66:脅し
リアス王太子が心配をしている。
クロエが弱みを握られ、アナベルの指示に従っていたなら。それを明かさないと、罪が重くなる可能性がある。「王太子様も、罪が重くなることを心配しています。どんな弱みを握られていたのですか。話していただけませんか」とライト副団長が説得すると、クロエは泣きながらアナベルがどのように彼女を脅したのか、それを打ち明けたと言う。
霊廟襲撃事件が起きた時。
地下の『静謐の間』では、マルメロの甘い香りと共に、セドロールの香りが広がっていた。そのことにいち早く気づいたオルゼアは「皆さん、手と鼻を布で覆い、この香りを極力かがないようにして下さい。強烈な眠気に襲われます」と進言している。
皆、強い眠気と戦いながら、ハンカチを取り出そうとした。
クロエは聖女であり、聖なる力を宿しているものの、セドロールの香りは魔力で生み出されたものではない。毒でもなかった。つまりクロエはセドロールの香りの影響を受け、瞼が閉じそうになっていた。
「クロエ、しっかりするんだ。このハンカチを使って」
王太子は、クロエに自身のハンカチを渡した。彼自身は既に、近衛騎士からハンカチを渡されていたからだ。
クロエはそのハンカチでセドロールの香りをやり過ごし、そして秘密の緊急脱出用の通路を使い、地上へと逃げ出すことになった。そこでアナベルからの指示で、ヒュドラーの猛毒を瓶に集めるよう、命じられる。
王太子のハンカチには、それが彼の持ち物と分かるよう、王家の紋章と共に、彼のイニシャルが刺繍されていた。そのハンカチを、クロエは落としてしまったのだ。ヒュドラーの毒集めを突然命じられ、瓶を受け取る時に、うっかりハンカチを落としてしまった。だがハンカチを落としたことに、クロエは気づかない。代わりにアナベルが気づいた。
王太子のハンカチをクロエが持っていたことから、アナベルはクロエをこう脅した。
「クロエ、あなたは自分の立場が分かっていますか? あなたは、国王陛下の側妃なのです。王太子様からしたら、あなたは母親のような存在なのですよ。それなのにまさか王太子様に、好意を持ったりしていませんか!? 王太子様のハンカチを持っているなんて、国王陛下に知られたら、大変なことになりますよ。変なことを疑われてしまいます。何より、王太子様には婚約者もいるのです。そうなったら、王太子様はお立場がなくなりますわ。お分かりになります?」
クロエは幼く、そして純粋だった。しかもこの王宮で、味方はアナベルしかいない……と思い込んでいた。
別にクロエは王宮でいじめられたわけではない。あまりにも弱い立場で存在感もないので、誰にも相手にされていない……というのが実情。アナベルも最初からクロエに興味を持ったわけではなかった。ただ、クロエが聖女であることに気づいてから、急接近していた。
クロエが聖女であるとアナベルが気づいたきっかけ。それは……。
王宮に一度、モンスターが出現したことがあった。魔王がいなくなり、モンスターはこの世界では、滅多に見かけない存在になっている。それでもごく稀に現れていた。ペットとして飼われているモンスターが逃げした時など、街中や王城のような場所に、モンスターが現れることがあった。
ペットとして飼われるぐらいだから、小型であり、攻撃性も抑えられている。それでもモンスターだ。大騒ぎになる。それは夕食が終わる時間で、ダイニングルームから皆が部屋に戻る頃合いだった。
クロエはモンスターとバッタリ、王宮の廊下で鉢合わせしてしまう。その様子をアナベルは、離れた場所で見ていた。
モンスターはピュートーンという蛇。本来はとても巨大だが、ペット用に飼育されていたようで、とても小型だった。だがまがまがしい黒の鱗に赤い模様があり、クロエのそばにいたメイドや従者は抱き合い、腰を抜かしている。
ところがクロエはピュートーンに手を向け、何やら呪文を唱えた。次の瞬間、その手から光が放たれ、ピュートーンの姿は跡形もなく消えたのだ。その様子を見たアナベルは、クロエが聖女なのではないかと思い、彼女について調査をさせた。
その結果、クロエが聖女であると確信したアナベルは、彼女に強い関心を寄せる。最初は同じ側妃だからと言って近づき、次第に母親のように接し、信頼を得ると「クロエ様はもしかして聖なる力を使えるのでは?」と尋ねた。