちらの助けとなってくれていたのだが、詳細を伝えるとユージーンとは二度と会えない気がするので、大人しく健全なお付き合いを続けている。15の誕生日も控えていることだし、そろそろ許しも出ることだろう。
「これ以上どれだけ待たなきゃいけないんだ。もう婚約をすっ飛ばして結婚を申し込むぞ、俺は」
「あら、ワタクシの懐妊説が囁かれてしまいますわね」
ユージーンのエスコートで階段を降りながらわざと溜息をついて見せると、ぐぅっと隣で喉を鳴らす音が聞こえた。気の毒にも思うが、こうやって一緒に外出することは許されているのだから、もう少し恋人未満の関係を楽しんでもいいと思うのだけど。
たとえアーガイル家と出かける時でも、リッチモンドの護衛は必須という家命により、今日もモンフォール卿を指名する。本人はユージーンの視線が痛いと嫌がるのだが、未来の婚約者の暴走を告げ口しない寡黙な護衛は貴重なのだ。
モンフォール卿を御者席に乗せた馬車は、近所に屋敷を持つフォスター公爵家へと向かう。本日は公爵夫人の絵画ギャラリーのお披露目会に呼ばれているのだ。
エドワード・ローズベリーが爵位を継承して間もなく、無名の画家に頼み込まれて絵のモデルになったことがある。まさかその無名画家が宮廷画家にまで大成するとは思わなかったのだが、彼の代表作の一つがエドワードの肖像画と聞いて悲鳴を上げそうになった。
しかも、どれだけ大金を積まれてもその絵だけは売ろうとせず、ギャラリーの展示も年に一度しか許可しないらしい。今年はパロトンの一人であるフォスター公爵夫人が、その権利を勝ち得たというわけだ。
当時でさえ絵画に興味がなく、仕上がりを見た記憶もないのに、今になってエドワードの肖像画に興味を持てるわけがない。ユージーンに見られることさえ気が引けるのに、たとえ一人でも見に行くと宣言されたため監視することにしたのだ。
リッチモンド家に負けず劣らず豪奢な佇まいの屋敷に降り立つと、エントランスにいた貴族たちの視線が一斉に集まる。すでに慣れた光景ではあるが、会釈をする面々が意外そうな表情をしていないのでユージーンとの関係は公然となりつつあるのだろう。実際は婚約さえ結んでいないのだけれど。
出迎えてくれたフォスター公爵夫人にうやうやしく挨拶をしていると、夫人の影から鋭い視線を感じた。マーガレット・フォスター公爵令嬢だ。もしかしてまだユージーンを狙っているのだろうか?
「ごきげんよう、大公閣下。本日はフォスター家にようこそおいでくださいました。案内役として私がご一緒させていただきますわ」
あ、狙ってますね。
「久方ぶりだな、マーガレット嬢。申し訳ないが、今日も連れがいるので遠慮させていただこう」
「またワタクシが目に入らないようですわね、マーガレット様。そろそろ大公が誰の男か認められてはいかがでしょう?」
そう笑顔で言い放つと、自分のエスコート係を見上げて目を閉じる。いきなりの展開にユージーンは戸惑ったように身体を硬直させたが、紳士らしく頬に軽いキスを落とした。まるで小鳥がついばむように。
お前、いつもは所かまわずペロペロしているじゃないか。
「まあっ、破廉恥ですわ!お二人は正式に婚約もされていらっしゃらないのでしょう?」
「ええ、まだ悩んでおりますの。ワタクシへの求婚者が多すぎるものですから」
ただの意地悪で投げた言葉に、マーガレットは顔を真っ赤にして怒り、ユージーンは「冗談だよな」と青くなり、レナードは「まだチャンスはあるということだね」と割り込んできた。
なぜレナードがここに?
「エディの肖像画が展示されるのに、私がいないわけがないだろう。恒例行事さ。本当は誰の目にも触れさせたくないぐらいなのに。この画家め、どれだけ大金を積んでも首を縦に振らないんだよ」
マーガレット嬢と別れた後、当たり前のように付いてくるレナードがそう説明する。なるほど、この絵の価値を釣り上げているのはコイツのせいらしい。
他に展示されている絵画も一通り眺めながら進んで行くと、人だかりのある一角が見えてきた。たぶん、あの中心にエドワードがいるのだろう。過去の自分に対面することで、どんな気持ちになるのか正直分からない。分からないから、何も考えずに足を運んだ。
繊細な筆使いが特徴的なキャンバスに、一人の美少女が微笑んでいた。
サラサラの金髪は顔周りに華やかさを与え、琥珀色の大きな瞳は小悪魔のように魅惑的で、華奢な肩幅に女性のような腰つきの――当然ながら「青年」が、微笑をたたえてこちらを見ている。
――なんだこれは?!
違う違う、これはエドワードじゃない。完全なる別人だ。彼はもっと男らしい顔立ちに、逞しい身体付きだった。よりにもよって正反対に誇張して描いたに違いない。あの画家め、恩を仇で返したな!
「ああエディ。絵の中の君は、何一つ変わらず昔のままだ」
隣のレナードがわけのわからないことを呟いているが、記憶の中でエドワードを美化する病に侵されているようだ。どうせまた、この絵の値段を吊り上げる気なのだろう。
一方ユージーンは……まるで目の前の青年と対話をするかのように静かに佇んでいた。絵画にあまり興味がないと聞いていたが、そうは思えないほどじっくりとエドワードを見つめている。なんだか、すごく、恥ずかしい。
居心地の悪さに、彼の右腕に添えた手に力を込めた。
「そんなに見つめないで」
「いや、噂には聞いていたが、ここまでとは……ヤバい、抱ける」
そしてワタクシは、専属エスコートの足を思いっきり踏みつけたのである。
――THE END――
これにてクマ子の初連載が【完結】です!
自分で投稿するようになって実感したのですが、これだけ多くの作品が毎日生まれる中、よく私の物語に辿り着いていただけたな……と、まさに一期一会を感じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【今話のクマ子ポイント】
キャスリンの一人称が変わりましたね。
もう一人、呼ばれ方が大きく変わった人がいます。
本当は二人の新婚生活のシーンで「めでたしめでたし」を考えていたのですが、彼らがすんなりとゴールする姿も何か違うなと思い、今の状態に落ち着きました。
できたら続編を書いてみたいです。
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