5:異例ずくめ
私が収監されている監獄、モーン・ヒル監獄のトップである獄長、その名はジェイソン・ホロウ。彼は身長が二メートル近く、顔周りに髪と同じ、立派な茶色の髭を生やし、腕や足は丸太のような太さをしていた。しかも獄長として着ている上衣とズボンは黒で、襟や袖に赤いラインがあるのだが、その服の色だけでも威圧感がある。
さらにそのホロウ獄長が部屋にいるだけで、とんでもない圧迫感があった。座っている椅子がいつ壊れないか、心配にもなってしまう。ホロウ獄長が指でつまむように持っているティーカップは、なんだかオモチャのように見えていた。
「クレア・ロゼ・レミントン殿、先程、聖皇庁から連絡がありました。セル・オッドワードとココ・A・ウォールデンの再聴取があったのですが、この二人が罪を白状したのです」
その体躯では、とても小さく感じるそのカップの紅茶を飲みながら、彼は驚きの一言を発した。
「そんなにあっさり白状するなんて……まさか、ご、拷問が」
「それはありません。聖皇は、拷問を強く禁じています」
「ほう。前世が魔王ルーファスなのに、拷問を禁じていると! 本当ですか!」と言いたくなるのを堪える。私が言葉を吞み込んでいると、ホロウ獄長が話を続けていた。
「ただ、セル・オッドワードとココ・A・ウォールデンの再聴取には、各関係各所の管理官が立ち会いましたが、聖官もお一人、同席されたそうです。彼は聖皇の御言葉として、こう伝えられたと聞いています」
ホロウ獄長が教えてくれた聖皇の言葉。それは――。
人間は嘘をつく度に、その体を構成する細胞にダメージを受ける。嘘をつくことは苦しいこと。嘘をついたその瞬間から、その嘘がバレないかと心配になり、その不安が体にダメージを与える。
嘘をつくことをやめない限り、そのダメージはずっと当人につきまとい、遅かれ早かれ本人の命を奪うことになる。そして嘘をついたままこの世を去ると、その魂に救いはない……と話したと言うのだ。
ルーファスは、魔王だった頃。身体的に痛めつけるような拷問はしなかった。精神的にじわじわと追い詰めるような言葉による拷問を行うと、前世では聞いていたが……。
まさにセルとココに伝えられた言葉は、拷問とまでもいかないまでも、最後通告に等しい。嘘をついているなら、それを打ち明けない限り、救いはない――と聖皇が言っているのだ。これを聞かされ、やましいことがあれば、もう打ち明けずにはいられないだろう。
ここは西都であり、聖都。聖皇の言葉は理の真理に通ずるものと、この街に住む人間は考える。聖皇の言葉は語録として本になり、それはここではベストセラー。この語録が街の人間の心の拠り所になっていた。
セルとココは悪魔のような所業を行ったが、どこかで自分たちがやったことに、後悔をしていたはずだ。今回、聖皇の言葉で、我慢できなくなった。全部話して、楽になりたかったのだろう。
それにしても前世魔王ルーファスが罪人に正義を説くなんて……! どうしてもうがった見方になってしまうけれど。彼に前世の記憶はない。それに多くの人間が、前世の記憶に目覚めることなく、その命を全うしている。そうなるとオルゼアも覚醒することなく、そのまま微笑の聖皇として、生を終える可能性も高かった。
彼の前世は魔王という見方は止め、純粋に聖皇として、オルゼアのことを見た方がいいのかもしれない。
ともかくセルとココは、自身の罪を認めた。ならば国王陛下の返事が来なくとも、私の刑の執行は停止される……と思っていたら。ホロウ獄長と話している最中に「緊急のお知らせがあります」と、看守長がホロウ獄長のところへやってきた。
席を一旦外したホロウ獄長が、私のところへ戻ってくると「今晩の処刑は中止になりました。さらにあなたの裁判のやり直しも認められ、今、この瞬間からその身分も変わります。死刑囚ではありません。このモーン・ヒル監獄に、一時的に幽閉されているクレア・ロゼ・レミントン公爵令嬢となります」と告げたのだ。
つまり、国王陛下と連絡がつき、今宵の火あぶりは中止。しかも裁判のやり直しも認められ、私は罪人ではなくなった。幽閉はされているが、身分は公爵令嬢だと言う。これは両親と兄にも伝えられ、家族から喜びを伝える書簡が、夕食の席に届けられた。
しかもその夕食も昼食同様、きちんと前菜、スープ、メインが用意され、パンも焼き立て。デザートにはリンゴのタルトまで出てきて、驚いてしまう。食後には家族が差し入れてくれたチョコレートと紅茶も出された。
立場としては罪人ではなく、幽閉の身。デザートが出たとしても。高級とされるチョコレートが提供されても。おかしくはない。それでも今朝まで壁につながれていた身だったのだ。足元にはネズミが徘徊し、糞が転がり、裸足だった。それが今、ふかふかのスリッパをはき、シルクの寝間着に温かいウールのガウンを着ている。この落差には、どうしたって衝撃を受けてしまう。
「消灯時間まで良かったらどうぞ」と、メイド代わりについている女性の看守から渡された本で、優雅な読書タイムを過ごした。そして今、清潔なリネンのベッドに横になっている。
切り札を使おうと構えていたが、それを行使することなく、劇的な変化を手に入れることができた。セルとココは罪を認めたのだ。幽閉の身を解かれる日は近いだろう。
自然と笑みがこぼれた。
リベンジをしてやると誓ったが、まさか聖皇が味方についてくれるとは思わなかった。崖っぷちからの一発大逆転。いい夢が見られそうだ。
全身の力を抜くと、睡魔に急激に襲われる。気づけば枕に沈み込み、ぐっすり深い眠りに落ちていた。
だが果たしてこの奇跡。いつまで続くのだろうか……?
