51:また一人
持参した籠にクラブアップルのタルトを作るのに必要な材料をいれ、紅茶の缶をしまい、杖を頼りに、森の家へ戻った。家に向かい声をかけても返事はなく、気配もない。ファウスはまだ、家に戻っていないようだ。
家にいればファウスと一緒に、クラブアップルのタルトを作るつもりだった。でもいないなら仕方ない。一人でタルトを作り始める。
夕食も同時進行で作ることにした。鹿肉を使ったシチューを作る。
ファウスは狩りが得意だった。我が家にも一応、槍や弓もあるものの、狩人ではない。肉は滅多に手に入らない。仕掛け罠は設置しているので、たまに兎や雉が手に入るぐらいだった。主なたんぱく源は川魚だ。
でもファウスと暮らすようになってから、イノシシ、鹿、一度は熊も手に入った。しかも彼がきちんと捌いてくれるし、さばいた肉を使い、料理もできる。狩人というわけではないだろうが、武器の扱いに長けているように思えた。
何はともあれ、そんなことを思い出しながら作業をしているうちに、すべて用意できた。
豆のサラダ、鹿肉のシチュー、パン、クラブアップルのタルト。食後に飲む上質な紅茶。
あとはファウスが帰ってくれば……。
椅子に座り、テーブルに伏しているうちに眠ってしまった。
晩夏とはいえ、夜は少しヒンヤリしている。ぶるっと体が震え、目を開けると黒の世界。まだファウスは帰ってきていないんだ……。
心臓が嫌な音を、ドクドクと立てている。
帰ってくるはずの人が帰ってこない。
そうやって私の家族は一人、また一人といなくなった。
不安な気持ちを抱えたまま、明かりを灯す。
明かりをつけたところで、私の視界に劇的な変化はない。
でもこうやって明かりが灯っていれば、ファウスが家に帰る時の目印になる。
私に時間の感覚はない。ただ、腹時計で判断すると……もうすぐ19時だろうか。
20時まで待って、ファウスが戻って来なかったら、食事をとろう。
もしファウスが出て行ったなら、それまでのことだ。
約束なんてしていないから、帰って来なくても文句は言えない。
ただ。
クラブアップルのタルトを食べられることを楽しみにしていると言っていたのに。よりにもよって、私の誕生日の日に姿を消さなくてもいいじゃない。
そう思い、一時間。
籠を作り、時間を潰し、そして。
ファウスは帰ってこない。もう、食事をしよう。
椅子から立ち上がった時、扉をノックする音がする。
「シェナ、わたしです、ファウスです」
もうその声を聞いた瞬間。涙が出そうになっていた。それを堪え、深呼吸をして扉を開ける。
「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。夕ご飯は……食べていないのですね。すぐに用意しましょう」
こうして少し遅い時間の夕食となった。
クラブアップルのタルトを食べ、紅茶を飲むと、ファウスは「お風呂に入りましょうか。今日は髪を洗いましょう、シェナ」と言い出した。
「誕生日おめでとう」の一言もなく「お風呂に入って髪を洗いましょう」って、なんのため?と思ったが、ファウスはてきぱきお風呂の用意をしてくれる。しかもファウスが髪を洗ってくれたので、あっという間に入浴を終えることができた。
私が髪を乾かしている間に、ファウスも入浴をしたようだ。石鹸のいい香りを漂わせて、ファウスが部屋に戻って来た。
「シェナ、今日はあなたの誕生日でしょう。ですから服を用意しました。いわゆるドレスです。でも一人で着替えられるものではないですから。わたしが手伝いますが、恥ずかしがる必要はないです。わたしのことは……そう。父親と思っていただければ」
「えええええっ」
赤の他人を父親と思えなんて。しかも着替えを手伝うって! 一応は年頃なのに、私も。
本当にファウスの言っていることは、滅茶苦茶だ。
それに。
誕生日であることに気を使い、入浴の準備をしてくれた上に、髪も洗ってくれた。そしてドレスまで用意してくれたのだ。普通の女子だったら大喜びだろうけど……。私はドレスに着替えたところで、何も見えない。
意味がないのに。
でもドレスを手に入れるために、ファウスの帰りが遅くなった可能性がある。食料品店のおばあさんと同じ。厚意を示しくれたのだ。恥ずかしがらず、受け止めよう。
こうしてファウスにドレスを着せてもらった。