◇
裁判のやり直しなんて、もっと時間がかかると思っていた。でも間違いなく聖皇が動いてくれたおかげで、国王陛下も今更ながらではあるが「あのレミントン公爵家の令嬢が、冤罪で処刑される寸前だったとは。西都の判事や弁護士はどうなっている! 警察はどんな捜査をしたのだ!」と一喝くださった。
その結果、異例のスピードで裁判のやり直しがあり、私は無罪となる。代わりにセルとココが、私のいる監獄に収監されることになった。ところがこちらは逆に、裁判も含め、じっくり行われるようである。刑がなかなか確定せず、二人は不安な日々を送ることになるだろう。
まさに真綿で首を絞めるようなやり方。これは裏で聖皇が手を回した結果……とかではないわよね。私の裁判を最優先にした結果、後が詰まっていただけ。彼の前世が魔王ルーファスだからと、聖皇をうがった捉え方で見てしまうのは、止めよう。もう何度目になるか分からない誓いを立てる。
こうして幽閉されてから十日後。
晴れて自由の身となり、モーン・ヒル監獄から出ることができた。家族からは、迎えの馬車を出すと言われている。両親も兄も、この日は仕事を休み、屋敷で帰宅祝いの準備をしてくれていると聞いていた。
「こちらのドレスにお着替えで、よろしいですか?」
「はい、これでお願いします」
身の回りの世話をしてくれた女性の看守とは、すっかり打ち解けていた。前世では魔王討伐のために旅をしていたので、基本的に自分のことは、自分でしないとならない。クレアに転生してからは、メイドに何かしてもらうことに慣れてはいたけれど……。
クレアの記憶と人格、そして前世の自分は問題なく融合したものの。ミレア・マヴィリスはクレアに比べ、自我が強かったようで、いろいろな感覚がミレアになってしまう。今も着替えを手伝ってくれる女性の看守に「助かります。本当にありがとうございます!」という気持ちで、いっぱいだった。
何せ転生した現在のドレスは、下着も何もかも、一人で着るのは大変だから……。
とにもかくにも、この日のために母親が送ってくれたドレスに着替えることができた。身頃からスカートの裾にかけ、アイリス色から白のグラデーションになる素敵なドレスだ。ウエストの葡萄色のリボンが、いいアクセントになっている。裾を飾る刺繍も繊細で美しい。
紫がかった銀髪はおろし、左耳の上で、ドレスと同じ葡萄色のリボンを留め、久しぶりにきちんとお化粧もした。昼間にふさわしいナチュラルなメイクだが、公爵令嬢として相応しい姿になれたと思う。
ホロウ獄長、看守長、お世話になった女性の看守他、多くの職員に見送られ、モーン・ヒル監獄を出た。
レミントン公爵家の屋敷に戻る前に、監獄から馬車で十五分の距離にある墓地へ立ち寄った。
途中で花束を買い、私の元レディースメイドだったヒナの墓前で、手を合わせることにしたのだ。彼女の葬儀が行われている時、私は取り調べを受け、外出などできる状態ではなかった。ヒナとの最後のお別れができないまま、モーン・ヒル監獄に収監されたことは悔やまれるが、真犯人は掴まったのだ。そのことをヒナに報告してから、屋敷へ帰ろうと思った。
モーン・ヒル監獄は、その名にヒルとつくだけあり、丘の上にある。そしてその丘と対になるような場所に、墓地が広がっていた。この墓地で使われている芝は、寒さに強いと聞いたことがある。確かに初冬にも関わらず、芝は青々としており、白い墓石が映えて見えていた。あらかじめ頼んで用意してもらった地図を頼りに、ヒナの墓石を探す。ここの墓地は広大なので、地図がないと、迷子確定だ。
冬晴れで、雲一つない青空が広がっている。その分、寒さを感じることになるが、ウールのロングケープをちゃんと着ていた。寒さよりも清々しい気分で、小道を進んでいくと……。